第56話 先に確かめるもの
ボリャークの死が確認されてから、王城の混乱を抑えていたのはクマークだった。
国王アーグが死に、その直後には元帥まで殺された。
元帥府には各騎士団からの文書が届き続けている。すでに発せられた軍令もあり、戻ってくる伝令もいる。それなのに、受け取った情報を次に誰へ渡し、誰が判断するのかが定まらなくなっていた。
クマークは丞相として、まず事務を止めないことを命じた。
「各騎士団から届く文書は今までどおり受け取れ。発令済みの軍令は勝手に破棄するな。新しい判断が必要なものは分けて置け。ボリャークの名で新たな命令を作ることだけは許さん」
表向きは、混乱を広げないためだった。
実際、その指示によって元帥府の混乱は幾分収まった。
だがクマークが欲しかったのは、静まった元帥府そのものだった。
どの騎士団から何が届くのか。
ボリャークが最後に何を命じたのか。
どの伝令が出たまま戻っていないのか。
軍を直接動かすことはできなくても、その情報を先に握れば次の判断へ影響を与えることはできる。
クマークは丞相府と元帥府の間を行き来しながら、各騎士団から届いた文書と伝令の出入りを確認させていた。
まだ完全には押さえ切れていない。
それでも、あと少し時間があれば、元帥府へ集まる情報の流れを自分の手元へまとめられるはずだった。
元帥府の机に残された軍令簿へ手を伸ばした時、廊下から駆けてくる足音がした。
「丞相閣下。正門から急報です」
クマークが顔を上げる。
「何だ」
「レイン殿下、ユキネ殿下が王城正門へ到着されました」
指が止まった。
「……もう来たのか」
ボリャークが火をつけた以上、レインが戻ってくる可能性は考えていた。
だが、元帥府の混乱を完全に押さえるより早い。
「同行者は」
「第一騎士団長ルートシン。ライトス団長、トッキー団長、ミカ団長。それにシャルン殿と……マウク殿もおります」
最後の名前で、クマークの表情が変わった。
処刑するはずだった内政官が、王位継承第1位とともに戻ってきた。
しかもルートシンがレインとユキネを本人だと認めている。
偽王女を担いだ反乱という話を、これまでと同じ形で使うことはもうできない。
「正門はどうしている」
「ボリャーク元帥の閉鎖命令を維持しています。ですが、両殿下は入城を強行されておりません。帰還したことを城内へ伝え、返答を待つと」
クマークは軍令簿から手を離した。
正門を閉じた命令はボリャークが生前に出したものだ。それを丞相の判断だけで軍事命令として上書きすれば、自分から元帥府の権限へ踏み込んだことになる。
「閉鎖命令はそのままにしろ。ただし、王位継承第1位を門前へ放置するな。両殿下と同行者の入城を拒む理由はないと正門側へ伝えろ。判断した経緯も残させろ」
「承知しました」
兵が走り去る。
クマークは元帥府を見回した。
「書類は動かすな」
近くにいた者が振り返る。
「丞相府へ移す予定では……」
「中止だ。今になって元帥府の記録を動かせば、戻ってきた連中に理由を与える」
ほんの少し遅かった。
元帥府を止めず、混乱を収めるところまではできた。
だが、その先まで自分の手に収める前に、調べる側が帰ってきた。
*
正門の内側で閂の動く音がした。
大扉全体ではなく、人が通れる幅だけが開く。
姿を見せた近衛兵が、レインたちへ深く頭を下げた。
「レイン殿下、ユキネ殿下。お待たせいたしました。両殿下と同行されている方々の入城を認めます。正門の閉鎖は継続します」
「それで構いません」
レインは門を開放するよう求めなかった。
ユキネは先に門の内側を確認した。兵の配置、弓を持つ者、剣を抜いている者がいないことまで確かめてから、姉の横へ戻る。
一行が王城へ入ると、背後で再び重い扉が閉じた。
ライトスが感じたのは、静けさだった。
ただ、完全な混乱ではない。
兵は持ち場へ戻り、伝令も走っている。アーグとボリャークが続けて死んだ直後とは思えないほど、王城の動きそのものは保たれていた。
それでも、新しい命令を出す者だけがいない。
既に決まっている仕事は動く。
次に何をするかを決めるところで、人の動きが止まっている。
マウクもそれに気づいた。
「思っていたより静かだね」
シャルンは周囲を確かめながら答える。
「誰かが混乱を整理しています。ただし、命令系統まで戻ったわけではありません」
レインは案内に来た近衛兵へ尋ねた。
「クマーク丞相は王城にいるのですか?」
「はい。ボリャーク元帥が亡くなられてから、丞相府と元帥府を行き来され、報告と伝令の整理を指示されています」
マウクがわずかに目を細めた。
