第58話 答えの手前
クマークは、丞相府へ入ってきた4人を見ても席を立たなかった。
マウク、シャルン、ルートシン、ミカ。
どの顔も、少し前までなら同じ場所へ揃うことなどなかったはずだった。死刑を告げた内政官は生きて戻り、王命に従ってアドラスへ向かった第一騎士団長はレインとユキネを本人だと認め、その隣には第三騎士団長までいる。
「随分と大人数で来たものだな」
「僕も、こうして戻ってくることになるとは思っていませんでした」
マウクは穏やかに答えたが、笑わなかった。
シャルンは挨拶を長引かせず、持ってきた紙を開いた。
「確認したいことがあります。マウク様がウェル殿下へ同行する予定だったこと、その同行が出立直前に国王命令で取り消されたことは、王城の手続き上も事実でした」
クマークの目が紙へ落ちる。
「それがどうした」
「その命令書は後に丞相府から返却を求められています。理由は手続き上の不備による差し替え。しかし、差し替え後の書類は残っていません。決裁番号にも欠けがあります」
シャルンは一度も声を強めなかった。
「一方、マウク様の裁判では、ウェル殿下を単独でストログへ向かわせたこと自体が罪状の一部として扱われました。国王命令で同行を外された人物が、自ら単独出向を仕組んだことになっています。両方を同時に正しい記録として扱うことはできません」
シャルンは、クマークに考える隙を与えても、論点から逃げられる余地は与えなかった。命令書と裁判の罪状。どちらかの経緯が事実と異なることを示し、先に責任者の名を決めることなく、書類の行方だけを問うた。
「私に書類庫の1枚1枚まで覚えていろと言うのか」
「いいえ。誰が責任者かを今ここで決めるつもりもありません。丞相府が回収した命令書がどこへ行ったのか、差し替えるはずだった書類がなぜ残っていないのか。それだけを確認しています」
クマークは返さなかった。
マウクが続ける。
「僕が牢で聞かされた罪状についても同じです。クマーク様は、あの場にいました。証人も傍聴人もいない裁判で、僕は証拠を確認する機会を与えられませんでした。今なら確認できます。あの時、僕がウェル様の単独出向を仕組んだと判断した根拠は、何だったのでしょう」
「裁判は終わった話だ」
「僕は死刑囚ではなくなりました。終わったことにするなら、なぜ死刑判決が出たのか、その判断に使われた根拠書類は何だったのかを明らかにしなければなりません」
マウクの声は静かだった。
その横でシャルンは、クマークの答えではなく、答えなかった項目へ印を付けていく。
マウクの隣で言葉を補うのではない。何が答えられ、何が答えられていないのか。後から誰が読んでも事実と沈黙を混同しない形にすることが、シャルンの役目だった。
クマークの視線がその手元へ向いた。
「何を書いている」
「質問と回答です。回答がないものは、回答なしと残しています」
「私を取り調べているつもりか」
「いいえ。取り調べる権限は私にはありません。ですから、事実確認だけをしています」
短い返答だった。
ミカは扉と廊下へ意識を向けたまま口を挟んだ。
「答えられることなら答える。確認が必要なら確認すると言う。それで済む話でしょう。分からないことを分かったふりで埋めないのは、こっちも同じよ」
ミカはクマークの名も地位も答えの代わりにはしなかった。ウェルの異常を未知の魔法へ押し込めなかったのと同じく、言えることと言えないことを分ける。その明快さが、逃げ道を探す言葉を退けた。
ルートシンもクマークと正面から向き合った。
「私は両殿下を捕縛し、抵抗する場合は討ち取る王命を受けました。その命令に従ってアドラスまで進軍しました。ですが現地で両殿下を御本人と確認し、第六騎士団の反逆も見ています。今は、命令が出た事実と、その根拠が正しかったかを分けて考える必要があります」
クマークの指が机を1度叩いた。
「国王陛下は亡くなられた。ボリャークも死んだ。今さら命令の経緯を掘り返して、何になる」
その言葉に、シャルンの筆が止まった。
「亡くなられたからです」
クマークが顔を上げる。
