第17話 再び檻の中
お見合いの二日後、たまたま千花との毒親同盟の日だった。
いつものチェーン店のカフェで千花とテーブルで向かい合う。
「お見合い、うまくいかなかったんだね」
「……うん」
美織は千花をこっそり観察した。千花は美人というにはちょっと足りないが器量よしで今もすらっとしている。
うつ病のはずだが治療のおかげか目には光がある。アルバイトのお金のお陰か服も流行とまではいかないが新しいものを着ている。
「でも、いいじゃない。いつか私たち東京に行くんだから、この街で結婚なんてしない方がいいって」
千花は明るく言った言葉が美織は信じられなかった。
まだ東京へ行くことを千花は諦めていないのだ。
「でも……私、お金ないよ。アルバイトもできない。東京なんて行けないよ」
「牧子が待ってるよ。私が貯めたお金あるから美織も行こう。週二から始めたアルバイトだったけど思ったよりいいとこでさ、今は週四で働けてる。新幹線ならお金なら貸すから」
「千花……まさか本当に牧子のところへ行くの?」
千花の明るさに慄くように美織は顔を上げた。
「……うん、もうすぐバイト辞めるんだ。目的の金額まで貯まったから。山瀬先生もいいって言ってくれた。来月、私、東京へ行く。牧子にも相談ずみ」
美織はバリンとガラスが割れたような音が脳内で響いた。
千花はずっと毒親同盟だからと美織の唯一の相談相手だった。内容は美織が母の愚痴を言って千花が慰めるものだったがそれでも美織のたった一つの支えだった。
牧子からもLINEが来ていたが牧子は眩しすぎて美織はおざなりにしか返信していない。
ふと、美織は千花の話をあまり聞いたことがないことを思い出す。
千花だって辛いはずなのに美織はいつも自分の辛さをぶつけるので精一杯だった。そんなところが美織は母と似ていた。
(千花が、いなくなったら、私どうすればいいの?)
東京へは行けないのだ。だって美織は孝行娘なのだから……娘には死ぬまで家を守る役割があるのだから。
「ち、千花は怖くない?」
「そうだね……少し怖いよ。でもここまでやってきた自分ならできるって信じたい。牧子だってついてる」
不意に千花と牧子のLINEは美織とのものと違う濃密さがあるのだと気付く。それぞれのタイムラインは違うのだ。
「そうじゃなくて……世間に親不孝だって言われちゃうよ」
千花は目を丸くした。
「言いたい奴には言わせておけばいいじゃない」
ケロッと言い放たれた言葉が信じられなかった。
「美織、そんなこと気にしてたの。そんなこと言うやつ、美織の人生に何の責任も取ってくれないよ。そんなやつのこと気にすることない」
「で、できないよ……私はみんなに親孝行だって言ってもらえる。世間を裏切るなんてできないよ」
「どうして? だって美織のこと本当に大切に思ってないからそういうんでしょ。親孝行とかどうでもいいじゃない?」
言い放たれた価値観があまりにも違いすぎて美織は言葉を失った。千花は続ける。
「山瀬先生にも似たようなこと言われたっけな。暴力を振るう父はともかく母は可哀想もしれない。助けないと親不孝じゃないかって……でもそれも母の選んだ人生だって言われた。
離婚する道だってあったのに選ばなかったのは母の選択なんだって。
子供は生まれただけで親孝行は終わってるんだから、自由に生きてって……だから私、自分の幸せを一番に考える」
「生まれただけで、親孝行は終わってる……?」
嘘だ。じゃあ、美織が返信しなければならないLINEと食べなければいけないお菓子は何だったのだ?
