第20話 「家の恥」
千花が行ってしまってから一年が経っていた。美織は三十六歳になっていた。
美織の生活は相変わらず母中心だが隙間時間を見つけてスマホの世界に入り浸るようになっていた。
ずっと匿名SNSにハマっている。最初はやり方がよく分からず『死にたい』とそのままの気持ちを投稿していたら制限というものを受けた。
『かまってちゃん』というリプライを受けたり、いのちの電話を勧められて鬱陶しかった。
今は知識をつけて鍵をかけて自分しか見えないSNSの世界を構築していた。
(千花がいなくてもこうしていれば大丈夫)
千花がいなくなって誰かに話を聞いてもらえることも無くなった。牧子と千花とはLINEは繋がっていたが自分を置いて行ったと思うと話す気になれない。
気が狂いそうだった美織は電灯に吸い寄せられる蛾のように匿名のSNSに引き寄せられていった。
『死にたい』『世界が滅べばいいのに』『どうして行ってしまったの』『ママ、いつまで』
そんなポストを誰とも繋がっていないSNSで放流する。
毎日呟くのはそんなことばかりだった。だって毎日思っていることが同じなのだから。
少し不思議に思う。気持ちを流すなら別にノートに字を書いたり、メモアプリに書けばいいのだが、それは気持ちが楽にならなかった。例え誰にも見られなくても、どこかに繋がっている場所で吐き出すことで初めて楽になれた。
そんな時間も一日に合計三十分くらいだ。
美織はSNSから気持ちを切り替えて母のLINEの返信を始めた。
母のLINEがないのは母がお風呂に入ってるか、料理をしている時くらいだ。それも直前までLINEの量が増えるので自由時間は三十分くらいだった。
ふっと通知に母以外のものが混じる。美織の顔が陰る。
千花のLINEだった。
『年賀状に書いたあの話、本当になるかも』
千花は牧子と同じように局留めで美織に年賀状を送ってきた。
牧子は最近はカウンセラーになる勉強の進捗ばかりで美織はなぜ彼女に天罰が降りないのか分からなかった。
千花の年賀状にはこう書いてあった。
この人と結婚するかも、というボールペンの字の横で背の高い男性と二人で写った写真がプリントされていた。
美織は千花の両親が狂ったように千花を探していることを知っていた。
(どうして? どうして、親不孝の二人ばかり幸せになるの? しかも千花は結婚なんて……)
あの惨めなお見合いの日々を思い出す。
美織は結局結婚には届かなかった。それなのに親を捨てた千花は結婚するというのか。
美織の日々は彼女たちと違って変化はない。
毎日何時間も母の愚痴を聞いて、お菓子を胃に詰め込み、嵐のようなLINEに残り時間で返信する。
ほんのわずかな時間でSNSに愚痴を流す。
千花が行ってしまってから外出は祖母のオムツを買いに行くくらいだ。
自分は誰とも繋がっていない。千花が行ってしまってからそんな風に考えることが増えた。
母とは本心では繋がっていない。SNSは本心を流すと鬱陶しい目にあう。
唯一、本心らしき会話ができた千花は自分を捨てて行ってしまった。何度牧子のせいだと泣いただろう。
(どうして、私、一人なんだろう?)
最近、惨めでたまらない。
「美織ちゃん」
母の声だ。はっと顔を上げるといつものようにノックなしで美織の部屋にいた。
いつもと違って無表情で何かあったのだと勘づいた。
「おばあちゃんの容態が変わったらしいの。パパと病院に行くからついてきなさい」
祖母は一ヶ月前に風邪を拗らせて入院したばかりだった。
祖母が死んだ。肺炎を拗らせてそのまま戻らなかった。
葬儀会場で美織は必死で無表情の仮面をつけていた。
黒い紋付きの和服の母は挨拶周りで忙しそうで流石にLINEは送ってこない。父も喪主としてバタバタしている。
また太ったのか美織はレンタルのブラックフォーマルの喪服が少しきつい。首のパールネックレスが首に食い込んで鬱陶しかった。
(やった、やった。おばあちゃんが死んだ!)
世界中に祝福されているようだった。
祖母はいつも美織を責め、いい思い出などない。母だってあんな風になったのは祖母がいじめ抜いたからだ。
祖母は父の母だが、母を見捨てた父の母なら尚更どうでもいい。
美織は葬儀会場にいる人にみんなキスして祝福をしたいほど舞い上がっていた。流石にそれをしたら薄情だと思われるので我慢している。
(でもママはわかってくれるよね。全部おばあちゃんのせいだもん。きっとこれでママも変わってくれるはず。あんなに話を聞かなくても、LINEに返信しなくてもいい、お菓子を食べなくていい。普通のママになってくれるはず……)
美織は三十をすぎてから滅多に冠婚葬祭に出ない。
結婚式は憂鬱だし、葬式はもっと憂鬱だからそれで楽だった。何より母が出席して美織は留守番になることが多く、その間は滅多にない自由時間で歓迎していた。
だから葬儀会場に来ている親戚にはあまり見覚えがなかった。
高校を卒業した頃はたくさんの大人たちから孝行娘だと褒めてもらった。あの時の人はいるだろうか。
「あ、おじさん!」
「え……美織ちゃん?」
東京に行った娘と比べて家にいる美織を孝行娘だと言ってくれた叔父だ。
彼はギョッとしたように美織の頭から爪先まで視線を這わせた。
「そうか……本当に」
「おじさん、今日は遠くから来てくれて……?」
叔父は汚いものを見たように去っていった。
美織は他の親類に話かけようとしたが皆よそよそしい。美織に話しかけないが、一方でひそひそと美織を見て聞こえるか聞こえないかの声で話す。
「……最初、分からなかったよ。最近、冠婚葬祭にも出ない礼儀知らずらしいじゃないか」
「あれじゃ、愛子さんが出さないのも分かるけどね。太るにも限度があるわ」
「引きこもりらしいじゃないか。三十もすぎて結婚も働きもせず……」
「やめておけ、葬式中だぞ」
「西野の家の恥だよ」
美織は全身が凍りついた。孝行娘だと褒められたあの精進落としが遠ざかっていく。
恥? 美織は母の言うことをなんでも聞く、牧子とも千花とも違う孝行娘なのに……。
(西野の恥って……なんで? 私、ずっとママの言うこと聞いてるのに……?)
葬儀に来た僧侶の読経を聞きながら、美織の身体は凍りついたままだった。
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