第34話 2つの急報
面談を終えたレインたちがアドラスの谷へ戻ると、入口で待っていたセンクがライトスたちを迎えた。
白旗の下で決まった内容は、すぐに谷の守備を担う者たちへ伝えられた。両王女が本人と認められたこと。王命の再確認が終わるまで、第一、第四、第六騎士団は攻撃を行わないこと。そして、ウェルが第六騎士団の護衛を伴い、王都へ向かうこと。
谷の入口に並ぶ兵たちから、張り詰めていた息がわずかに抜けた。だが、武器を収める者はいない。攻撃が止まっただけで、谷を囲む3つの騎士団が退いたわけではなかった。
ライトスも正面の陣から目を離さなかった。面談では停戦が決まったが、第六騎士団が隠し軍路で物資を運んでいた理由は、何も明らかになっていない。アカヤンがウェルの護衛を申し出たことにも、不自然だと断じられる根拠はなかった。だからこそ、確かめていない疑いを理由に兵を動かすことも、疑いそのものを忘れることもできなかった。
報告を聞き終えたセンクは、面談に同行した者たちの表情と、正面の見張りから届いている報告を短く確かめた。停戦を受けて3つの陣に大きな動きはない。次に視線を向けたのは、谷の正面ではなく北側だった。
そのそばで、ナキソウも山並みを見ていた。
「センク副団長。もう一度、北側を確認させてください」
「昨日調べた軍路ですか?」
「はい。第六騎士団の一隊は、荷を東へ運んでいました。けれど、軍路が西へどこまで続いているのかは確認できていません。正面の3騎士団が攻撃を止めても、あの道まで止まったとは限りません」
「何か見落としたと思うのですか?」
「軍路は、荷車のためだけに整備された広さではありませんでした。兵をまとめて通せます。昨日は近づく一隊に気を取られましたが、あの荷が誰かを待つためのものなら、運ばれた先も確かめる必要があります」
ナキソウは、昨日の偵察で魔力を使い切らないよう、曲がり角の先まで影を飛ばさなかった。第六騎士団の一隊が近づいた後は、発見される危険を避けて撤退している。確認できた事実と、確認できなかった範囲を分けて話していた。
センクはすぐに許可を出さず、北側の見張りが置かれた位置と、日が山陰へ入るまでの時間を見比べた。正面の停戦を受けて警戒を解くのではなく、その間にしか確かめられない場所を選ぶ。それが第一遊撃団の役目だった。
「軍路へは降りません。昨日通った山裾から、上空の確認だけにしてください。何か見えても追わず、日没前に戻ること。できますか?」
「承知しました」
「第一遊撃団の兵を同行させます。魔力が尽きる前に、自分から術を止めてください。戻らなければ、見つけたものを伝える者がいなくなります」
ナキソウはうなずき、装備を整えるため詰所へ走った。センクは同行させる兵を選ぶと、北側の見張りへ、偵察隊が戻るまで同じ場所から動かないよう命じた。
ライトスは遠ざかるナキソウの背を見送った。昨日、自分たちが見つけたのは道と物資を運ぶ一隊だけだ。その先に何がいるのかは、まだ誰も知らなかった。
*
同じ頃、ルートシンが第一騎士団の陣へ戻ると、泥にまみれた伝令が待っていた。
第三騎士団の紋章を見たルートシンは、休息を勧めるより先に伝令を天幕へ入れた。伝令の外套と靴には、長い道を急いできた泥が残っている。無事を知らせるだけの書状ではないと分かった。
「ミカからか?」
「はい。第三騎士団は旧街道から灰壁砦へ後退しました。第二騎士団も国境で前進を止められ、一度退いています」
差し出された書状には、ルートシンのよく知るミカの筆跡が並んでいた。
第三騎士団は灰壁砦で負傷者を収容し、隊列を立て直している。だが、魔法兵を中心とする部隊が砦へ留まり続ければ、触媒と魔力を消耗する。第一騎士団が動けない場合は、アドラスにいる軍へ協力を求めてほしいと記されていた。
ミカは第一騎士団の置かれた状況を知らない。それでも、自分たちだけで持ちこたえられると強がらず、兵を生かすために救援を求めている。ルートシンには、その判断を王命の一言で退けることはできなかった。
「団長、第一騎士団から救援を出しますか?」
副団長の問いに、ルートシンはすぐには答えなかった。
灰壁砦へ向かえば、第三騎士団を救うことはできるかもしれない。しかし今、第一騎士団が陣を離れれば、王命を放棄したと見なされる。面談で約束した停戦も、第一騎士団が抜けた後まで保たれるとは限らない。アカヤンとシキシが動かなかったとしても、谷を守る側が撤退と受け取れば、止まった戦いが再び始まる。
「出せない。第一騎士団はここに残る」
伝令が唇を結ぶ。ルートシンはミカの書状を机へ置き、新しい紙を広げた。
「だが、救援を断るつもりはない。第五騎士団長ジルバへ、この書状を届ける。面談で両殿下を本人と確認したこと、王命のため第一騎士団を動かせないことも、私の名で添える」
