第40話 譲られた一歩
灰壁砦へ向かった救援軍が戦場へ到着したのと同じ日、北側山脈へ入った第七騎士団は、日が傾く前に隠し軍路へ到達した。
荷車がすれ違える幅はある。それでも、2,000人が隊列を組めば、先頭と最後尾は山の曲がりに隔てられる。片側は切り立った斜面、反対側は木々に覆われた下り坂だ。石壁と排水溝が残る道には、新しい車輪の跡と大軍の足跡が重なっていた。
チョーカは兵を止め、斥候から届いた報告へ目を通した。
「敵の先頭は、2つ先の曲がりまで来ています。旗印はミドルンティア。盾兵の後ろに弓兵、その後方にも途切れず隊列が続いています」
「こちらに気づいているか?」
「先行する斥候が道の両側を調べています。まだ姿は見られていませんが、接触は避けられません」
チョーカは軍路の先と、背後へ続く道を見比べた。正面だけを塞げば、敵は山腹へ兵を出して迂回路を探す。狭い場所へ押し込めすぎれば、退路を失った5,000人が突破だけを考えて押し寄せる。
何より、軍路は曲がるたびに前後の見通しが切れる。前衛だけで戦い始めれば、後方へ命令が届くまでに遅れが生じる。チョーカは伝令を曲がりごとに置き、同じ命令を順に受け渡すよう指示した。
「前衛500は、次の曲がりで道を塞げ。盾は2列、弓兵は斜面側へ上げる。ただし、頂まで登るな。敵が横へ回ったら見つけて戻れる高さで止めろ」
伝令たちが走り出す。
「残る兵は、その後ろに防衛線を2つ作れ。最初の線が下がっても追われない間隔を取る。荷車はさらに後方へ移し、治療場所と退路を確保しろ。敵を止めることより、味方の列を崩さないことを優先する」
「ここで迎え撃つのですか?」
地図を持つ兵の問いに、チョーカは軍路脇の石壁を指した。
「ここは守りやすい。だから敵も、正面だけで押し切れるとは考えない。まず俺たちの数と、どこまで退けるかを探ってくる。初めから全てを隠そうとするな。見せるものを、こちらで選ぶ」
チョーカは兵たちへ向き直った。
「俺たちの任務は、この軍をアドラスへ通さず、2,000人で生きて戻ることだ。目の前の敵を追って持ち場を離れるな。退けと命じた時は、勝っていても退け。1人の勝手で隊列を乱すことは許さん!」
第七騎士団の返事が山肌へ響いた。
◇
ミドルンティア軍の先頭が止まったのは、日没までまだ間がある頃だった。
前方から戻った斥候の報告を聞き、ベクナルは馬上で目を細めた。
「クラスト軍約2,000。軍路を塞ぎ、斜面にも弓兵を置いています」
「旗は?」
「第七騎士団です」
その名に、ベクナルの視線がわずかに動いた。かつて同じ紋章を掲げた一隊と、この山で戦っている。騎兵を率いた老将は少ない兵で進路を切り裂き、討ち取るまでに予想以上の損害を出させた。
「団長は誰だ」
「チョーカ。バウタイの後を継いだ者です」
「後継者が、同じ場所へ来たか」
ベクナルはすぐには攻撃を命じなかった。自ら先頭近くまで進み、木々の間から敵陣を見る。
道を塞ぐ盾は厚い。しかし、斜面に見える弓兵は多くなく、その後ろの隊列も山の曲がりへ隠れている。全軍を集めた防壁なのか、前衛だけなのかは見えなかった。
「道の下側へ兵を出し、回り込める場所を探せ。上は弓兵に見られる。無理に登るな。正面は盾兵200で圧力をかけ、敵の矢を使わせる。後ろから弓兵を重ねろ」
「一気に崩さないのですか?」
「敵の数だけで判断するな。道を知る者が、何の備えもなく5,000の前へ立つはずがない。まず、退く場所があるのかを確かめる」
ベクナルは後続へ、先頭が止まっても隊列を詰めすぎないよう伝えさせた。狭い軍路で前が崩れれば、数の多さは後退を妨げる壁にもなる。ミドルンティア軍の盾兵は間隔を保ったまま進み始めた。
◇
軍路を埋める足音が近づいても、チョーカは剣を抜かなかった。
敵の盾は隙間なく並び、斜面から放たれた第七騎士団の矢を受け止めながら、歩調を崩さず距離を詰めてくる。その後方から射られた矢が、石壁と盾へ降り注いだ。
「盾を上げろ! 弓兵は前列ではなく、後ろから射る敵を狙え! 無理に盾の隙間を探すな!」