シャルンはすぐに別の点を拾う。
「元帥府の記録は移されましたか?」
「いいえ。現在も元帥府にあります」
「分かりました」
それ以上は追及しない。
まだ、クマークが何を意図していたのかを決める材料はない。レインも、書類が元帥府に残っているという事実だけで判断しなかった。
「クマーク丞相には後で会います。その前に、父上が亡くなった時のことと、ウェルが拘束された経緯を確認します。誰かから整理された説明を聞くのではなく、その場にいた方から直接聞かせてください」
マウクがうなずく。
「僕もそれがいいと思います。元帥府の記録は残っている。なら、先に起きたことを聞こう」
「確認する順番を崩す必要はありません」
シャルンも同意した。
近衛兵は一礼し、アーグの執務室前にいた者を呼びに向かった。
*
呼ばれてきた近衛兵は、レインとユキネの前で深く頭を下げた。
「見たことだけを話してください」
レインが告げる。
「ウェル殿下がアーグ陛下の執務室へ入られた時、剣は扉の前でお預かりしました。外套も確認しております。室内には陛下と、我々近衛が2人おりました」
シャルンが書き留める。
「その後は?」
「ウェル殿下と陛下がお話をされていました。途中で陛下御自身から、我々へ外へ出るよう命令がありました」
ユキネがすぐに尋ねた。
「では、父上が殺された瞬間は見ていないのですね」
「はい」
「そこは分けてください。あなたが見たのは、その前と後です」
近衛兵がうなずく。
「再び室内へ入った時、陛下はすでに亡くなられていました。ウェル殿下は床に膝をつき、陛下の首を両手に持っておられました」
レインの指が強く握られた。
それでも弟を庇う言葉は出さなかった。
「ウェルは何と言いましたか?」
「自分はこんなことをするために戻ったのではないと。その後、理由を尋ねると、父上へ返事をしようとしたところまでは覚えているが、その後がないと答えられました」
「記憶がない?」
マウクが聞き返す。
「はい。それでも、自分がやったことは認められました。『僕がやりました。でも、どうしてやったのかが分からない』と」
シャルンの筆が止まる。
「その2つは分けて残します。本人は自分が行ったと認めている。一方で、行為の間の記憶がなく、理由も分からないと証言している」
「承知しました」
レインは一度、息を整えた。
「ほかには?」
近衛兵が少し迷う。
「誰かに命じられたのかと尋ねた時です。ウェル殿下が突然、両殿下のお名前を口にされました」
ユキネの表情が変わった。
「私たちを?」
「『姉上たちが』と。その後、『レイン姉上と、ユキネが』とまで言われました。ですが、その先を言おうとすると言葉が止まりました。何度尋ねても同じでした」
マウクはすぐに答えなかった。
アドラスで受け取った不完全な暗号が頭をよぎる。
――わたしはうぇるであって、うぇるではない。
「僕に残した暗号と今の話。似たものはある。でも、同じ原因だと決めるには足りないね」
「はい」
シャルンが答える。
「暗号、ユキネ殿下が見た違和感、失われた記憶、特定の言葉が続かなかったこと。今は4つの事実として扱います」
ミカも口を開いた。
「記憶が途切れたことも、言葉が止まったことも、それだけで魔法だとは言えないわ。ウェル殿下本人の状態を確かめます。それでも分からなければ、分からないと答えるしかないでしょうね」
「お願いします」
レインが答える。
ユキネは腰の剣へ手を添えた。
「姉上、ウェルとは1人で会わないでください。私も一緒に入ります。弟を疑うためではありません。アドラスで見たあの一瞬がもう一度起きるなら、今度は見落としません」
「分かりました。一緒に行きましょう」
レインは近衛兵へ向き直る。
「ウェルのところへ案内してください。拘束を解くかどうかは、本人と話してから判断します」
*
正門からの伝令が元帥府へ戻った。
「両殿下は入城されました。最初にアーグ陛下崩御時の近衛から事情を確認され、その後、ウェル殿下のもとへ向かわれるとのことです」
クマークは黙って聞いた。
レインたちは元帥府にも、丞相府にも先に来なかった。
まず目撃者から事実を拾った。
そして、その一行にはマウクとシャルンがいる。
クマークは机上の軍令簿へ目を落とした。
ボリャークの死後、王城の混乱を収めるところまではできた。
しかし、その静けさを利用して元帥府まで自分の手に収める時間は終わった。
書類を動かせば気づかれる。
隠せば疑われる。
何もしなくても、いずれ彼らはここへ来る。
クマークは初めて、自分が王城の中で待つ側へ回ったことを理解した。