「お2人へ確認できない以上、残された命令書、決裁簿、裁判書類を照合しなければなりません。死者の名を使えば何でも正しいことにできる状態を残す方が危険です」
部屋から言葉が消えた。
マウクはクマークを責める言葉を加えなかった。
「僕たちは、あなたが何者かを決めに来たわけではありません。まず関係書類を確認します。同行中止命令を丞相府が回収した際の受け渡しを示す書類、僕の裁判に使われた根拠書類、ボリャーク様が各騎士団へ出した軍令。それぞれを発生した順に照合します」
クマークは4人を見渡した。
自分が1言命じれば、相手が退いた頃とは違う。ここで拒めば、その拒否自体が記録に残る。
「……好きに調べろ」
それだけ言い、視線を逸らした。
シャルンは紙へ新しく1行を書き加えた。
許可が出たことではない。
調べるべき場所が、ようやく王城の中で開いたことを残すためだった。
*
レインたちがホールへ入ると、ウェルは足を止めた。
そこは3人が幼い頃、何度も一緒に過ごした場所だった。
固有の名を呼ばなくても、姉弟にはそれで十分だった。
ライトスにとっては初めて入る場所だった。ホールの広さ、出入り口、レインとユキネからウェルまでの距離を、会話を妨げないまま確かめる。トッキーの位置も含め、何かが起きれば誰がどこへ入るかを頭の中で組み立てた。
「覚えていますか?」
レインが尋ねる。
ウェルはすぐにうなずいた。
「もちろんです。姉上たちと、よくここに来ました」
言葉は止まらない。
先ほどまでの苦しさもない。
レインはその違いを確かめるように、父の死にも王城の命令にも触れなかった。
「私も覚えています。今日は何かを白状させるためではなく、あなたが普通に話せることを確かめるために来ました」
「はい」
ユキネは姉弟の会話へ割り込まず、ウェルの顔と手の動きを追っていた。アドラスで1度だけ向けられた、弟のものとは思えない視線。それが戻るなら、今度は見落とさない。
姉を庇うための位置は崩さず、自分からウェルへ近づきすぎることもしない。弟を恐れて下がっているのではなかった。異変が起きた瞬間、剣士として確実に動ける間合いを選んでいた。
ライトスも少し離れた位置から3人の様子を確かめた。守護魔法はまだ使わない。何も起きていないうちからウェルを敵として囲めば、話を確かめるために場所を移した意味がなくなる。
ただし、レインとユキネのどちらへ何かが向かっても、すぐ間へ入れる距離は保った。
ウェルを押さえる必要が生じても、傷つけることは避けたい。先ほどの部屋で考えたとおり、ライトスの中ではウェルも守るべき相手だった。
トッキーも剣へ手をかけてはいなかった。
それでも、腰にある剣の重さはいつもよりはっきり感じていた。
ミカと試した時、剣へ流した魔力は1度だけ弱い術を歪ませた。だが再現できず、術を斬れると呼べる段階ではない。
今ここで、その未完成なものに意味があるとは誰も考えていなかった。
レインはウェルへもう1度問いかけた。
「ここへ来たことを、嫌だとは思いませんでしたか?」
「いいえ。むしろ……少し安心しました。父上のことを考えなくていい時間が、今の僕にも残っているんだと思えたから」
その答えに、レインはすぐ慰めを返さなかった。
父を殺したのがウェルの身体であることは変わらない。
だが、その間の記憶を失い、理由も分からず、それでも自分がやったこととして背負おうとしている弟を、罪だけで見たくもなかった。
「では、今はそれでいいです。分からないことを、無理に答えにしなくても」
ウェルは姉の顔を見た。
次にユキネを見る。
2人がここにいる。
近い。
逃げてほしい。
その言葉は、やはり口にできない。
ウェルは何でもない顔を作ろうとした。
「姉上――」
呼びかけた、その途中だった。
意識が途切れた。
ユキネは最初に気づいた。
ウェルの目から、つい先ほどまであった迷いが消えた。
アドラスで見た一瞬と同じだった。
だが、今度は戻らない。
ユキネの手が剣の柄へ動く。
「姉上、下がってください」
レインが息を呑む。
ライトスも同時に1歩前へ出た。
トッキーの手が腰の剣へ触れる。
ウェルの身体が、レインとユキネの方へ向きを変えた。
弟としてではない目で、2人を見たまま。