千花も山瀬先生という人も信じられない遠い存在としか感じられなかった。
美織は自然と黙っていた。ただ千花を失う日を恐れていた。
三回目のお見合いが決まった。
美織は偽の写真を使う限り進展はないと冷めていた。しかし母はやる気だった。
「今までの男は見る目がなかったのよ。それに条件も微妙だった。でも大丈夫。次の人こそ美織ちゃんに相応しいわ」
「……うん、ママ」
もう母に付き合うだけだと割り切ろう。そう思って自室へ向かうと母が追いかけてきた。
「美織ちゃん、これを着なさい」
またワンピースかと思ったがベージュの下着に見えた。母に押し付けられたそれに顔をしかめた。ゴムのようによく伸びる素材だ。
「これ、何?」
「補正下着よ。美織ちゃんは太り過ぎだわ」
ぐらと視界が揺れる。太り過ぎ。それは自分では思っていても面と向かって言われると大きな衝撃がある。
母は当然という顔で白いワンピースを差し出した。
「流石にその身体じゃお見合いの人がびっくりしてしまうわ。少しは腰を細く見せないと……あなたのためなのよ」
「はい……ママ」
美織はスウェットの服を脱いで裸になった。
補正下着を着るとかなりきつい。サイズが違うのかもしれない。
腰と腹部を圧迫されてこのままファスナーを上げたら吐いてしまいそうだ。
「ママ、ママ、これ苦しいよ」
「我慢しなさい、そのままじゃみっともないでしょ。次のお相手だってなんて思うか」
みっともない。はっきり言われると心がへし折れてしまいそうだ。
この身体は恥ずかしいものなのだ。母にとって美織は恥なのだ。
(そうに決まってる。だって十年前の写真を騙すために使っているんだから。ママは私を恥ずかしいと思ってるんだ。ずっと耐えてきた私をそんな風に……)
「じっとしなさい!」
母は強引にファスナーを上げた。締め上げられて吐き気を覚える。
視界がグラグラと揺らぎ、逃避のように白昼夢を見る。美織は札のついた檻の中に閉じ込められている。
美織は吐いた。幸い食べたものがなく胃液だけだったが自室のカーペットに吐瀉物がこぼれた。
惨めでたまらなかった。
当日、美織は朝から絶食して補正下着に耐えていた。
食事は残しなさいと母は平坦に言うのみだった。また向かうオーシャンビューのホテルが酷く暗い場所に思えた。
今度のお見合い相手は相田雄一という工場で働く非正規の男だった。
ガラス張りのレストランで一瞥しただけで分かる。もう初老の男だ。
二十五歳年上だと釣書で知っていたが、改めて見ると白髪の多さからおじいちゃんと思ってしまう。
「初めまして、西野美織です」
「ああ……どうも、相田です」
露骨に対応が悪い。
きっと相田雄一も写真と違う美織を詐欺だと思っているのだろう。美織だってそう思う。
(仕方ない、これが親孝行なんだ)
また儀礼的な仲介人と母親同士の会話が始まり、会食は進んでいく。美織は緊張していると言ってほんの少しの水しか飲まない。サラダ一枚口にしたら吐くだろう。
うまく立ち上がれるだろうか。補正下着のキツさから時々視界がブラックアウトする。お見合いどころか美織は帰ることすら危うかった。
「……すみません、この話、なかったことにできませんか?」
突然、相田雄一はそう言った。お見合いの席ではあり得ないことだ。通常は気に入らない話なら後で「もったいない話で」と言えばすむ。
それほど自分が恥なのかと美織が母親の顔色を窺っていると相田雄一は続けた。彼は仲介人の山下のおばさんと母と話しているようだ。
「いや、お宅のお嬢さんがどうこうという話じゃないんだ。ただ、やはりこの話はなかったことにしてほしい。実家が心配で」
美織は相田雄一の右側に座っている着物を着た八十を過ぎた老女を見た。
「雄一、あんたどうしたの? ここは見合いの席なんだよ」
「母さん、婿養子になったら代々のうちの墓はどうなるかどうしても気になった。私も歳だ。結婚に条件をつけられないのは分かってる。だが婿養子前提となると……先祖代々の墓と家のことをどうしても忘れられない」
「婿、養子……?」
母を見ると大理石の像のように微動だにしない。美織の声に振り返りもしない。
婿養子、それは男性に家に入ってもらう形式の結婚のことだ。
相田雄一はまっすぐに美織を見た。その目に宿る誠意に逆に追い詰められていく。
「すみません、美織さん。私はやはり嫁を迎えて先祖代々の家を守っていきたい」
相田雄一の母は頭を下げたが息子に温かい目を向けた。
母は写真のことだけではなく、他にも美織に嘘をついていたのだ。
「あんなジジイこっちから願い下げだっていうのよ!」
全てが終わって自宅に着くと母は相田雄一をそう罵った。
美織は母に聞きたいことがあった。こっそり補正下着のファスナーを下げる。
「ママ、どういうこと? 婿養子って?」
「そりゃそうでしょ。美織ちゃんは一人娘なんだから、この家を守ってもらわないと。嫁に行くなんて冗談じゃない。
あなただって最初から分かっていたでしょ?」
美織は目の前が真っ暗になった。
この家から出たかった。だから慣れない見合いを続けてきたのだ。
それがこの家により強く縛り付けられることになるなんて。
「婿養子前提だとどうしても来る男が限られるけど、美織ちゃんには私たちの老後を死ぬまで見てもらわないといけないんだから当然よね? まあ、今回のことは噂になるからしばらくお見合いは休もうかしら」
「……」
美織は自分の甘さを痛感した。
母に認められてこの家から出るなんてできないのだ。牧子みたいに東京に逃げでもしないと無理なのだ。
「美織ちゃん?」
母は婿養子という針で美織をこの家に深く縫い付けることしか考えていない。
「……ううん、ママ、何でもない」
「美織ちゃんは本当に親孝行ね」
美織は無邪気な声で母に返事をすると母は満足そうだった。
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