第33話 王命の前で
アドラスの谷と3つの騎士団の陣、その中間にある低い丘へ、白旗が立てられていた。
周囲には互いの兵を近づけない取り決めがあり、丘の東側にはルートシン、シキシ、アカヤンの3人だけが立っている。
ライトスはレインたちの数歩後ろを歩きながら、丘の斜面と林の境を見渡した。トッキーは左側、ガランは後方を警戒している。第一遊撃団が先に確認したとおり、伏兵の気配はない。それでも、遠くには第一、第四、第六騎士団の旗が並び、振り返ればアドラス側の見張りがこちらを注視していた。
約定どおり、丘へ近づく者はほかにいない。だが、何か起きれば両軍が動き出す距離だった。ライトスは3人の騎士団長だけでなく、その背後に並ぶ旗との間隔まで確かめた。守護魔法を使うなら、最初に守るのはレインとウェル、剣を持つユキネにはトッキーとガランのどちらかを寄せる。まだ戦いは始まっていない。それでも、始まった時に迷う余地を残すつもりはなかった。
レインとユキネが丘へ上がると、ルートシンの表情が変わった。
疑いを確かめるように2人を見比べたのは一瞬だけだった。すぐに片膝をつき、深く頭を下げる。
「レイン殿下、ユキネ殿下。御無礼をお許しください」
シキシも同じように礼を取った。アカヤンはわずかに遅れたものの、2人へ頭を下げる。
「顔を見れば、お分かりになるのですね」
レインの問いに、ルートシンは顔を上げた。
「はい。両殿下と面識のある者として、御本人であると判断いたします」
「私も異論はありません」
シキシの答えには迷いがなかった。
立ち上がったルートシンの視線が、その隣にいるウェルへ移る。息をのみ、普段の冷静さを失ったように目を見開いた。
「ウェル殿下……」
「御心配をおかけしました。僕は生きています」
ウェルが静かに答える。
シキシも驚きを隠せず、王子の顔と身体に残る傷を確かめていた。アカヤンは眉をわずかに動かしただけで、何も言わない。
ユキネはその違いを見逃さなかった。ルートシンとシキシは、死者が戻ったことに言葉を失っている。アカヤンだけは、驚きより先に何かを測るようにウェルを見ていた。問いただせるほどの根拠はない。ユキネはアカヤンの立ち位置と剣までの距離を覚え、姉より半歩前へ出た。
「王城には、殿下が処刑されたという正式な通告が届いています」
ルートシンの言葉に、ウェルはうなずいた。
「僕も、そう思われていると聞きました。ストログでは護衛兵たちに助けられ、旧街道から逃げました。アドラスへ来られたのは、クラスト軍の移動した跡を見つけたからです」
「では、通告そのものが偽りだったということですか」
「何が書かれていたのか、僕には分かりません。ただ、ストログの王権を奪おうとした事実はありません」
ルートシンは答えず、しばらくウェルを見つめた。
ライトスには、その沈黙が疑いには見えなかった。死んだと知らされた王子が目の前に立ち、反逆者とされた王女2人も本人だと分かった。それでも、背後には王命によって動かした騎士団がいる。確かめれば終わると思っていた問題が、かえって重くなったのだ。
レインが一歩進み出る。
「ルートシン。私たちを本人と認めるのであれば、兵を退いてください。私たちもクラスト軍と戦うために、アドラスへ来たのではありません」
「申し訳ありません。それはできません」
トッキーの手が剣の柄へ近づきかける。ライトスが視線を向けると、トッキーは動きを止めた。向こうにも敵意はない。だが、答えだけを聞けば、面談前と何も変わっていなかった。
「理由を聞かせてください」
ユキネの声が低くなる。
「両殿下が御本人であることと、王命が存在することは別です。私は、両殿下を捕らえ、武装を解除させるよう命じられています。命令の根拠が誤っている可能性は高くなりました。しかし、騎士団長が自分の判断だけで王命を破棄すれば、今後は誰も都合の悪い命令へ従わなくなります」
「誤っていると分かっても、従うのですか?」
「訂正を求めます。その返答が届くまで、こちらから攻撃はいたしません。ただし、王命が取り消されない限り、第一騎士団を撤退させることもできません」
