第49話 王の前へ
王都の城壁が見えた時、ウェルは馬車の窓から身を乗り出した。
長い道の先に、見慣れた尖塔が朝靄を突き抜けている。帰ってきたという安堵より先に、胸の奥へ重いものが沈んだ。アドラスを発ってから、父へ何をどう話すかを何度も考えてきた。それでも、姉たちが偽物とされ、王国の軍同士が刃を向けた理由だけは見つからない。
馬車の前後を進む第六騎士団の兵も、城壁が近づくにつれて口数を減らした。彼らは王命によってアドラスへ進軍した後、3騎士団長が王女たちを本人と認めて交わした誓約に従い、ウェルをここまで護衛してきた。だが王都の門兵が、その経緯を知らされているとは限らない。
「正門で止められたら、僕が説明します。皆は武器に手をかけないでください」
ウェルが告げると、護衛を率いる兵が馬上から振り返った。
「殿下をお守りすることが我々の務めです」
「だからです。ここで争えば、姉上たちが反乱を起こしたという話を補強してしまう。僕を父上の前へ届けるところまでで、役目は果たせます」
兵はすぐには答えなかった。やがて前を向き、右手を上げて隊列へ合図する。剣の柄から手を離せ、という指示だった。
正門では、ウェルの姿を見た門兵たちが騒然となった。
ストログで処刑されたと伝えられた王子が、第六騎士団の護衛を伴って戻ってきた。知らせを受けた役人が城内へ走り、門は閉じたまま動かない。城壁の上では弓兵が増えたが、矢をつがえる者はいなかった。
待たされる間、ウェルは馬車を降りた。自分の足で立ち、顔を隠さず、門兵たちの視線を受け止める。
「クラスト王国王子ウェルです。アーグ王へ直接申し上げることがあります。レイン殿下とユキネ殿下からの書状、それにルートシン、シキシ、アカヤンの3騎士団長が確認した書面を持ち帰りました」
やがて内側で閂が外され、門が人1人分だけ開いた。
通されたのはウェルだけだった。護衛の兵たちは城外で待つよう命じられ、馬車も荷も調べられる。ウェルは反論せず、預かってきた書状を胸元へ確かめた。
今は父に会い、姉たちが本物であることと、王命に事実と異なる内容が含まれていることを伝えなければならない。
*
王城の廊下は、記憶にあるより静かだった。
すれ違う者たちは足を止め、ウェルの顔を見て息をのむ。だが誰も声をかけてこない。驚きの中に、死んだはずの者を前にした恐れと、本人なのかを測る疑いが混じっていた。ウェルはその1人ずつに事情を説明したい衝動を抑え、案内役の後を歩いた。
謁見の間ではなく、アーグの執務室へ通された。
扉の前で剣を預けるよう求められる。ウェルが腰の剣を外すと、案内役は外套と衣服を調べ、書状も1通ずつ手で確かめた。それが終わってようやく扉が開く。
室内にはアーグと、2人の近衛兵がいた。
父は机の向こうから動かない。再会を喜ぶより先に、痩せた顔を険しくしてウェルを見定めている。
「本当にウェルなのか」
「はい、父上。御心配をおかけしました」
ウェルは膝をつき、深く頭を下げた。
「ストログからは、お前と護衛全員を処刑したと正式な通告が来ている。生きていたなら、なぜすぐ王都へ戻らなかった」
「護衛兵たちが僕を逃がしてくれました。旧街道へ入り、アドラスへ辿り着いたのです。そこで姉上たちと合流しました」
アーグの指が机を打った。
「やはり、あの2人のところにいたのか」
「レイン姉上もユキネ姉上も本物です。ルートシン団長、シキシ団長、アカヤン団長がそれぞれ確認しています。攻撃を止め、王命を確かめ直すために、僕が戻りました」
ウェルは懐から書状を取り出した。近衛兵の1人が受け取り、刃物や術式が仕込まれていないかを改めてからアーグの机へ置く。
アーグは3人の封印を順に見たが、どの書状も開かなかった。
「アカヤンの確認書まであると言ったな」
「はい。僕がアドラスを出発した時点で、3人の団長から預かりました」
「出発した時点では、だと?」
「道中にいた僕には、その後のアドラスで何が起きたかは分かりません。ですが、3人が姉上たちを御本人だと確認し、それぞれ自分の名で書面を残したことは事実です。父上、王都から届いた命令には、その確認と合わないものがあります。どうか全軍を止め、命令が作られた経緯をお調べください」
