第19話 ママのことは私が一番分かってる
新幹線のホームで美織は震えていた。
目の前にはキャリーバックとボストンバックを持った千花がさっぱりした表情で立っていた。
千花は白いニットのカットソーと水色のジーンズを着て、美織は焦茶のスウェットと黒いパンツを着ていた。
空はよく晴れていた。秋らしいうろこ雲が青い空を彩っていた。
「美織、元気でね」
「千花……本当に東京へ行っちゃうの?」
千花は少し目を伏せると頷いた。
誇らしげな表情に千花の本気を感じて美織は恐れていた日が来たことを痛感した。
「牧子の家に行くの?」
「うん、いいって言ってくれた。牧子も気が長いよね。あの頃の約束をまだ果たそうとしてくれている」
美織は内心で牧子を暗い感情を抱いた。
どうして牧子だけでなく千花まで連れていくのだ。美織はこれから誰に本心を話せばいいのだ。
(どうしよう、どうしよう、これからどうしよう)
「と、東京って大変なとこなんでしょ? もっと近くでもいいんじゃ」
「あはは、東京って物価高いらしいもんね。まあでも、しばらくは東京で頑張ってみる。これでも八年アルバイトして自信ついたんだ」
アルバイトという単語にまごつく。美織はその八年間、働いていない。
働けなかったというのが本音だ。母のメールやLINEに即レスしなければならないし、母の話を聞くとふらふらになってしまい、寝ることしかできない。
千花のようにうつ病の診断を得ることもできなかった。
(だからなの? でもママに隠し事なんてできないよ。こっそり病院に行くなんて親不孝だもん)
千花の見送りだって「一緒に市外に遊びに行くから」と母に嘘を言うのは一大決心だったのだ。
千花は腕時計を気にしていた。もうすぐ新幹線に乗って千花は東京へ行ってしまう。
美織は彼女を引き留められる言葉を必死で探したが何も見つからない。
千花は酷く真剣な顔になった。
「ねえ美織、一緒に東京に行かない?」
「……え?」
「このままじゃ、美織、一生家から出られないよ。そんなの駄目。毒親同盟として見捨てられない」
千花はすっと何かを美織に掲げた。それは牧子がくれた「毒になる親」の本だった。
ボロボロになるまで読み込んであり、いくつもカラフルな付箋が貼ってある。
美織がもらった「毒になる親」は一度も開かれることなく、本棚で埃をかぶっている。
「で、でも、新幹線が」
「自由席に乗ればいい。私がチケット代を払うから……美織、ずっと母親に束縛されておかしくなってる。あの家にいる限り解放されないよ」
美織は目の前が歪んで見えた。
千花と一緒に東京へ行く? 牧子の家に住む? 千花と離れなくていい?
「ねえ、美織、お願い」
「できない、そんな親不孝!」
美織は一筋の涙をこぼして叫んだ。両手で顔を覆って首を横に振った。
「無理だよ! だってママには私しかいないもん!」
「そんなことないよ」
「違う! パパはいつだってママを見捨ててた。私だけなの、ママを助けられるのは!」
「お母さんはいい大人だよ。本当に嫌なら自分で家を出られる。前も言ったけど生まれただけで親孝行は終わってるんだよ」
「ママのことは私が一番分かっているの!」
二人は肩で息をしていた。
美織は袖で溢れる涙を拭った。千花はじっと美織を見ると寂しそうに逸らした。
「そう……残念だよ、美織」
千花はそのまま新幹線に乗って東京へ行ってしまった。
椅子から立ち上がることなく、いつまでもホームで新幹線が行った方を見つめていた。
(千花、本当にいいの? 親不孝になっちゃうよ? ……確かに千花のパパは酷いけど、ママだっているのに。牧子のせいだ。あんな本を渡すから千花はおかしくなった。牧子は親を捨てて平然として千花まで連れて行ってしまった。どうしてなの、牧子。あなたは親不孝なのにいつも自由で……私はこんなにいい子なのに結婚もできなくて)
千花は風のように東京に行ってしまった。
美織の足はコンクリートのように重く、ズボンの股ずれでうまく立てない。
日が傾くまで椅子で東京の方を見つめていた。
本当に一人になってしまった。
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