ルートシンの言葉は苦しかったが、責任から逃げるものではなかった。
シキシが続ける。
「第四騎士団も、陛下の新たな御判断が届くまで動かしません。谷の領民を巻き込む戦いは避けるべきです」
アカヤンも反対はしなかった。
「第六騎士団も面談の結果には従おう。だが、王城へ事実が届かなければ、ここで待ち続けることになる」
レインの表情が曇る。
「ウェルの生還は、すでに通信魔法と伝令で知らせました。ですが、通信は途中で途切れ、伝令も戻っていません」
「王城へは届いていないでしょう。私が出陣するまで、その報告はありませんでした」
ルートシンの答えで、丘の上に沈黙が落ちた。
同じ方法を繰り返しても、また届かない可能性がある。誰かが妨げていると証明できなくても、すでに2つの手段が失われていた。
「それなら、僕が王都へ行きます」
ウェルの声に、レインとユキネが同時に振り向いた。
「ウェル、それは認められません。ようやく戻ったばかりなのですよ」
「姉上。僕がここにいることを父上が知らないから、王命が変わらないのでしょう。書状が届かないなら、僕自身が父上の前に立って説明します」
「道中で何が起きるか分かりません」
ユキネが強く言うと、ウェルは困ったように笑った。
「だからといって、姉上たちを囲ませたまま、僕だけ谷に隠れているわけにはいきません。処刑されたとされた僕が王城へ戻れば、少なくとも偽りの通告があったことは伝えられます」
レインはすぐに答えなかった。
弟を谷へ留めれば、その安全は守れるかもしれない。しかし、その間も王命を受けた兵たちは互いに剣を向けたままになる。王女である自分が弟を失うことを恐れて、兵と領民に危険を負わせるわけにはいかなかった。それでも、姉としてすぐに送り出せるはずもない。レインはウェルから目をそらさず、感情と決断を分けるように息を整えた。
ライトスにも、危険な選択だと分かっていた。しかし、王都へ確実に届く証拠として、ウェル本人より強いものはない。ここで両王女が王都へ向かえば、王命に従う3騎士団は捕縛せざるを得ず、アドラスを守る者たちも動く。再び同じ国の軍が向かい合うことになる。
ルートシンはウェルの前へ進み、頭を下げた。
「第一騎士団から護衛をお付けします。陛下へ提出する報告書も、私の名で用意いたします」
「待て。第一騎士団は、この場の停戦を維持する責任がある」
アカヤンが初めて口を挟んだ。
「王命への返答が届く前に兵を減らせば、互いの警戒を強めるだけだ。護衛は第六騎士団から出そう。大人数では目立つ。騎乗に慣れた者を数名選べば、王都まで遅れずお送りできる」
理由に不自然なところはなかった。
それでもライトスは、前日に聞いた偵察隊の報告を思い出していた。地図にない軍路で、穀物と鉱石を運んでいた第六騎士団の一隊。だが、それをアカヤンの命令だと断定できる証拠はなく、この場で明かさないことも決まっている。
シキシがアカヤンを見る。
「殿下をお預かりする以上、選ぶ者の身元は明らかにしてもらうぞ」
「当然だ。第一、第四騎士団にも確認させる」
アカヤンは淡々と答えた。
ルートシンはレインたちへ向き直る。
「第六騎士団の護衛には、王子殿下の安全を最優先するとの誓約を求めます。私の書状と、シキシ殿の確認書もお預けください」
「僕は、それで構いません」
ウェルが先に答えた。
レインは弟を見つめ、やがて小さく息を吐いた。
「必ず父上へ直接お会いしてください。途中で、誰から書類を差し出されても署名してはいけません」
「分かっています。今度は、もっと気をつけます」
その返事は、以前と変わらないウェルのものだった。
面談は、3騎士団の撤退を決めることはできなかった。
それでも、レインとユキネが本人であることは確認され、王命の再確認が終わるまで攻撃を行わないことが決まった。そして、死んだと伝えられた王子が、王のもとへ戻ることになった。
白旗の下を離れながら、ライトスはウェルの背を見た。
王都へ向かう道は、姉弟を取り戻すための道になるかもしれない。
だがこの道は、アドラスへ届くはずだった知らせを、すでに2度も呑み込んでいた道でもあった。




