第57話 二つの行き先
ウェルが拘束されている部屋の前で、レインは一度足を止めた。
扉の両側には近衛兵が立っている。ユキネは廊下の奥と曲がり角へ視線を走らせてから、姉の隣へ戻った。
「姉上。中へ入る時も、私がそばにいます」
「ええ。ですが、ウェルを罪人として問い詰めるために来たのではありません。何が起きたのかを、本人と一緒に確かめます」
近衛兵が扉を開く。
椅子に座っていたウェルが顔を上げた。
「姉上……ユキネ姉上も」
その声は、アドラスで再会した時と変わらなかった。
レインはすぐに駆け寄らなかった。父を失った娘としての感情と、弟を案じる姉としての感情。そのどちらかだけで判断すれば、確かめるために王都へ戻った意味がなくなる。
「ウェル。父上が亡くなった時のことを、近衛の方から聞きました」
ウェルの顔が曇る。
「僕がやりました」
「その時のことは覚えていないのですね」
「父上に返事をしようとしたところまでは覚えています。その後がありません。気づいた時には……父上が死んでいて、僕はその場にいました」
ユキネが弟の目を見たまま尋ねた。
「自分が父上を殺したと思う理由は、それだけですか?」
「違います。見た記憶があります。自分の身体がやったことを、後から知っているみたいに残っているんです。でも、その間の僕がいない」
部屋の中が静かになった。
ミカは、すぐに魔法の仕業だとは決めつけなかった。
「記憶が途切れたことも、言葉が止まることも、今の話だけで魔法だとは言えないわ。私が知らないものを、知っている術へ無理に当てはめるつもりもない。まずは、どの話題で何が起きるのかを一つずつ確かめるしかないでしょうね」
レインはうなずいた。
マウクはウェルを見つめていたが、暗号について問い詰めなかった。代わりに、近衛から聞いたことだけを確認する。
「ウェル様。アーグ陛下が亡くなった後、レイン殿下とユキネ殿下について何か言おうとしたそうですね」
ウェルの表情が強張った。
「……はい」
「何を言おうとしたか、今なら話せますか?」
ウェルはレインを見た。次にユキネを見る。
頭の中には言葉がある。
逃げてほしい。
近づかないでほしい。
自分の身体が次に何をするのか分からない。
だが、その意味を声へ変えようとした瞬間、言葉が止まった。
「姉上たちが……」
ウェルは息を吸い直す。
「レイン姉上と、ユキネが――」
そこから先が出ない。
ユキネの目つきが変わった。
「ウェル。もう一度だけ聞きます。言いたくないのではなく、言えないのですか?」
答えようとする。
それも警告になるのか、声が出ない。
ウェルは唇を開いたまま、苦しそうに目を伏せた。
その様子を見て、ユキネは問いを重ねなかった。
「もういいです。今ので十分です。少なくとも、あなたが自分の意思で黙っているのとは違うことは分かりました」
レインも弟から目をそらさなかった。
「私もそう思います。ただ、何があなたの言葉を止めているのかは、まだ分かりません」
シャルンは、ウェルの様子と今のやり取りを手元の紙へ短く書き加えた。
「同じ話題で、本人が続けようとして言葉が止まった。そして、言えないのかという質問にも答えられなかった。今確認できるのはそこまでです」
「うん。原因まで書いたら、また順番を飛ばすことになるね」
マウクが答えた。
ウェルは小さく息を吐いた。
伝わってはいない。
それでも、姉たちは自分が何かを隠して黙っているのではないと気づいた。
それだけで、胸の奥にわずかな安堵が生まれる。
レインはしばらく考えた後、ウェルへ向き直った。
「ここで同じ質問を続けても、あなたを苦しめるだけですね」
「姉上……」
「次は、父上のことでも命令のことでもない話をしましょう。昔、私たち3人でよく遊んだホールを覚えていますか?」
レインは、原因が分からないまま弟を解放するとも、罪を決めつけるとも言わなかった。今確かめられることだけを分け、その結果は自分が王族として引き受ける。その決意を崩さないまま、問い方を変えたのだ。
ウェルの目がわずかに見開かれた。
