第8話 小さなペンダント
戦いが終わった後も、灰壁砦に休息と呼べる時間はすぐには訪れなかった。
第五騎士団は砦の周囲へ警戒線を敷き、退いたストログ兵の動きを探っている。砦内では、第二・第三遊撃団の治癒要員が負傷者の処置に追われ、兵たちは損傷した門や外壁から使える資材を運び出していた。
ライトスは行き交う兵の報告に耳を傾けながら、砦の内外へ目を配った。戦いは終わっても、守るべき者と確かめるべきことは残っている。
外壁と門の損傷を確認したジルバが、ライトスたちへ告げた。
「帰還は負傷者を動かせる状態にしてからだ。第五騎士団が周囲を守る。今のうちに兵を休ませろ」
「ありがとうございます。敵が再び動く可能性は?」
ライトスの問いに、ジルバは森の方角を見た。
「斥候を出している。国境を越えて追うつもりはないが、こちらへ戻るなら早めに分かる。今は敵より、味方を倒れさせないことを考えろ」
その視線が、ライトスの青ざめた顔へ向けられる。
「お前も休め。あれだけの守護魔法を使い続けた直後だろう」
「先に負傷者と物資の状況を確認します」
「それを任せられる者がいないのか?」
横にいたガランが、すぐに答えた。
「おります。団長本人が、任せようとしないだけです」
「ガラン」
「事実だろう。後は俺とトッキーで見る。少し座っていろ」
ライトスは砦内を見回した。負傷者の搬送は滞っておらず、トッキーも動ける兵をまとめている。ここで自分が倒れれば、かえって指揮を乱すだけだ。
「分かった。負傷者と物資の確認は任せる。異常があれば、すぐに報告しろ」
そう指示し、ライトスは砦の壁際へ腰を下ろした。途端に、全身の重さが押し寄せる。守護魔法を解いた時より、緊張が切れた今の方が疲労は強かった。
そこへ、水の入った器が差し出された。
「団長、ゆっくり飲んでください。一気に飲むと身体が驚きます」
弓を背負ったままのキュリが、ライトスの前へしゃがんでいた。
「ありがとう。キュリも休め。東側でずっと戦っていただろう」
「私は団長ほど魔力を使っていません。それに、自分で歩けます」
「僕も歩ける」
「先ほど、ガラン副団長に支えられていました」
痛いところを指摘され、ライトスは黙って水を受け取った。器を持つ指に力が入りきらないことまで、キュリには見抜かれているらしい。
少し離れた場所で、その様子をユキネが見ていた。
キュリはライトスの状態をよく見ていた。必要なものを先回りして用意し、本人が無理をすれば、団長を相手にしても遠慮なく止める。入団から長い兵には見えないが、二人の間にある信頼は自然なものだった。
ユキネは周囲の警戒を解かないまま、無意識に胸元へ手を触れた。衣服の内側には、幼い頃から手放さなかった小さな木彫りのペンダントがある。
遠い日の約束を、自分だけは忘れないために持ち続けてきたものだった。
レインが隣へ来て、ユキネの視線を追った。
「あの方が、ライトスなのですね」
「はい」
「ずっと探していたのでしょう?」
ユキネは小さくうなずいた。
「ですが、向こうは私に気づいていません」
「幼い頃に一度会っただけなら、仕方がありません。ユキネはあの頃より、ずいぶん成長しましたから」
「ライトスも成長していました。それでも、私は気づきました」
わずかに不満を含んだ声に、レインは口元を和らげた。
その横で、負傷者の確認を終えたシャルンが、書きつけへ目を落としたまま言う。
「ユキネ殿下は、ライトス殿を忘れたことがなかったからです。ライトス殿にも同じ条件を求めるのは、公平とは言えません」
「分かっています。責めるつもりはありません」
「では、なぜそのペンダントを衣服の外へ出そうとしているのですか?」
胸元へ伸ばしかけた手を止め、ユキネはシャルンを見た。
「見せてはいけませんか?」
「いけないとは申し上げていません。意図が分かりやすいと申し上げただけです」
