第37話 砦へ届く盾
灰壁砦の外壁には、これまでに受けた魔法の跡が幾重にも残っていた。
崩れた石の隙間から朝の光が差し込み、そのたびに舞い上がった砂が白く浮かぶ。第三騎士団の兵は外壁から内側の防壁まで退き、残った触媒と魔力を確かめながら次の攻撃に備えていた。
ミカは杖を支えに立ち、砦の正面を見据えた。火、水、風、土。攻撃を受けるたびに術を切り替え、崩れかけた箇所を補ってきたが、魔法兵を中心とする第三騎士団は、盾を並べて長く耐える戦いに向いていない。
「動ける者を内側へ集めて。負傷者の前に防壁を2重で張る。残った触媒は広く使わず、破られた場所だけに集中させて」
命令を受け、ニュイが短くうなずいた。声を出さず、火と水の触媒を分けて兵へ渡していく。残りの量が偏らないよう、兵の魔力と守る箇所を見比べて渡す触媒を変えていた。その指先にも細かな傷が増えている。
ミカはニュイの手元を見て、まだ戦列を保てると判断した。だが、次の攻撃を退けても、その次まで同じように術を使える保証はない。救援を求める書状は送った。今は、返事が届くまで兵を生かすことだけを考えるしかなかった。
砦の外では、獅子騎士団が隊列を組み直している。イケメーンは一気に攻め込まず、第三騎士団が術を放つたびに盾兵を退かせ、魔力と触媒だけを消耗させていた。
ルーカが砦を見上げる。
「もう長くは続きません」
「分かっている。だからこそ、最後まで退く道を残せ。俺たちの目的はミカたちを殺すことではない」
「ですが、降伏はしません」
「ルートシンから返事が来ない以上、あちらも退けないのだろう。次で内壁まで押す。深追いする者は止めろ」
角笛が鳴り、盾兵が前へ出た。
*
低い振動が砦の床を伝った。
「来るわよ!」
ミカの声と同時に、第三騎士団の魔法が外壁を越えた。炎が地面を走り、押し寄せる盾の列を風が横から打つ。だが獅子騎士団は足を止めず、前列が受けた衝撃を後列で支えた。
外壁の裂け目から兵が入り込む。
ニュイが両手を前へ向けた。水が石床を覆い、その上へ火球が落ちる。瞬間、膨れ上がった蒸気が爆ぜ、侵入した兵と盾をまとめて外へ押し戻した。
ニュイは結果を見届ける前に水を止めた。必要以上に術を維持せず、次の裂け目へ身体を向ける。押し戻した兵を追うより、砦の内側へ1人も通さないことを優先していた。
それでも、別の裂け目から次の兵が入る。
「ニュイ、下がって! そこは私が塞ぐ!」
ミカが土壁を立ち上げた直後、砦の正面で別の轟音が響いた。
獅子騎士団の後方へ、矢が降り注いだ。
*
灰壁砦を見下ろせる斜面に着いた時、ライトスは砦の外壁が破られているのを見た。
周囲には獅子騎士団が展開し、その先で第三騎士団の魔法が途切れかけている。話し合う余裕はなかった。
「キュリ、砦へ入ろうとしている兵を狙え! 退いた相手は追うな!」
「承知しました! 弓兵、前へ!」
キュリは矢をつがえながら、斜面の下を見渡した。崩れた正面へ兵が集まっている一方で、左側の高所にも弓兵が動いている。砦だけを見ていれば、救援隊は上から射かけられる。
「半数は砦の裂け目へ! 残りは左上の弓兵を見てください! こちらを向いた者だけを狙います!」
放たれた矢は、砦へ踏み込もうとする兵の足元と盾へ突き立った。もう一方の弓兵は高所へ向き直り、獅子騎士団が弓を引くより先に牽制の矢を届かせる。キュリは敵が退けば射る手を止め、次に前へ出ようとする者を選んだ。
相手を倒すためではなく、砦から引き離すための射撃だった。ライトスが求めた目的を、キュリは言葉どおりに弓兵へ伝えていた。
「ガラン、第二遊撃団で正面を押さえてくれ。砦までの道を開く!」
「承知しました!」
ライトスは隣のトッキーを見る。
「トッキー、右から回れるか?」
「行ける。兄上が正面を止めている間に、第三遊撃団で側面を崩す」
「頼む」
第七騎士団1,000人が盾を並べ、ガランとともに斜面を下る。第二遊撃団はその後ろで隊列を整えた。トッキーの第三遊撃団は街道から外れ、木々の間を右へ回っていく。
獅子騎士団の一部が救援軍へ向きを変え、炎と矢を放った。
ライトスは前列より先へ出た。頭に描いた守護の壁が、味方の前へ切れ目なく広がる。炎は見えない壁に触れて左右へ割れ、矢は兵へ届く前に地面へ落ちた。
守護の壁へ衝撃が重なる。正面だけを厚くすれば、側面へ回ったトッキーたちが薄くなる。ライトスは砦へ進む第七騎士団と第二遊撃団を守りながら、右へ広がる第三遊撃団の動きに合わせて壁の範囲を延ばした。