命令が伝わり、第七騎士団の矢が盾兵の頭上を越えた。ミドルンティアの弓兵が下がり、射撃が一度途切れる。
その間にも敵の前列は止まらない。盾同士がぶつかり、狭い軍路で押し合いが始まった。
第七騎士団は足場を固めて受け止めたが、敵は一度に人数を重ねなかった。先頭が疲れる前に次の列と入れ替わり、圧力を絶やさず、こちらの腕と足だけを削ってくる。
チョーカは敵の列の入れ替わりを見ていた。兵数に任せて正面を押し潰す相手なら、崩れたように見せて追わせる余地もあった。だが、ベクナルは前へ出す人数を抑え、後続を動けるまま残している。
「前列、合図で下がれ! 2列目は道を開け、左右から受け入れろ! 弓兵は3射したら後退!」
角笛が短く鳴る。
盾を押し合っていた兵が一斉に力を抜き、後ろへ退いた。敵の盾兵が勢いのまま数歩踏み込む。その足元へ、斜面から落とされた石と土が流れ込んだ。
足を取られた先頭へ矢が集中する。だが、第七騎士団は倒れた敵を追わなかった。負傷した味方を抱え、予定していた2つ目の防衛線まで下がっていく。
「隊列を崩すな! 最後尾は味方が通ってから退け! 敵が止まったなら矢を使うな!」
曲がりごとに立った伝令が、同じ命令を後方へ送る。第2防衛線の盾兵は退いてくる前衛のために中央を空け、通過した者から左右へ分かれて受け入れた。
ミドルンティア軍も追撃を急がなかった。盾兵は崩れた土を踏み固め、後方の兵が負傷者を回収する。やがて軍路の最初の曲がりは、敵の手へ渡った。
それでも、第七騎士団の2つ目の防衛線は崩れていない。
チョーカは退いてきた前衛を防壁の後ろへ入れ、負傷者を座らせた。腕から血を流す兵もいたが、自力で戻れない者はいない。戦える者まで前へ戻ろうとするのを手で制する。
「今は休め。次の線を支えるのは、最初から後ろに置いた兵の役目だ」
「しかし、まだ盾は持てます」
「持てることと、今持つべきことは違う。水を飲み、傷を縛れ。交代の合図が出たら戻れ」
兵は悔しさを残しながらも頭を下げた。
チョーカは前衛を追ってきた伝令を呼び止める。
「敵は、こちらが退いた場所を固めてから進んでいる。最初の線で倒れた者を置き去りにもしなかった。この先も、崩れたふりだけでは追ってこないぞ」
「では、次はどこまで守りますか?」
「日が落ちるまで、この線を渡すな。ただし、守り切るために隊を潰すな。退く合図は俺が出す」
チョーカの声に迷いはなかった。兵は返事をすると、次の防衛線へ走った。
◇
日が山陰へ沈む前に、ベクナルは攻撃を止めた。
「今日の損害は?」
「先頭に負傷者が出ましたが、隊列は維持できます。下側へ出した兵は、細い斜面を見つけました。少人数なら敵の側面近くまで回れます」
「明るいうちに戻せ。夜の山で道を広げれば、音と灯りで気づかれる」
ベクナルは、1つ後ろの曲がりへ退いた第七騎士団の旗を見た。
「正面の守りは堅い。だが、退き方が早すぎる。後ろへ下がる余地を残しながら、時間を稼ぐつもりだろう」
「明日は斜面から回りますか?」
「正面を押し続ける。あの団長が側面を警戒して兵を割けば、道を守る盾が薄くなる。割かなければ、こちらが回り込める」
初日の戦いで、ミドルンティア軍は軍路を1つ先まで進んだ。だが、日没までに2つ目の防衛線を崩すことはできなかった。
夜営の準備を始める敵の灯りを、チョーカは離れた防衛線から見ていた。こちらの負傷者は後方へ移され、次の警戒に立つ兵が交代している。初日に前へ出さなかった兵力を残したまま、敵には道を奪ったという結果だけを見せていた。
「敵は攻め急がなかったな」
近くの兵が低く言う。
「ああ。兵数だけで押してくる相手ではない」
チョーカは敵に譲った曲がりと、その先に残した足跡を確かめた。
「だから、今日はこちらが退いたと信じさせればいい。見張りを交代させろ。夜の間は攻めるな。明日も、守る場所は俺が決める」
敵を止めるための初日は、第七騎士団が道を譲る形で終わった。
しかし、兵力は温存され、負傷者も後方へ退けている。そして敵には、守りを1つ崩して前進したという手応えを与えた。
チョーカが譲ったのは、次の戦いへ敵を進ませるための一歩だった。




