第30話 岩間に残る証
夜明け前、アドラスの谷の北側に、短期偵察へ向かう者たちが集まった。
案内役はルイーナ。責任者をチョーカが務め、第一遊撃団から副団長のセンクと選抜者が加わる。その中には、センクの部下である20歳の偵察兵、ナキソウもいた。
ナキソウは直接戦闘を得意としないが、闇魔法で空を飛ぶ影を作り、光魔法で与えた視界を自分の目へ重ねられる。魔力が低く長時間は使えないものの、山中の進路や人影を探るには適任だった。護衛にはキュリと第一遊撃団の弓兵が選ばれている。
そこへ、ライトスも加わった。
第一、第四、第六騎士団は、昼までにアドラス外縁へ入ると予測されている。谷の守りを長く離れることはできない。全体指揮はジルバが執り、入口はガランが第二遊撃団、トッキーが第三遊撃団を率いて固める。それでもライトスが同行を決めたのは、北側の道が谷の背後へ通じていれば、正面だけを守っても意味がないからだった。
「昼までには戻ります。軍路を確認できなくても、その時刻になれば引き返します」
ライトスの言葉に、ジルバはうなずいた。
「北へ深入りするな。敵を見つけても戦うな。お前が戻らなければ、谷の兵が動揺する」
「承知しています」
ルイセンは外套を着た娘を見つめた。
「道の入口を示したら、お前だけでも戻ってよいのだぞ」
「その先の分かれ道を覚えているのは私です。入口だけでは、皆さんが迷ってしまいます」
「地図にもない場所へ勝手に入った者が、迷う心配をするのか」
「帰れなくなると困りますから」
あっけらかんと答えた娘に、ルイセンは額を押さえた。
チョーカが全員を見渡す。
「目的は道の確認だ。何かを見つけても戦闘は避ける。こちらの存在を悟らせるな」
東の空が白み始める。チョーカの合図で、一行は谷を出た。
*
山裾までは、領民が薪や薬草を採るための道が続いていた。
やがて草が深くなり、人の通った跡が消える。先頭のルイーナは、鳥の頭に似た岩の前で足を止めた。
「ここからです」
低い枝と倒木が、斜面への入口を塞いでいる。ルイーナは迷わず脇へ回り、岩の間へ足を入れた。
「待ってください」
ライトスが呼び止め、全員を見回した。淡い光が足元から広がり、一人ずつの身体を薄く包む。皮膚に触れる感覚はない。それでも隣にいる者の輪郭がわずかに地形へ溶け、視線を外すと立っていた場所を捉えにくくなった。
「守護魔法ですか?」
ルイーナが自分の腕を眺める。
「はい。ただし、姿を消せるわけではありません。私の近くで動きを抑えている間だけ、遠目から人影として認識されにくくなります。音や足跡までは隠せません」
「守るだけではないのですね」
「攻撃を受けないことも、守ることですから」
ライトスは当然のことのように答え、最後尾まで光が届いているかを確かめた。自分より先に全員の状態を見る。その姿を、ルイーナはしばらく見つめていた。
「ルイーナ?」
「何でもありません。こっちです」
明るく返すと、彼女は再び先頭へ立った。
センクが倒木の根元を調べる。
「自然に折れたものではありません。刃物で切った後、枝をかぶせています」
ナキソウも地面へ触れた。
「表面だけ草を戻しています。下の土は何度も踏み固められています」
「周囲に見張りの痕跡がないか確認してください」
「承知しました」
ナキソウは斜面の左右を調べた。折られたばかりの枝も、人が長く潜んだ跡もない。
「新しい足跡はありません。今は見張られていないと思います」
一行は倒木の脇を抜け、細い獣道を進んだ。岩場を回り、枝をくぐった先で、センクが片手を上げる。
木々の奥に、山肌を横切る広い道が現れていた。
荷車がすれ違えるほどの幅があり、地面は平らに削られている。斜面側には石壁が築かれ、道の端には排水用の溝まで掘られていた。
「兵も荷車も通せるな」
チョーカが石積みを確かめる。
「しかも、放棄されていません」
センクが拾った木片の切り口は新しい。地面には雨の後についた車輪の溝も残っていた。
「ナキソウ、上から進路を確認してください。魔力を使いすぎない範囲で構いません」
「分かりました」
ナキソウが両手を重ねると、黒い影が小鳥に似た形へ変わり、光の点を宿した目を開いた。影が木々の上へ出ると、ナキソウは目を閉じる。
「道は東西へ続いています。東側に人影はありません。西は山の奥で曲がっていて、その先までは見えません」