「止まるな! 守りは僕が支える! 砦の前まで進め!」
盾を構えていた兵たちが顔を上げる。第七騎士団と第二遊撃団が一斉に前進し、獅子騎士団の隊列を砦から引き離した。
その右側へ第三遊撃団が現れた。トッキーは正面で受け止めず、救援軍へ向きを変えた部隊の側面だけを突く。包囲されると判断した獅子騎士団が間隔を広げ、砦へ続く道に隙間が生まれた。
「今だ、ガラン!」
「第二遊撃団、道を維持しながら砦へ入れ!」
ガランは兵を率いて裂け目へ走った。その先では、獅子騎士団の兵が崩れた石を越えようとしている。
砦の内側から水流が放たれ、兵の足を止めた。続いて小さな火球が水面へ落ち、蒸気の爆発が起きる。
ガランは盾で熱風を受けながら踏み込み、残っていた敵兵を押し返した。術を放ったニュイと目が合う。
「味方です! 外は押さえました!」
ニュイは一度だけうなずくと、ガランの足元を指した。崩れた石の陰に、獅子騎士団の兵が身を起こしかけている。
ガランが剣で武器を弾く。ほぼ同時にニュイの水が相手の腕へ絡み、石床へ縫い止めた。
「助かりました」
「……こちらも」
短い言葉を交わし、2人は背中を預けるように別々の裂け目へ向いた。ガランが近づく兵を止め、ニュイがその先を火と水で押し返す。砦の内と外に分かれていた兵が、崩れた壁の上で1つの線を作った。
*
ミカは内壁から、守護の壁に包まれて進む救援軍を見ていた。
攻撃を受けながら、前列の誰も倒れていない。守護魔法を展開している若い団長の後ろに、第七騎士団と2つの遊撃団が続いている。
その中央で、外套を外したユキネが馬を降りた。
ユキネは自分の姿が砦から見える位置を選びながらも、守護の壁の外へは出なかった。剣の柄へ手を添え、左右から近づく兵がいないことを確かめてから、第三騎士団の旗へ向き直る。本人だと示す役目と、救援隊の一員として命令に従うことを分けていた。
「ミカ!」
聞き慣れた声が砦へ届く。
ミカは一瞬、目を見開いた。王城からは偽物だと知らされていた。それでも、立ち姿も声も、幼い頃から知るユキネ本人のものだった。
「ユキネ殿下……」
ユキネは守護の壁から出ず、第三騎士団の旗へ向かって声を張った。
「私たちは、第三騎士団を救うために来ました! ルートシンからの要請も受けています。今は一緒に砦を守ってください!」
ミカは迷わなかった。
「第三騎士団、救援軍を通して! 負傷者を内側へ移し、動ける者は外壁を守る! ユキネ殿下はご本人よ!」
閉じられていた内側の柵が開いた。
ライトスは第二遊撃団を砦へ入れながら、外の獅子騎士団を見た。イケメーンは追撃を命じず、離れた場所から守護の壁と合流していく兵を見つめている。
ユキネはすぐに外套を拾い直すと、マウクのそばへ戻った。役目を終えた後も前へ残れば、第三騎士団に守らせる者を増やすだけになる。ライトスが指示を出す前に中央へ下がった姿を確かめ、キュリも弓を外へ向けたまま位置を移した。
「ライトス団長、左の高所は抑えています。弓兵を砦の内側へ入れますか?」
「半数を入れて、崩れた箇所を内側から守ってくれ。残りは外で退路を見てほしい」
「承知しました!」
キュリはユキネの周囲へも弓兵を残し、自分は外壁に近い位置へ移った。王女だけを守るのでも、ライトスのそばだけに残るのでもない。今、最も薄い場所へ兵をつなぐことを選んでいた。
その間にも、ガランが用意させた担架が砦へ運び込まれた。第二遊撃団の兵は第三騎士団の負傷者を受け取り、第七騎士団は崩れた外壁の前へ盾を並べる。マウクはユキネとともに守護の壁の内側へ入り、持参した書類が無事であることを確かめてから、ミカのもとへ向かった。
今すぐ事情を説明できる状況ではない。ミカもそれを理解しているのか、マウクへ一度だけうなずき、先に負傷者の移動を指示した。命令系統の違う4つの部隊は、互いの役目を奪わず、砦を守るために必要な場所を埋めていった。
やがて獅子騎士団の角笛が鳴り、前列がゆっくりと後退した。
第三騎士団を守る兵は、もう砦の中だけにはいなかった。第七騎士団、第二遊撃団、第三遊撃団が外壁へ並び、ライトスの守護魔法がその全員の前を覆っている。
イケメーンは剣を下ろし、隣のルーカへ言った。
「あの守護魔法を使う団長と、この救援を組んだ者に話を聞く。休戦の使者を出せ」
灰壁砦を巡る戦いは終わっていない。
だが、追い込まれていた第三騎士団は、ようやく孤立から抜け出していた。




