第14話 母に逆らわず家を出られる方法
美織は慣れない車の運転にやっと慣れてきた。
祖母の介護は本格的に大変になり、母の負担は増えている。
祖母は「近所に恥ずかしい」と訪問介護サービスを断り、母だけが介護をしていた。週に二回デイサービスに行く時だけが母の自由時間だった。
美織も手伝おうというとシニア用のオムツの買い出しを命じられた。運転免許は高校卒業後に取っただけでペーパードライバーに近かったが、なんとか近所のドラッグストアと家の往復はできるようになった。
正直、母の話を聞く以外は寝ていたいが母の機嫌が悪くなったので動かざるを得なかった。
牧子の食事会は随分昔になってしまった。一年ほど前だっけ。
(そろそろ返信しないと)
他の車のない田舎の道路で美織は脇に停車した。
スマートフォンを見るとLINEの通知が十件以上。全て母だ。
半年前に母はついにスマートフォンを始めてしまった。LINEを覚えると美織には朝から晩までLINEが降り注いだ。
すぐに既読をつけることが義務だし、既読スルーはもっと許されない。美織は一つ一つの母のLINEにリプライをして、丁寧に返信した。
メールと同じく母のLINEは同じことの繰り返しだったが同じような返信をすると機嫌が悪くなる。ちゃんとパターンを変えて三十分以内に返信しなければならない。
お陰で路肩に停車する事にも慣れた。田舎のろくに車がない環境に感謝さえした。
全て返信するとどっと疲れが出た。椅子にもたれる。
本当はずっと寝ていたい。一体いつまでこうしていればいいのだろう。
牧子のことを思い出す。いつか一緒に毒親の家を出ようと言っていた。
しかし美織には牧子のような東京で生きていく賢さもアルバイトを続ける千花のようなたくましさもない。
山下のおばさんに親不孝と思われることが何より怖い。
(もうこんな生活をやめたい。でも……私は牧子や千花みたいになれない。親不孝と言われないでこの生活を抜け出す方法ってないのかな?)
ぼうっと空を見上げると晴天だった。春の空はいつも穏やかで、東京にも繋がっている気がした。
ここから逃げ出したい。けれど親不孝と言われるなら今のまま耐えた方がマシだ。
それを両立させる方法はないだろうか?
「……あるわけない」
美織はエンジンをかけ、誰もいない道路を帰って行った。
母にいつものように呼ばれると母の部屋に何かがあった。
お菓子がないことに強烈な違和感を感じた。
ベッドの上にパールのネックレスとシフォンの白いワンピースがあった。
「美織ちゃん、お見合いをしさない」
「え……?」
美織は足元がぐらっと揺れた。
お見合い? それなら親不孝と言われずにこの家を出られるのでは?
結婚という単語に牧子のことを思い出す。
美織は視界が明るくなった。まるで晴天の下にいるようだ。口元に笑みが浮かびそうになる。
(牧子にはできなかったけど、私なら……)
結婚なら親不孝などと言われない。むしろ孝行娘だと褒めてもらえる。
(やっと怒られずに解放されるんだ)
美織の沈黙を肯定と受け取った母は饒舌でテーブルの上で何かの封筒を弄んだ。
それは普通の封筒より少し大きいもので釣書と書いてあった。その白さがとても眩しく見えた。
「山下さんがいい話を持ってきてくれたのよ。美織は三十過ぎてるのにいい話がない。いつも家事と介護を手伝ってる孝行娘だから婚期を逃したんじゃないかって。まあ、確かに美織もよく考えるとそんな歳よね」
釣書とはお見合いの際に交換するプロフィールのようなものだと説明される。
母はすでに開封しているようで、美織にも見るように示した。
封筒の中身を見ると写真と厚手の和紙が入っていた。指先に吸い付くような和紙の手触りが心拍をあげる。
写真の中では中年の男性がスーツ姿でぎこちない笑みを浮かべている。太っていたがぽっちゃり程度だ。和紙は三つ折りにされて、その折り目が指先で酷く鋭く感じられた。
読むと県大を出た男性で役場に勤めている。年齢が十歳年上だが美織にはもったいない相手だった。
残念なのは近くに住んでいて美織を完全に母から離すことは無理であることだけだった。
『優しい家庭を築きたいです』
釣書の最後にはそんな言葉が書いてあった。美織はその言葉に賭けてみたいと思った。
「分かったよ、ママ。私、この人とお見合いする」
もちろん母は満面の笑みを浮かべた。
美織は鏡を見た。一年前より太っている。
お見合いは一週間後だが相手は見た目を気にするだろうか。
(そういえば写真、撮ってないけど大丈夫かな?)
相手の男性、高田義夫はスタジオのような場所で写真を撮っていた。美織は最近スタジオで写真を撮った記憶はない。
そもそも母が話をほとんど先に決めてしまったので美織は従うことしかできない。さっき釣書を見せられるまで何も知らなかった。
それでも期待はあった。結婚すれば母はLINEをやめてくれるかもしれない。
即レスしなくても機嫌を悪くした顔を見ないですむ環境になればそれでいいではないか。
「それに山下のおばさんが勧めてくれたんだ」
美織はつっと鏡の自分の顔に触れた。
(あの人がここから連れ出してくれるかもしれない)
「美織ちゃん」
はっと振り返ると母が部屋にいた。
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