「もう十分です。戻してください」
影が手元へ戻り、煙のように消えた。
「便利な魔法ですね」
ルイーナが目を輝かせる。
「長くは使えません。見えるだけで、音も拾えませんから」
「それでも、勝手に山へ入るより安全そうです」
「その比べ方は間違っていると思います」
「では、安全そうだというところだけ覚えておきます」
淡々と返されても、ルイーナは気にした様子もなくうなずいた。
チョーカが東へ続く軍路を見た。
「進むぞ。ただし、戻る時刻は変えない」
*
軍路の端を進んでいると、チョーカが岩の前で足を止めた。
隙間に、鈍い光が見える。
土を払うと、曲がった金属片が現れた。表には第七騎士団の紋章があり、その下に小さな刻印が残っている。
チョーカは受け取った金属片を見つめたまま動かなかった。
「バウタイ様のものだ」
「間違いありませんか」
センクの問いに、チョーカはうなずく。
「あの方が使っていた指揮棒の装飾だ。この個人刻印を知っているのは、第七騎士団でも古い者だけだ」
バウタイの遺体と所持品は別の斜面で回収されている。この装飾片が見つかったという報告はなかった。
「バウタイ様は、ここまで来ていたのですね」
キュリが岩の隙間と軍路を交互に見る。
「ああ。何に遭遇したのかまでは分からない。だが、魔獣に襲われただけという報告では説明できなくなった」
チョーカが装飾片を布で包んだ時、ナキソウが東側へ顔を向けた。
「地面が揺れています。荷車が近づいているかもしれません」
「全員、道を外れてください。ナキソウは上空から確認を」
一行は斜面上の岩陰へ移動した。ナキソウが再び影を飛ばし、目を閉じる。
「部隊がこちらへ向かっています。クラスト軍です。荷車を伴っています」
「所属は?」
「旗はありません。鎧の印までは見えません」
「それ以上は近づけないでください」
センクの指示で影が戻る。ライトスは全員が岩陰へ入ったことを確かめ、守護魔法を重ねた。淡い光はすぐに薄れ、岩肌と外套の境が曖昧になる。
ルイーナの肩が岩陰からわずかに出ていた。ライトスは自分が外側へ移り、彼女を手で制する。
「そこから出ないでください」
「ライトス様の方が見つかりやすくなりませんか?」
「全員を範囲に入れるには、ここがいいんです」
自分だけが安全な位置へ入るという考えは、最初からないらしい。ルイーナは返事をせず、周囲を覆う光と、その中心に立つライトスを見上げた。
やがて車輪の音が近づき、一隊が姿を現した。
旗はない。しかし兵の肩当てには、クラスト王国の紋章と第六騎士団の印が刻まれていた。複数の荷車には、穀物袋、鉱石を収めた木箱、木材や道を補修する道具が積まれている。
「第六騎士団の本隊は、アドラスへ向かっているはずです」
センクが声を落とす。
「なら、あれは本隊から分けられた部隊だ」
チョーカは人数、装備、荷車、進行方向を順に確かめた。一隊はアドラスではなく、軍路を東へ進んでいる。公にされた進軍経路とは重ならない。
「追いますか?」
キュリが尋ねる。
「いや。紋章と荷、向かう方角は確認した。ここで見つかれば、谷へ知らせる前に口を塞がれる」
ライトスもうなずいた。
「戻りましょう。あの部隊と戦うことが目的ではありません」
最後尾の兵が木々の向こうへ消えると、センクはナキソウたちへ指示を出した。
「私たちが残した痕跡を消します。増えた足跡を優先してください」
柔らかい土についた足跡を枝で崩し、折れた草を戻す。ライトスは魔法を維持したまま、遅れる者がいないか最後尾から確かめた。
その背中を待っていたルイーナが、隣へ並ぶ。
「ライトス様は、いつも最後に戻るんですね」
「誰かを置いて戻ったら、守ったことになりませんから」
それだけ答え、ライトスは前方へ目を戻した。
ルイーナは笑わなかった。胸の内へ落ちた言葉を確かめるように、一度だけ小さくうなずく。谷で負傷者や部下を先に見ていた姿と、今、自分たち全員を守護魔法の中へ収めて歩く姿が重なっていた。
地図にない軍路には、バウタイが到達した証拠が残されていた。
そして今も、第六騎士団の兵が、記録から消えた穀物と鉱石を運んでいる。
谷へ迫る同じ旗の軍と、北側山脈を密かに進む部隊。その2つが無関係ではないことを、ライトスたちは昼までに持ち帰らなければならなかった。