「もちろんです」
即答だった。
ユキネも、張っていた肩から少しだけ力を抜いた。
そこは、3人が幼い頃から何度も一緒に過ごした場所だった。今はもう、何も知らなかった頃と同じには戻れない。それでも、拘束された部屋で父の死だけを問い続けるより、そこで話す方が弟自身を確かめられるとレインは考えた。
「あなたが普通に話せることと、話そうとして止まることを分けて確かめたいです。それに、私はもう一度、姉としてあなたと話したい。次はあそこで話しましょう」
ユキネはすぐには賛成しなかった。
「姉上。場所を変えるなら、警戒は今より必要です」
ユキネは扉とウェルの間に立ち、部屋を出た後の動線まで確かめていた。姉の決断を妨げるのではなく、その決断で誰も傷つけさせないために、自分が戦う側へ立つためだ。
「分かっています。私たちだけでは行きません」
レインはライトスとトッキーへ向き直った。
「ライトス団長、トッキー団長。お2人に同行をお願いします」
「分かりました」
「俺も行きます」
トッキーが答えると、ユキネはようやく姉へうなずいた。
ライトスも、ウェルを敵として扱うつもりはなかった。だが、アーグを殺した時の記憶が欠けているという本人の言葉を聞いた以上、何も起きないと決めつけることもできない。
ライトスは、レインとユキネが並ぶ位置、ウェルとの距離、扉までの歩数を確かめた。守護魔法を届かせられる範囲は、常に意識しておかなければならない。
守るべき相手は、レインとユキネだけではない。
ウェル自身も含まれていた。
*
部屋を出た後、レインは全員を同じ場所へ連れていかなかった。
「もう1つ、確認しなければならないことがあります。クマーク丞相です」
マウクの顔から、わずかに柔らかさが消える。
偽りの裁判で死刑を告げられた時、そこにはボリャークとクマークがいた。ボリャークはもう死んでいる。
残っている当事者は、クマークだけだった。
「僕とシャルンで話を聞きます」
マウクが言うと、レインは首を横に振った。
「2人だけでは行かせません。父上とボリャーク元帥が続けて亡くなったばかりです。クマーク丞相を犯人だと決めているからではありません。今の王城で、確認に向かった者まで戻らなくなる事態を、これ以上作るわけにはいきません」
ルートシンが応じる。
「私が同行します。これまでの王命と軍令については、私自身が受けたものもあります。丞相の説明と照合できます」
レインはミカにも目を向けた。
「ミカ団長もお願いします。王城内で別行動をする以上、ルートシン団長1人へ任せるつもりはありません」
「分かったわ。ウェル殿下の方も、今の受け答えだけではこれ以上決められない。そちらはライトスたちに任せる」
レインはそこで役割を決めた。
「では、マウク、シャルン、ルートシン団長、ミカ団長はクマーク丞相へ。私とユキネはウェルとホールへ向かいます。ライトス団長、トッキー団長は私たちに同行してください」
誰か1人にすべてを任せるのではない。
確かめるべきものが2つあるなら、必要な者を分ける。
それが今の王城で、時間を失わずに進む方法だった。
レインは両方の目的を一つずつ言葉にし、誰をどちらへ付けるかまで自分で決めた。誰かの提案を了承したのではない。父を失った直後でも、止めてはならない王城の調査を、彼女自身が前へ動かしていた。
マウクはシャルンへ目を向ける。
「クマーク様に会うのは、牢へ入れられて以来だね」
「確認する項目は整理できています。曖昧なまま終わらせません」
「頼もしいね」
「事実を確認するだけです」
2人の後ろへルートシンとミカが続く。
反対側では、近衛兵に付き添われたウェルがレインとユキネの方へ歩き出した。ライトスとトッキーも、その少し後ろにつく。
王城へ戻った一行は、そこで初めて2つに分かれた。
一方は、幼い頃の3姉弟を知るホールへ。
もう一方は、王城の命令を動かしてきた丞相のもとへ。
どちらにも、まだ答えはない。
だが、答えへ近づくための2つの道は、同時に動き始めていた。




