第3話 ママは可哀想だから
スーパーで呼び出しを受けた。美織は嫌な予感がしていた。
「西野さん、仕事中はケータイ禁止だから。君がイジってるところを見た人がいるんだ」
いつも優しい店長にそう言われて美織は固まった。
背中を冷たい汗が流れる。店長は県庁の方から来た若い男性で黒縁のメガネで優しい目をしているのに今日は目が冷たい。
「ご、ごめんなさい。母に返信しなくちゃいけなくて」
「どういう理由でも仕事中にケータイを触ったらダメだ。触るなら休憩時間にしなさい。君一人がやりだすとみんなやるんだよ。例外はない、ダメなものはダメだ」
キッパリと言われたが美織がガラケーを手放すことはできない。
母に顔向けができない。山下のおばさんをまた失望させるかもしれない。
美織はガラケーを薄いタイプに変更して、黒いダボっとしたズボンを買った。これならポケットが大きくてガラケーが入っていてもバレないはず。
薄氷を踏む想いで美織は午後のバックヤードの合間の返信を続けた。出来るだけ丁寧に、母の願いを汲み取って返事をした。
それでもある日母の機嫌が悪くなった。スーパーに勤めて半年が経った頃だった。
「どうして無視するの?」
玄関に立って久しぶりにまっすぐ自分の部屋に向かおうとするとすっと音もなく背後に母が立った。
酷く暗い、怒りを込めた声だった。
「ま、ママ、どうしたの? メールは返したでしょ?」
母は無言で自分のピンクのガラケーを美織に突きつけた。
そこには山程ある返信済みメールの中にポツンと一つだけ未返信のメールが表示されていた。見落としていたのだと全身が冷たくなる。
「……最近、店長にケータイ触るなって注意されて」
「言い訳しないで!」
「ご、ごめんなさい、ママ、もう許して」
「なによ、その言い方。まるでママが無理やり返信させてるみたいじゃない。人を悪者にして」
「違うよ、本当にママに申し訳ないって思ってるよ」
母はどろりとした目で美織を睨むと背を向けた。
「今日は一人でいるわ……薄情者」
ピシャリと自室のドアが閉まった。薄情者という言葉が胸につき刺さった。
美織は心で叫んだ。
(山下のおばさんには言わないで!)
その晩はほとんど眠れなかった。
「……」
翌朝、母はもうお弁当を渡すときにいってらっしゃいと言ってくれなかった。
足元に投げつけられたお弁当は石にように重かった。
(どうしよう、どうしよう)
スーパーでタイムカードを押した後も、ガラケーはバイブを続けた。
この返信が遅れたら母はどうなってしまうのだろう。帰ったらどんな目を向けられるのか考えるだけで気持ちが暗い沼に沈んでいく。
美織は必死に笑顔を作り、品出しをしながら母のことを考え続けた。
昼休みにまた一人のバックヤードで午前中の四つのメールの返信をした。
本当は即レスを母はして欲しいはずだ。しかし店長に注意されている。
「西野さん、午後からはレジをやってみて」
店長に告げられて目の前が真っ暗になった。
レジなんて返信できない。母に顔向けができない。
幸い午後イチのスーパーの客は少なかったがガラケーを出せるような状況ではない。
レジには他に人もいるし、店長も時々見にくると言っている。しかし母はそんなことを理解はしてくれない。
(ママは可哀想な人だから私が助けないといけない)
「いらっしゃいませ」
客が来てピッピッとバーコードを読み込む。その間にもガラケーは何度も振動した。
母だ。早く返信しないと美織は親不孝者になってしまう。
すっと視線を周囲に回す。客はほとんどいない。もう一人のレジもぼうっとしているように見える。
美織は意を決してガラケーを取り出した。
母のメールを見つける。労わるように返信する。次のメールを見つける。優しく返信する。次のメールを見つける。孝行娘として返信する。
「店員さん、店員さん! ちょっと、あんた何してるんだい!?」
気がつくとカゴいっぱいに野菜を詰めた客が目の前にいた。
美織はガラケーを取り上げられ、会議室に呼び出された。
そこには店長が渋い顔をして立っていた。
「自分が何をしたか分かっているかい?」
美織は数秒ぼうっとしていたが、気がつくと頭を下げて「辞めます」と言っていた。
仕事を辞めたというと父は怒った。しかしどこか遠い国の言葉のようにしか感じられなかった。
意外な事に母は不思議そうだった。
「え、仕事辞めるの。どうして?」
「……え?」
母は美織の退職は自分にはなんの関わりもないと信じているようだ。
「そんな簡単に仕事を辞めちゃ駄目よ。どうせ疲れたとかそんな甘い理由なんでしょ。戻ることはできないの?」
「……ごめんなさい」
「全く、美織ちゃんはママがいないと何もできないんだから。甘えんぼねえ」
美織は元に戻った。母の部屋に行き、愚痴を聞きながらお菓子を食べる。
そうしていると直接話してる時間分メールは減った。
それでも今朝起きると母のメールが三件ほど溜まっていた。美織はそれらに全て返信した後にベッドから出るようになった。
スーパーの仕事を辞めて一週間ほど経った頃、休憩室で店員達と楽しくお喋りをしていた時の記憶が蘇った。
(なんで私、辞めたんだろう?)
毒親同盟の日。
いつものカフェで千花にだけは言おうかと思ったが母の悪口と思われると恐れ、沈黙した。
しかし、涙だけはこぼれてしまった。
「……ママ、ママ、ママ」
「よく分からないけど、美織は悪くないよ」
そう言って千花はタオルハンカチで涙を拭ってくれた。美織にはそれで十分だった。
涙は三十分続いた。
その間、美織は思い出していた。毒親同盟が結成された日の事は今も鮮明に思い出せる。
感想・ご意見など気軽にお寄せください。
ぜひまたお立ち寄りください。
よかったら星をポチッとしてくれると嬉しいです(^^)