レインは二人を見比べた。ユキネが何を選ぶかは、姉であっても決められない。
「シャルン、あまりユキネを困らせないでください」
「困らせるつもりはありません。状況を確認しただけです」
「その言い方で確認されると、逃げ道がなくなるのです」
ユキネは二人から顔を背け、小さな木彫りのペンダントを衣服の外へ出した。迷いを隠すような手つきではなかった。
やがてライトスがガランに呼ばれ、その場を離れた。
キュリは空になった器を片づけようとして、レインたちの前を通る。ユキネの胸元にあるペンダントへ気づき、足を止めた。
「きれいな飾りですね」
近くで見れば、職人の作った品ではないことはすぐ分かる。不揃いな部分が残る、素朴な木彫りだった。
「きれいというより、随分と古いものでしょう」
ユキネはそう言いながらも、隠そうとはしなかった。
「大切になさっているのですね」
「幼い頃、ある人からいただきました。私にとっては、どんな宝石より大切なものです」
キュリはペンダントを見た後、先ほどライトスが去った方角へ視線を向けた。
ほんの短い間だった。
だが、その仕草だけでユキネは気づいた。
「何か分かりましたか?」
「王女殿下が、砦へ来てから誰をご覧になっているのかは」
キュリは身分差に引くことも、曖昧に濁すこともなく答えた。
「その方と、今日再会なさったのですね」
ユキネは否定しなかった。
「よく人を見ていますね」
「人と話すことは好きです。それに、ライトス団長のことなら、普段からよく見ていますから」
穏やかな口調だったが、そこにははっきりとした意味があった。
ユキネの目がわずかに細くなる。
「あなたは、ライトスと長く同じ部隊にいるのですか?」
「いいえ。今年、第二遊撃団へ入ったばかりです」
「それにしては、随分と親しいように見えました」
「団長には、昔、私の村を救っていただきました。その時から、いつか同じ団へ入り、そばで支えられる人になりたいと思っていました」
キュリはまっすぐにユキネを見た。王女を前にしていることは分かっている。それでも、自分の気持ちを隠して退くつもりはないのだろう。
ユキネは胸元のペンダントへ触れた。
「私は、この方からいただいた約束を忘れたことはありません」
「そうですか」
「ええ」
短い言葉の間に、互いの想いは十分に伝わっていた。それでも、険悪な空気にはならなかった。
キュリは負傷者の方角へ目を向ける。
「今は、団長に休んでいただくことが先ですね。放っておくと、また自分で全部確認しようとします」
「それには同意します」
ユキネが即答すると、キュリは少しだけ表情を和らげた。
離れた場所で見守っていたレインが、シャルンへ小声で尋ねる。
「止めなくてよいのでしょうか」
「争ってはいません。互いの立場を確認しただけです」
「シャルンには、そう見えるのですね」
「レイン殿下にも、そう見えているはずです」
レインは返事に困り、視線を逸らした。その先では、トッキーが疲れた兵たちへ明るく声をかけながら、帰還に備えて動ける者を確かめている。
シャルンはその視線にも気づいたが、今度は何も言わず、負傷者と物資の書きつけを照合した。
しばらくして、ジルバから帰還準備を始めるよう指示が出た。
第五騎士団5,000人が周囲を守り、中央に王女一行と負傷者を置く。その近くを第二・第三遊撃団が固める隊列だった。
ライトスは各隊の配置と負傷者の移送準備を確認し、ガランとトッキーから報告を受けた。任せた仕事を取り上げることなく、必要な指示だけを返していく。
出発前、ライトスはユキネの胸元に木彫りのペンダントがあることへ気づいた。
しかし、それが自分の作ったものだとは思わなかった。
ユキネもまだ、何も伝えない。
灰壁砦で生まれた小さな再会の秘密を胸に、一行はクラスト王都へ向けて歩き始めた。




