第47話 重なった違和感
シャルンがユキネを訪ねた時、彼女は第四騎士団の陣から戻ったところだった。
弔いを終えたばかりの顔には疲れが残っていたが、剣は腰から外していない。部屋へ入ってからも、ユキネは無意識に窓と扉の位置を確かめた。
「シャルン、何かありましたか」
「灰壁砦の報告を整理しています。ユキネ殿下が離れていた間のことも含め、確認しておきたいことがあります」
シャルンは卓上に紙を広げた。暗号の紙ではない。ウェルがアドラスへ戻ってから王都へ向かうまでの行動を、すでに分かっている範囲だけで並べたものだった。
「ウェル殿下が戻られてから、以前と違うと感じたことはありませんでしたか。言葉、食事、歩き方、誰かへの接し方。小さなことで構いません」
ユキネの目が細くなる。
「なぜ今、それを聞くのです」
「理由を先にお話しすれば、殿下の記憶が私の考えに引かれます。今は、覚えている事実だけを伺いたいのです」
「私を試していますか」
「いいえ。私自身の推測を信用していないだけです」
ユキネはすぐには答えなかった。疑われたことへ腹を立てたのではない。シャルンが理由を伏せるほどの問題が何かを測るように、紙の空白を見ていた。
「普段のウェルは、以前と同じでした。姉上を気遣い、私には昔と変わらず話していました。面談でも、父上へ説明する役目を自分から引き受けています」
そこで言葉を切り、ユキネは右手を剣の柄から離した。
「ただ、1度だけです。戻って間もない頃、ウェルが私を見た瞬間、知らない者に狙いを定められたように感じました。殺気ではありません。敵意とも違う。ですが、弟から向けられた目ではなかった。すぐにいつものウェルへ戻ったので、疲れていた私の見間違いだと思おうとしました」
「その時、ウェル殿下は何か話されましたか」
「いいえ。私の顔を見て、どうしたのかと聞きました。自分がどんな目をしていたか、分かっていないようでした」
シャルンは書き留めてから、筆を置いた。
「そのことを、他の方へ話しましたか」
「誰にも。証拠もないのに、帰ってきた弟を疑わせたくなかったからです」
「分かりました。当面は、今までどおり誰にも話さないでください」
「それで終わりですか」
立ち上がろうとしたシャルンへ、ユキネの声が飛んだ。
「私が見たものに危険があるなら、姉上をその外に置いたままにはできません。ウェルを疑いたいわけではない。ですが、弟に何か起きているなら、私は知る側に立ちます」
「確認が終われば、必ずお話しします。それまではウェル殿下へ連絡を取らないでください」
「連絡そのものが危険なのですか」
「まだ分かりません。分からないから、止めています」
ユキネは納得した顔をしなかった。それでも、武人が不用意に間合いへ踏み込まないのと同じ慎重さでうなずいた。
*
レインは負傷者と捕虜への食糧配分を確認していた。捕虜となった第六騎士団兵にも最低限を渡すよう命じたため、反発する者がいることも承知している。
「捕虜を飢えさせれば、私たちまで反逆者と同じになります。被害を受けた者の怒りは軽く扱いません。それでも、報復を統治にしてはいけません」
担当者を送り出した後、シャルンは先ほどと同じ問いを向けた。
レインはウェルとの再会から面談までを丁寧に思い返した。幼い頃の話、以前と変わらない気遣い、王都行きを自ら申し出た時の表情。どれも弟本人だと感じたという。
「違っていたことを挙げるなら、以前より疲れて見えました。でも、ストログで受けたことを思えば不自然ではありません。シャルン、あなたはウェルを調べているのですね」
「はい。ただし、疑いを確定させるためではありません。説明と一致しない事実があるためです」
「ユキネにも聞きましたか」
「別に伺いました。今は内容をお伝えできません」
レインはわずかに息を止めた。だが、王女としての判断を姉の感情より先に置いた。
「では、あなたが話せる段階になるまで待ちます。ただし、ウェルだけの問題ではありません。王都へ向かった以上、父上の安全にも関わります。確認を急いでください」
「承知しました」
「それから、私が信じたがっていることも判断材料に入れてください。私はウェルが帰ってきたことを喜びました。その気持ちは、事実を見る目を鈍らせます」
自らの感情による偏りまで記録へ置くような言葉だった。シャルンは返事の代わりに、その一文を紙へ加えた。
*
「完全には重ならなかったのは、レイン殿下の記憶とユキネ殿下の記憶です」
夜、同じ小部屋にマウクとチョーカがそろうと、シャルンは聞き取った内容を並べた。
「レイン殿下が見たウェル殿下は、昔と変わらない弟でした。ユキネ殿下も、ほぼ同じです。ただし1度だけ、ウェル殿下が自分を見る目を変えたと証言しました。直後のウェル殿下は、その変化を自覚していなかったようです」
チョーカが腕を組む。
「暗号だけなら、別人が警告を作った可能性もあった。だが本人に自覚のない変化があったなら、紙の文とつながる」
「つながって見える、までです」
シャルンは即座に線を引いた。
「目の変化はユキネ殿下の主観です。暗号は推定文。旧街道を通った痕跡がないことも、別の道を使った可能性までは消せません。3つ重なっても、ウェル殿下が何者かを確定する証拠にはなりません」
「でも、放っておける段階ではなくなったね」
「はい。王女殿下方へ開示します。王都へ警告を送る決定は、お2人にしていただくべきです」
マウクは暗号の原本をチョーカから受け取らず、写しだけを持って立った。
「ウェル様を敵だと決めない。暗号が本人の警告なら、問いただすことで助けを求める道を塞ぐかもしれない。それも伝えよう」
「私が事実を説明します。マウク様は推定の範囲を。チョーカ様は暗号の検証をお願いします」
「もう決まっているな」
「決めるための打ち合わせですから」
チョーカの短い苦笑にも、シャルンは表情を変えなかった。
レインとユキネは、ほどなく同じ部屋へ呼ばれた。
推定文を読んだレインの指が、紙の端で止まる。
「信じたくありません。戻ってきたウェルは、確かに私たちの弟でした」
「僕たちも、別人だと決めたわけではありません」
マウクは、暗号が不完全であること、ウェルが作成した可能性は高いが断定できないこと、ストログの斥候が旧街道で姿も痕跡も確認していないことを告げた。
ユキネは推定文から目を上げた。
「姉上。私はあの時の目を見ています。疑うためではなく、ウェルに何が起きたのかを知るために調べさせてください。もし助けを求めているなら、知らないふりをする方が弟を見捨てることになります」
レインは目を閉じた。再会した弟の笑顔を守りたい姉と、王都へ送り出した者の責任を負う王女。そのどちらも捨てずに、やがて顔を上げる。
「ウェル本人には尋ねません。調査はこの5人だけで続けます。そして父上へ警告を送ります。確証がなくても、危険の可能性を知りながら黙っていることはできません」
「通信に載せる内容は絞りましょう」
シャルンが続ける。
「暗号の推定文まで送れば、途中で読まれた時にこちらの調査範囲を知らせます。まずはウェル殿下を単独で陛下へ近づけず、到着時刻と護衛の状態を確認するよう求めます」
「それで進めてください。ただし、父上にウェルを捕らえさせる書き方は避けます。警戒は必要です。それでも、まだ弟を罪人として扱う根拠はありません」
命令を下したレインの声は穏やかだったが、迷いを他人へ預ける響きはなかった。
暗号は答えにならないまま、ユキネの記憶と結びついた。
そして5人は初めて、その不確かな警告を王都へ届けるために動き始めた。




