第1話 孝行娘は檻の中
遠縁の大叔父が死んだ。
慌てて制服を着込んで駆けつける。葬儀の後の精進落としで美織はぼんやりと牧子と千花のことを思い出していた。
(牧子、本当に東京に行っちゃったな。卒業したら帰ってくるのかな。絶対に家には帰らないって言ってたけど)
もう三人で話すことはないのかと思うと背中が丸くなる。
すると誰かが牧子の話をしていた。父と叔父だ。この二人は結構仲が良く、嫌な意味で馬が合った。
「南さんのお嬢さんはK大に行ったんだって。さすがだな」
「県大の家庭教師をつけたからだろ。まあ、うちの美織とは根本的に違うのさ」
「はは、それは美織ちゃんが可哀想だ。南さんのお嬢さんは特別なんだから」
美織はハッと振り返った。母はよそ行きの笑顔をしていた。こういう場所の母はとても社交に気を遣う。
「あなた、ビールよ」
「おう」
母は父の空になったコップに瓶ビールを注いだ。空のビール瓶が増えると店員を呼んだ。テーブルの上はガラスのコップでいっぱいだ。
「もう、美織ちゃんはいつもいい子ね」
母を真似てグラスを片付けていると優しく撫でられた。少し誇らしい。
「ううん、ママ」
「美織ちゃんはママの自慢の娘よ。本当に優しい子なんです。この子には自分の好きな人生を選ばせたいと思ってるんです」
褒められて悪い気はしない。
けどいつものことだと感じた。母は人前になると美織の気遣いを大声で褒めるのだ。そして母想いの娘を育てたことをアピールしたがる。
「美織ちゃんは卒業したらどうするんだい?」
美織は自分に視線が集まって頬が赤くなった。三月も終わりだ。卒業式は間近に迫っていた。
母が喜ぶ言葉を必死に探す。
「はい、地元で就職をしようと思います。母のそばについていたいので」
「ほほう、美織ちゃんはずっとここにいるのかい。東京とまでは言わないが、都市の方に出れば少しはいい仕事があるよ。実家からだって通えなくもないだろう?」
美織は探るように母を見た。
実のところ、卒業したら実家からすぐのスーパーに就職が決まっていた。それが母の勧めだった。
「美織はね、とても親孝行なんですよ。うちで家事を手伝いながら働きたいって言ってきかないんだから。私は県庁の辺りまで働きに出たらって言ったんですけど」
「……はい、ママのそばにいたくて」
確かに母は県庁の仕事を口では勧めた。
けれどそれに美織が興味を示すと酷い顔になった。これは不正解だったと慌てた美織は地元のスーパーに履歴書を送った。
「それがいい。なんだかんだ、娘は手元にいるのが一番だよ」
会話に割って入ったのは叔父だった。少し酔っているようだ。黒いネクタイを緩めて、空のビール瓶が二本テーブルの上に置いてある。
「うちの娘なんて東京から滅多に連絡一つよこさない。俺たちの老後になったら介護をしなきゃいけないのに何考えてるんだか。
その点、美織ちゃんはいいね。やっぱり家のことは娘に任せるのが一番だよ」
「そうだね、美織ちゃんは親孝行だね。最近の子供は親の世話を放棄するとんでもない奴がいるから」
「西野さんの家は将来安泰だ。本当、息子はともかく娘が家のことをしないなんてとんでもない時代になったもんだ」
他の親戚まで微笑んでくれる。笑顔に囲まれて美織は悪い気はしなかった。
まだ若い両親の介護など想像もできなかったが、それでも孝行娘という目で見られることはいい気分だった。
(そうだ、私が家にいるとみんな喜ぶんだ)
美織は自分に自信がなかった。容姿は人並み。成績は悪く、運動は苦手。
だから、家にいることで褒められることと少し胸を張れる。精進落としの寿司を食べ終わるまで美織は褒められ続けた。
ふと毒親同盟のことを思い出す。
(私は毒親同盟にいていいのかな。パパはたまに怒鳴るけど千花のパパみたいに殴るわけじゃない。ママは……確かに電話はやめてほしいけど、優しいよ。いつもお菓子を食べさせてくれる。メールもやめてほしいけど……毒親なんて大袈裟じゃないかな)
それでも千花と牧子とは友達でいたい。だから毒親同盟には所属し続けることにした。
美しい家族愛。誰もが褒める孝行娘。
それが檻だと美織は気付くことなく、むしろ長所のない自分の拠り所にしていた。
美織は宣言の通り、家の近くのスーパーに就職した。
正規の雇用ではなく、まず試用期間として雇われた。朝、八時にお弁当を持って家を出る毎日に慣れるまでなかなか時間がかかった。
「美織ちゃんが大人になってくれてママ嬉しいわ」
そう言ってお弁当を持たせてくれる母は毎朝美しい笑顔を見せてくれる。
スーパーではまず品出しをすることになった。運動が苦手なので失敗もあったが人手不足のスーパーの店員たちは美織に優しかった。丁寧に仕事を教えられて美織も安心して仕事に集中できた。
休憩室で母のお弁当を食べていると母と同じ年頃の中年の女性がよく気遣ってくれた。その人はこの職場で長く、だから美織は居心地良くいられた。
(よかった、この仕事について。ここならずっと頑張れそう)
しかし仕事が始まって三ヶ月が経った頃、家に帰ると母は冷たい目をしていた。
「美織ちゃん、返信はどうしたの?」
しまったと握り込んだ拳の中で爪が肌に食い込む。
母は就職してからメールの数が減っていた。美織も見ていたが忙しさで返信はしていない。就職したのだから母もそこまで望まないと希望を抱いていた。
「ごめんね、ママ。仕事が忙しくて」
「なにそれ、言い訳?」
「……ごめんなさい」
「ああ、いいのよ、ママは。美織ちゃんは仕事が忙しいの……でも誰よりも優しい美織ちゃんはいなくなったのね」
「そんなことないよ!」
必死に弁明した。
母は可哀想な人なのだ。決して雑に扱ったわけじゃない。
「いってらっしゃい」
それでも翌朝、お弁当を渡す母の目は信じられないほど冷たいものだった。
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