第2話 旧街道の殺意
ストログ王都を離れてから、旅は穏やかに進んでいた。
レインたちを乗せた馬車の周囲を、クラストの護衛兵50人が固めている。街道沿いの風景は次第に平原から森へ変わり、木々の向こうには国境へ続く山並みが見え始めていた。
馬車の中で、レインは窓の外へ目を向けた。
「ウェルは、もうクラストを出た頃でしょうか」
「出立予定に変更がなければ、こちらへ向かっているはずです」
向かいに座るシャルンが答える。その隣では、ユキネが剣を抱くようにして目を閉じていた。休んでいるように見えても、馬蹄の音や護衛兵の声が乱れるたび、指先がわずかに柄へ寄る。
「マウクも一緒です。心配はいらないでしょう」
「そうですね。むしろ、イケメーン殿がお酒を勧めすぎないか心配した方がよいかもしれません」
レインが微笑むと、ユキネは目を開けた。
「マウクが止めると思います。止めながら、自分も飲むのでしょうけれど」
「容易に想像できますね」
王城での別れを思い出し、馬車の中にわずかな笑いが生まれた。
それが消えたのは、隊列が街道の分岐で止まった時だった。
前方に数十人のストログ兵が待機していた。指揮官らしき男がクラストの護衛隊長と言葉を交わし、やがて馬車のそばまで近づいてくる。
「王女殿下。新街道の先で賊が確認されました。安全のため、ここから旧街道へ迂回していただきます」
レインは窓越しに男を見た。
「賊は、どの辺りに出たのですか?」
「国境へ続く森の手前です。すでに兵を向かわせておりますが、排除を確認できるまでは旧街道を通る方が安全です」
クラストの護衛隊長も、ストログ側から正式に派遣された兵の説明を疑ってはいないようだった。だが、レインはすぐには答えず、シャルンへ視線を向けた。
「旧街道を通った場合、行程への影響は?」
「大きくは変わりません。ただ、道幅が狭く、現在はほとんど使われていないはずです」
レインはユキネにも目を向けた。ユキネは窓の外の兵と森の入口を見比べてから、短く告げる。
「ここからでは、道の奥までは見通せません」
賊の排除を待って街道上に留まれば、かえって一行を危険にさらす。レインは護衛隊長の位置を確かめ、決断した。
「旧街道へ入ります。ただし、隊列を崩さず、周囲への警戒を続けてください」
命令が伝えられ、隊列は旧街道へ入った。
森に入ると、馬車の速度が落ちた。
道の両側から枝が張り出し、護衛兵が横に広がる余地は少ない。地面には古い轍が残っていたが、近頃使われた形跡はほとんどなかった。
シャルンは窓の外を歩くストログ兵の数を目で追った。
賊への対処に兵を向かわせたという話だった。それにもかかわらず、王女一行を旧街道へ案内するために、これだけの兵を残している。
しかも、先導する兵より後方についた兵の方が多い。
護衛ではなく、退路を塞ぐ配置に見えた。
「おかしいですね」
シャルンが小さく漏らすと、レインが振り向いた。
「何がですか?」
「新街道に賊が出たため、私たちは旧街道へ移されました。ですが、この道には先行して安全を確認した兵が見当たりません。案内の兵数も、単なる迂回のためとしては多すぎます」
ユキネはすでに剣の柄へ手を置いていた。
「人数だけではありません。先ほどから、ストログ兵の配置が変わっています」
窓の向こうを見ながら、声を低くする。
「私たちを守る位置ではない。クラスト兵の外側と後ろへ回っています。それに……何人かは、こちらを敵として見ています」
「敵として?」
レインの顔から笑みが消えた。
ユキネは窓を細く開け、外の気配を探った。
「殺気があります」
その時、シャルンの意識へ微かな魔力が触れた。
遠方から届けられた通信魔法だった。雑音のように揺らぐ気配の中から、聞き慣れた声が届く。
『シャルン。予定が変わった。僕はウェル様に同行しない。帰路で受ける指示を、理由も確かめずに信じないで。レイン殿下とユキネ殿下を守ってほしい』
「マウク様……」
