第2話 どうすればいいの、ママ?
スーパーの裏で急いでお弁当を流し込み、メールをチェックする。母から三件のメール。その全てに二度目を通し、丁寧に返信した。
(これで、大丈夫なはず……)
少し眩暈がした。これから毎日返信しなければならない。あの優しい休憩室にはもう戻れないのだろうか。
「美織ちゃん、今日は返信できたじゃない。やっぱり今までは忘れていたのね」
「違うよ、ママ。本当に忙しくて……」
「今までは遊んでいたのね。毎日ママはこの家で辛い目にあっているのに美織ちゃんは平気なのね」
「平気じゃないよ。大丈夫、これからはちゃんと返信するから!」
許してくれ、と懇願するとじっと母は美織を見つめた。それ以上何も言われず、母は一人で自室に帰った。
「いってらっしゃい」
翌朝、投げるようにお弁当は渡された。抱えたお弁当が氷のように冷たく感じた。
美織は必死に返信を続けるとある日、母の朝の笑顔が戻ってきた。
(よかった!)
美織は一層丁寧にメールを返信した。
それから母のメールは増えた。
十通を超える日も戻ってきた。美織は午前中の分は昼休みに返せたが、午後からの分は退勤後にしか返せない。
帰るまでに返信したが母はまた冷えた目でお弁当を渡した。
「午後からでも目を通す時間はあるでしょ? 言い訳ばっかりして」
「そうじゃないよ、ママ。仕事が忙しくて」
「仕事、仕事ってそればっかり。それさえ言えば美織ちゃんは許されると思っているんでしょう。パパと一緒」
パパと一緒。それは毎日愚痴を聞かされる美織にとっては「薄情者」という意味だった。
投げつけるようにお弁当を渡される。美織は氷の上を素足で歩いている気分だった。
正解が知りたい。どうすれば母は満足してくれるのか。
仕事を始めてもう四ヶ月が経っていた。
仕事の流れを理解し始めていた。主にバックヤードを手伝ったが時にはレジに立つようになった。相変わらずスーパーの店員たちは親切で母の言葉に合間に安らぎさえ覚えていた。
(バレないように、バレないように)
キョロキョロすることが増えた。美織はポケットにガラケーを入れっぱなしにしている。
バックヤードの仕事の合間に母のメールをチェックする。必ず二通以上ある。出来るだけ全てに丁寧に返信した。
母のメールは増える一方で午後だけで五通を超えることもある。その全てに美織は帰宅までに返信していた。
ある日、母に太陽のような笑顔が帰ってきた。
「前の美織ちゃんが帰ってきた」
母は帰宅したばかりの美織を自室に招くように手招きした。
「働いて疲れているだろうと思って遠くのケーキ屋さんに行ってきたのよ」
テーブルの上には透明な容器に入った生クリームがけのプリンとガトーショコラだった。
美織は疲れていて食べるより横になりたかったが選択肢はない。母が好きな砂糖たっぷりのカフェオレと一緒にプリンを飲み干す。
「帰ったらお菓子が待っているなんて美織ちゃんは幸せね。美味しいでしょう?」
「ありがとう、ママ」
味など分からなかったが母の機嫌が治ったらならそれでよかった。ママ、ママと唱えながらガトーショコラを食べた。
「美織ちゃん、そんなにお仕事忙しいのかい?」
休日に隣の山下のおばさんにそう言われた。美織は目を丸くしているとおばさんは言葉を続けた。
「いやね、お母さんが最近言うんだよ。美織は毎日疲れてる。だから最近はろくに返事をしないんだって。おばさんは親孝行の美織ちゃんがそんなことするはずないって言ったんだけど」
背筋が凍りつく。いつも孝行娘と言ってくれた山下のおばさんが戸惑った顔をしている。孝行娘という言葉が遠ざかっていく。
「い、いえ、無視したつもりじゃ……あとでママに謝ります」
「そんなにきつい仕事なのかい? こう言っちゃなんだけど、働き先を変えた方がいいんじゃないかい? あの優しい美織ちゃんがお母さんを無視すほどクタクタになるまでこき使うなんて」
美織は家で母の声を無視したことなどない。
おそらくメールのことを言っているのだろう。しかしメールは増える一方で返信しても返信しても終わりがない。
そもそも本来は勤務中はガラケーに触ってはいけないのだ。
「美織ちゃん、仕事を始めたばかりで大変だね。でもお母さんは大切にした方がいいよ。毎朝、お弁当を作ってくれるのはお母さんなんだ」
「はい、はい……今後は気をつけます。私はママが大好きなんです」
そうかい、と去っていく山下のおばさんの目がいつものように優しくてやっと美織は一息つけた。
「美織、大丈夫?」
千花にそう言われてはっと顔をあげる。随分疲れているようだった。
今日は毒親同盟の日。
美織と千花は近所の喫茶店にきていた。古い店で牧子がいる頃は三人できた事もある。
「仕事、そんなにきつい? 私はパン屋のアルバイトだから職員の美織のことは分からないかもしれないけど」
「……ううん、そんなに」
辛いのは仕事のことじゃない。ただ母がどうしたら笑ってくれるのか分からないのだ。
山下のおばさんに孝行娘だと思ってもらい続けるにはどうしたらいいのか。答えのない迷路を歩いているようだ。
(千花なら、分かってくれる? 毒親同盟だから?)
千花は最近は父が大人しくほっとしているようだ。彼女なら分かってれるのでは。
「もしかしてお母さんのこと? また電話がかかってきたとか?」
心臓がドクンと蠢いた。千花なら分かってくれるかもしれない。美織はじっと下を向くと一分ほど黙った。
「……ううん、大丈夫。いつもと変わらないよ。慣れない仕事で疲れただけ」
仕方ないのだ。母はいつも父と祖母にいじめられる可哀想な人なのだから。
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