第15話 お見合い
何度言っても母はノックをしてくれない。美織の部屋は自分の部屋同然だと思っている。
「ママ、なぁに?」
わざと無邪気な声を出すと母は何かを差し出した。
さっきのシフォンのワンピースだった。パールのネックレスとストッキングも胸に押し当てられる。
「だいたいサイズは合っていると思うけど試着してみて。ああ、あと化粧品を買ってるからワンピースを着たら化粧しなさい」
美織はほとんど化粧の経験がない。化粧品は自分には縁のない魔法の小瓶のようだった。
覚えるきっかけになりそうな仕事も高校を卒業した後は最初のスーパー以外、三ヶ月アルバイトが続いたこともない。
それに高校の頃、メイクの話を牧子や千花としたこともあったが母に話すと「高校生のくせに色気付いてみっともない」と言われて考えるのをやめてしまった。
ワンピースのサイズは少しきつかった。
それでもなんとかファスナーをあげると美織は母の部屋に連れて行かれた。金属で装飾された化粧台の椅子に座る。
テーブルの上に大量に置かれた化粧品の数に美織は圧倒されてしまった。
「ママ、ごめん。化粧したことなくてどれを使えばいいか分からない」
「ええ? あなた、三十すぎて化粧の一つもできないの?」
だってママが、と喉までせり上がってきて慌てて飲み込む。
「ごめん、ママ。私、外に出ないから」
「全く、美織ちゃんはママがいないとすぐ困っちゃうんだから」
母はそれを得意そうに言った。世界中に自慢するように母がいないと化粧もろくにできない美織に母は喜んでいた。
彼女はファンデーションを取り出すと美織の頬に何度も塗った。
「大丈夫、ママが綺麗にしてあげる」
ファンデーションは酷く厚塗りで美織は美しくなっているのではなく、毛穴を全てパテで埋められているようで息苦しい。
塗り直される口紅に言葉が封じられたようだ。
完成した顔は人間の顔というより、母専用のお人形をメイクしたようだった。
お見合いの日はすぐやってきた。
「美織ちゃん、綺麗だねえ。いつもと見違えたよ」
仲介人は山下のおばさんだった。
白いワンピースを着て、ベージュのヒールを履いた、かなりの厚化粧をした美織を褒めてくれた。正直、身体が重くて十センチのヒールは踵が痛い。
今日は山下のおばさんも一緒だ。どうやら仲介人はお見合いの席に同席するものらしい。
「はい、ママが化粧をしてくれたんです」
「おやまあ、本当に母娘仲がいいね」
「美織ちゃん、行くわよ」
お見合いの場所は車で一時間ほどのオーシャンビューのホテルだった。
そこのレストランで高田義夫と見合いの席を持つ。美織は期待を抑えて、母の運転する車の後部座席で夢想した。隣には山下のおばさんが着物姿でいる。
(もしも私を気に入ってくれたらすぐに受けよう。そうしたらあの家から抜け出せるし、誰も親不孝だなんて言わない)
不意に牧子の顔が浮かんだ。結婚をすれば牧子にも負けない。
だって牧子は結婚できないのだから……攻撃的な連想に自分で驚いた。
牧子のことが好きなのに、何か一つでいいから勝ちたいと思っている自分が酷く嫉妬深く感じられた。
(違う! 牧子は親不孝だからちょっと懲らしめたいだけ……)
どんな外見でも心だけは誰より美しい、美織は自分のことをそう思っていた。だって誰もが認める孝行娘なのだから。
「もうすぐ着くわよ」
母の声で顔をあげると大きなホテルが見えていた。
ホテルの一階のレストランに車から移動する。
ガラス張りの窓の外の海の美しさに美織はクラクラした。元々十センチのヒールでクラクラしていた足元が余計に危ない。山下のおばさんが支えてくれた。
十五分前に着いたが高田義夫は先に着席していた。写真の通りの人だ。
左右に二人の中年女性がベージュと焦茶のワンピースを着て白いテーブルクロスの丸テーブルの前に着席していた。
(いい印象をつけなきゃ)
美織はなんとかニコッと笑うと一礼して高田義夫の前に座った。彼はポカンと美織と見つめていた。母と山下のおばさんが左右に座る。
すると儀礼的なやり取りが始まった。母や山下のおばさんと向こうの親族の女性が何やら話している。
退屈で高田義夫を見るとじっと美織を見ていた。心臓が高揚した。
(気に入ってくれたのかな? お願い、そうであって)
美織は下手な愛想笑いを何度もしてしまった。
食事が運ばれてきたが味もろくに分からない。母と山下のおばさんは楽しそうに笑っていた。向こうの親族の女性はなんだか不思議そうに美織を見ていた。
「それじゃ、後はお若い二人だけで」
見合わせたように母と山下のおばさんは立ち上がる。向こうの親戚も戸惑いを浮かべながら退席した。
美織は運ばれていたカルパッチョに手をつけず頭を下げる。
「西野美織です。高田さん、今日はよろしくお願いします」
「ああ……高田義夫です。西野さん、今日は気楽にしてください」
ニコッと高田義夫が笑うので美織は有頂天になった。少しは好かれたのだろうか。
そうであって欲しい気持ちとガラス張りの窓に映った自分の太った姿に気後れを感じた。
「高田さんは役所にお勤めなんですよね。お仕事は大変ですか?」
「まあそれなりに残業はありますが、慣れているのでそこまででは……西野さんはお仕事は?」
しまった。無難な話題のつもりが地雷を踏んだ。
「……家事手伝いです。おばあちゃんの介護が大変で」
「ほほう、それは家から離れるのは大変なんでしょうね」
「そうですね、おばあちゃんは気難しくて訪問介護も嫌だって」
「そうなんですね。私の家も祖母がいて、デイサービスには通っていますが……」
他愛のない話が続く。高田義夫はにこやかで美織は話していて楽しかった。母の話と全然違う。
美織は分かっていなかったがそれは尊重されるという感覚だった。
「そうなんです、ママったら……」
メインディッシュはあっという間に食べてしまった。
穏やかに見合いは終わり美織は有頂天だった。
きっとあの人ならこの場所から美織を連れ出してくれる。
牧子と違って親不孝なんて言われずに祝福されてこの家を出られるのだ。
三日後、一本の電話がかかってきて母は美織を呼んだ。
「お見合い、断られたわ」
「……え?」
「私にはもったいない方ですって」
ぐらっと世界が揺れた。あんなに楽しく話をしたのに駄目だった?
信じられず美織は母に食い下がった。
「も、もったいないなんて、遠慮しすぎだよ。私は全然気にしない。もう一度電話をかけて……」
「断りの常套句よ。何を言っても無駄よ」
常套句。頭から地面に落ちたような衝撃。ただのテンプレートなのだ。
どうして駄目だったのかすら教えてくれることはなく高田義夫は去っていった。
(何がいけなかったの? お願い、それだけでも教えて)
美織は一筋の涙を流した。母はそれを見て視線を下にやった。
「……役所勤めなんて少しまずかったかしら」
「まずくなんてないよ。私、安定した人で素敵だって」
「そういう意味じゃないわ」
母は酷く無感情な目で美織を見下ろした。どういう意味何か教えてはくれないらしい。
「まあいいわ。一回目だし、まだ話はあるわ。美織ちゃんは化粧の練習でもしていなさい」
感想・ご意見など気軽にお寄せください。
ぜひまたお立ち寄りください。
よかったら星をポチッとしてくれると嬉しいです(^^)