シャルンは息をのみ、すぐに馬車の前方へ身を乗り出した。
「隊列を止めてください!」
御者が手綱を引き、馬車が急停止する。周囲のクラスト兵も足を止めた。
「シャルン、今のは?」
「マウク様からの通信です。ウェル様への同行が中止されたと。そして、帰路で受ける指示を、理由も確かめずに信じるなと」
シャルンは、ストログ兵が塞ぐ前後の道を見た。
「私たちは、理由を確認しないまま誘導されました。先行確認もなく、兵の配置も護衛ではない。この迂回は危険です。直ちに新街道へ戻るべきです」
レインは息を整えた。王女である自分の決断が、ここにいる全員の命を左右する。
「戻ります。護衛隊長へ伝えてください。来た道を引き返し、新街道へ復帰します」
命令が馬車の外へ伝えられた。
クラストの護衛兵が反転の準備を始める。しかし、後方を固めていたストログ兵は道を開けなかった。
護衛隊長が馬を進める。
「王女殿下の命令だ。道を空けてもらいたい」
ストログ兵から返事はなかった。
代わりに、先頭の兵が剣を抜いた。
「王女を殺せ」
短い命令と同時に、森の両側から矢が放たれた。
「伏せてください!」
ユキネがレインを座席へ押し倒す。矢が馬車の壁へ突き刺さり、外では金属のぶつかる音と怒号が一斉に上がった。
クラスト兵もただちに応戦したが、前後を塞がれ、隊列を整える余裕がない。旧街道へ入るため縦に伸びていた陣形が、そのまま分断されていく。
「レイン姉様は馬車から出ないでください」
ユキネが扉へ手をかける。
「待ってください。外へ出れば狙われます」
「ここにいれば、護衛兵だけで支えきれなくなります。私も戦う側です」
扉を開けたユキネは、馬車へ迫っていた兵の剣を受け止めた。刃を横へ流し、続く一撃で相手を退ける。
その隙に、レインも馬車を降りた。
「姉様!」
「私だけが守られていては、皆を支えられません」
レインは短く詠唱し、街道の脇から水を巻き上げた。広がった水流が複数の敵兵の足元をさらい、馬車へ向かう動きを止める。
だが、森の奥から新たなストログ兵が姿を現した。
襲撃側はおよそ200人。対する護衛兵は50人しかおらず、最初の矢で何人も倒れている。生き残った兵たちは王女たちの周囲へ集まり、狭い街道で必死に防いでいた。
シャルンは倒れた護衛兵のもとへ駆け寄った。傷口を布で押さえながら、周囲を見回す。
退路は塞がれている。森へ入れば馬車を捨てることになり、負傷者を連れて動けない。
戦うしかない状況を、最初から作られていた。
「護衛を左右に分けないでください! 馬車を背にして、防ぐ範囲を狭めて!」
シャルンの声に、護衛隊長が兵を動かした。
それでも、数の差は埋まらない。
敵兵の1人が防衛線を抜け、レインへ迫った。レインは次の魔法を唱えようとしたが、詠唱が間に合わない。
男の剣が振り上げられた。
その刃がレインへ届くより早く、横から飛び込んできた別の剣が男を切り伏せた。
「王女殿下から離れろ!」
若い声が森へ響く。
レインの前に立ったのは、見覚えのない少年だった。
その背後から、クラストの装備を身につけた兵たちが次々に現れる。近隣で任務に就いていた第三遊撃団の全兵力だった。
少年――第三遊撃団長トッキーは、剣を構えたままレインを振り返った。
「お怪我はありませんか?」
「はい。助かりました。あなたは……」
「第三遊撃団長、トッキーです。話は後で。今はここを切り抜けます」
トッキーは部下へ向き直った。
「王女殿下たちと負傷者を守れ! 護衛兵の防衛線に加わり、敵を馬車から引き離せ!」
第三遊撃団が戦列へ入ると、崩れかけていたクラスト側の守りが押し戻された。
トッキーは敵の動きを見据えながら、伝達魔法を発動する。
届ける相手は、新街道の国境付近で任務に就いている兄だった。
「クラストとストログ王国を繋ぐ街道脇の森で王女殿下たちが襲撃されている。加勢してくれ」
通信を送り終えたトッキーの視線の先で、森の奥からさらに多くの兵が近づいていた。