言い切ると、アーグの顔に不快さが浮かんだ。3人の団長が何を確認し、どのような言葉を残したのか。アーグは、開封して確かめようとしなかった。
「戻ったばかりのお前が、王の命令を疑うのか」
「父上を疑っているのではありません。父上まで、誤った報告を信じさせられているのではないかと申し上げています」
「同じことだ。王が臣下に欺かれたと、お前は言っている」
声が強くなる。机上の書状には触れようともしない。
ウェルは顔を上げた。怖くないと言えば嘘になる。幼い頃から、父が怒ると正しい言葉を探すより先に謝ってきた。だが今ここで退けば、レインもユキネも、アドラスにいる兵たちも反逆者のままになる。
「それでも、お調べください。姉上たちは父上へ反逆していません。クラストの兵同士が戦ったままでは、命令の真偽を確かめる前に兵が失われ、この国を守る力が尽きます」
アーグは椅子の肘掛けを握った。
「お前まで私に逆らうのか。レインもユキネも、王族として命に従えば済む話だった。お前は生きて戻った。それなら余計な口を挟まず、私の前にいればよい」
ウェルは、父が姉たちの生死ではなく、命令に従ったかどうかだけを問題にしていると知った。
「姉上たちは、父上の道具ではありません」
近衛兵の手が剣へ動いた。
アーグは椅子を蹴るように立ち上がる。
「誰に向かって物を言っている!」
「クラスト王に。そして、僕たちの父にです」
震えそうになる声を、ウェルは押しとどめた。
「僕は、父上に事実を確かめていただくために戻りました」
アーグは息を荒くし、しばらく息子をにらんでいた。やがて近衛兵へ、顎だけで扉を示す。
「外へ出ろ」
「しかし、陛下」
「武器も持たぬ息子と話すのに、近衛が必要だと思うか。誰も入れるな」
2人は命令に従い、扉の外へ出た。
静かになった室内で、アーグは机上の書状を1通だけ手に取った。レインの封印を眺め、眉間に皺を寄せる。
「あれは昔から、穏やかな顔で私の決定を変えようとする。今度はお前を使ったか」
「違います。僕が戻ると決めました」
「ならば証明してみろ。お前が本当にウェルなら、父である私に従えるはずだ」
アーグは机を回り、ウェルの前まで来た。
「レインとユキネに、ただちに武器を捨てて王都へ戻れと書け。従うなら、命までは取らぬ」
ウェルは父の顔を見た。
書けません、と答えようとした。
その瞬間、アーグを殺せという命令が、ウェルの意識の奥で作動した。
視界から色が消える。
父の姿も、父へ伝えたかった言葉も、ウェルの意識から切り離された。目の前にいるアーグを殺すことだけが、身体を動かす目的として残った。
*
次に音が戻った時、扉の向こうで誰かが叫んでいた。
ウェルは床に膝をついている。
両手の中に、父の首があった。
アーグの身体は動かない。見開かれた目が、すぐ近くからウェルを映していた。
「……父上?」
自分の声だけが、ひどく遠く聞こえた。
手を離す。アーグの頭が床へ落ち、鈍い音を立てる。
父へ返事をしようとした後、自分が何を考えたのかは思い出せない。意識のある時間だけが、そこから途切れていた。
だが同時に、別の記憶が頭の中へ流れ込んでいた。
父の身体を床へ倒したこと。押さえつけた首へ両手をかけ、力を込めたこと。その間、自分が何も感じていなかったこと。
自分の意思で動いた記憶ではない。それでも、自分の目と手が行ったこととして残っている。
ウェルは両手を見た。父の首に触れた感触まで消えてくれなかった。
扉が開き、近衛兵が踏み込んでくる。抜かれた剣の切っ先が一斉にウェルへ向いた。
ウェルは逃げなかった。逃げるという考えさえ浮かばない。自分の指に残る感触と、動かなくなった父を交互に見た。
「違う……僕は、こんなことをするために戻ったんじゃない」
近衛兵たちの怒号が重なる。
床へ押さえつけられる直前、ウェルの視界に、机から落ちたレインの書状が入った。
封は、最後まで開かれていなかった。