「アドラス側へ、正式に救援を求めるのですか?」
「そうだ。灰壁砦にいるのはクラストの第三騎士団だ。両殿下を守る軍に頭を下げることになっても、見捨てる理由にはならない」
ルートシンは、助力を求める理由と、第一騎士団が動けない理由を分けて記した。曖昧な文面で責任を相手へ押しつければ、ジルバが判断する時間を奪うことになる。短く書き終えると、自ら内容を読み返して封をした。
「白旗を持たせろ。谷の見張りへ、ミカの伝令と私の使者だと伝えさせる。私の使者から、ジルバ団長へ直接手渡すんだ」
「承知しました」
伝令は一度だけ深く頭を下げた。疲労の残る身体を起こし、第一騎士団の使者とともにアドラスへ向かう。
天幕を出たルートシンは、3つの陣の向こうにある谷を見た。
王命がある限り、自分は動けない。
そのために別の者へ兵を動かしてくれと頼むことが、命令への忠誠と矛盾するのか。答えは出なかったが、灰壁砦から届いた書状を握り潰すことだけはできなかった。
*
日が西へ傾く前、ナキソウたちは北側の山裾へ着いた。
昨日通った入口へは近づかず、木々に隠れた斜面を上る。同行した兵は、谷へ戻る方向と周囲の物音を確かめながら、ナキソウより低い位置に残った。軍路を直接見下ろせる場所まで進まず、ナキソウは枝の重なる場所で膝をついた。
両手の間から生まれた黒い影が、小鳥の形となって空へ上がる。光を宿した目が開くと、ナキソウは自分の目を閉じた。
影を山肌に近づけすぎず、木々の上を流れる鳥に見える高さで進ませる。昨日確認を止めた曲がり角を越えた時、静かだった山の奥に長い隊列が現れた。
軍路を埋める兵の列は、曲がりくねった山肌の向こうまで続いている。先頭にも中ほどにも旗があり、風に開いた印はクラストのものではなかった。兵の鎧にも、同じ国を示す印が並んでいる。
隊列は戦闘部隊だけではない。後方には荷車が連なり、周囲を護衛する兵も配置されていた。道に迷い込んだ一隊ではなく、補給を伴って目的地へ進む軍勢だった。足を止めて野営する並びではなく、先頭から後方まで同じ方向へ動いている。
「ミドルンティア軍です」
そばの兵が息をのむ。
「数は分かるか?」
ナキソウは影を少しだけ高く上げた。隊列の区切りを示す旗と、軍路を進む列の長さを目で追う。山肌に隠れた区間を含めれば、最後尾までは見えない。それでも、先頭だけの小部隊ではなかった。
「約5,000。少なく見積もっても、数千はいます。アドラスの背後へ向かっています」
額から汗が落ち、黒い影の輪郭が揺れた。それでもナキソウは、旗印と進行方向をもう一度確かめるまで術を解かなかった。
「もういい。戻せ」
同行した兵の声で、ナキソウは影を下げた。手元まで戻った小鳥が煙のように消えると、浅く息を吐く。
「見つかってはいません。ですが、止まっている様子もありません」
「戻ろう。見張りを置くのは、報告してからだ」
ナキソウたちは来た跡を消しながら、谷へ引き返した。途中で軍路へ近づくことも、列の最後尾を確かめるために術を使い直すこともしなかった。今必要なのは、さらに詳しく見ることではなく、見つけた軍勢を知らせることだった。
アドラスへ戻ると、入口には白旗を持った第一騎士団の使者が到着していた。
軍議の間で、ジルバはルートシンからの書状を読み終える。そこへセンクがナキソウを伴って入った。センクは疲労の程度を一目で確かめた後、報告を遮らず、ナキソウ自身に見た内容を話させた。
ナキソウは北側で確認した旗印、鎧、軍勢の規模、進行方向を順に報告した。
「間違いないのか?」
「はい。ミドルンティア軍です。約5,000が、北側山脈からアドラスの背後へ接近しています」
「昨日見た第六騎士団の一隊は?」
「確認できませんでした。ただ、荷を運んだ方角と、ミドルンティア軍が進んでくる方角は重なります」
ナキソウは、見た事実だけを答えた。2つの部隊が合流したところまでは確認していない。センクも補足を加えず、推測と報告が混ざらないよう黙っていた。ジルバも、それ以上を問い詰めなかった。
ジルバは机の上へ2通の書状を並べた。
正面には、撤退できない3つの騎士団。
灰壁砦には、救援を求める第三騎士団。
そして背後からは、ミドルンティア軍が迫っている。
「軍議を開く。ここにいる全軍の動きを、今夜のうちに決める」
控えていた兵が、各部隊へ知らせるため走り出す。ジルバは北側山脈、灰壁砦、谷の正面を地図の上で順に見たが、その場ではまだ誰にも命令を出さなかった。どこへ兵を向けても、別の場所が薄くなる。まず全ての指揮官へ同じ情報を渡し、そのうえで決める必要があった。
白旗によって正面の戦いが止まったその日、アドラスは別の2方向から、同時に決断を迫られていた。




