第28話 北へ消える荷
ウェルの生還を知らせる伝令が戻らないまま、アドラスの谷には次の夕刻が近づいていた。
ルイセンの屋敷では、マウクとシャルンが机いっぱいに書類を広げていた。王城の命令、チョーカが集めた補給記録、シャーウの間者が持ち帰った軍の移動情報、各部隊の命令書の写しが、日付ごとに分けられている。
マウクは新しい紙に線を引き、同じ日付の記録を横に並べた。
「第一、第四、第六騎士団はアドラスへ。第二、第三騎士団はストログ国境へ。王城は、反乱の鎮圧と国境防衛を理由に軍を2つへ分けました」
「その出陣に合わせた補給なら、行き先は各騎士団の進路と重なるはずです」
シャルンは穀物の出庫記録を手元へ寄せた。記されている量は少なくない。しかし、受領した部隊の欄には空白が続いていた。
「こちらはチョーカ様が調べていた情報です。穀物は王都周辺の軍用倉庫へ集められていますが、そこから先の受領者が記されていません」
「鉱石も同じだね。採掘地から王都側へ運ばれた後、通常の納入先へ届いていない」
マウクは鉱石の流通記録を隣へ置いた。
食料も鉱石も、急な出陣に備えて軍用倉庫へ集めるだけなら不自然ではない。だが、5つの騎士団が動き始めても、出庫先を示す記録は増えていなかった。
「帳簿から消したのでしょうか」
「消したと決めるのはまだ早いよ。別の帳簿へ移されたのかもしれないし、記録そのものがこちらへ届いていない可能性もある。ただ、軍を動かすために集めたなら、今ある騎士団の補給量と合わない」
マウクはそう答え、各騎士団の出発時に確認された荷車の数を照らし合わせた。
第四騎士団は駐屯地の備蓄を使い、第二騎士団は転進前に街道上で補給を整えている。第三騎士団も王都側の駐屯地から物資を持ち出した。王都周辺へ集められた大量の穀物と鉱石が、各騎士団へ配られた形跡はなかった。
扉が叩かれ、チョーカとシャーウが入ってきた。
「呼ばれた理由は、その紙の山か?」
「そうだよ。チョーカが集めた情報を、軍の移動と重ねてみた。確認したいのは、王都周辺へ集められた荷が、その前にどこを通ってきたかだ」
チョーカは机へ近づき、印を付けられた記録を目で追った。
「穀物は西と南から集められた。鉱石は採掘地が散っているが、途中から同じ道へ寄せられている。俺が調べた時は、王都を守るための備蓄だと思った」
「私の配下が確かめた荷車もあります」
シャーウが数枚の報告を抜き出した。王都方面へ向かったはずの荷車が、途中で北側へ進路を変えていたという目撃記録だった。別の日に確認された荷も、同じように北へ向かっている。
「追跡は?」
チョーカの問いに、シャーウは首を横へ振った。
「当時は両殿下の捜索と軍の動きの把握を優先していました。荷を見た者も、北側の担当域へ入る前に引き返しています。その先は確認できていません」
マウクは北へ向かった印の先に線を引いたが、その線を途中で止めた。
「今言えるのは、王都周辺へ集められたはずの物資の一部が北へ運ばれ、その先の情報がないことだけです。誰が運ばせたのか、どこへ届いたのかは分かりません」
「第六騎士団の担当域だな」
チョーカが低く言った。
「そうだけど、第六騎士団へ渡った証拠はないよ。アカヤン様が関わっていると決めれば、見えるものまで見えなくなる」
「分かっている。だから、行き先を確かめる」
チョーカは地図を広げた。王都と各駐屯地、アドラスの谷を結ぶ道は記されている。だが、荷車を見た地点から北へ線を伸ばすと、やがて山脈の手前で道が途切れた。
「ここから先へ荷を運んだなら、どこかに道が要る」
「公の街道を使えば記録が残ります。これだけの荷なら、積み替えや護衛も必要です」
シャルンが答える。
マウクは地図の余白へ、穀物、鉱石、北側と書いた。まだ答えにはならない。だが、不自然な命令で軍が分散した陰で、大量の物資が記録から消えている。偶然としては重なりすぎていた。
*
その日の夜、ルイセンの書斎へ場所を移し、古い領地図を見せてもらうことになった。
治療を終えたばかりのゴハールも、治癒師に許された時間だけ椅子へ座っている。顔色はまだ悪く、立ち上がることは禁止されていた。
「北へ向かった荷か」
ルイセンは机上の地図を見て、眉間にしわを寄せた。
「アドラスから見える山道なら、領民が薪や薬草を採る範囲までしか続いておらん。その先へ荷車を通せるとは思えんが」
「だから困っているんです。道がないなら、荷は山脈の手前で止まったことになります。でも、それを保管した場所も、受け取った部隊も記録にない」
マウクが答えると、ゴハールは腕を組んだまま目を閉じた。
「北側の記録を扱う者が、そろって見落としたとは考えにくいのう」
「見落としでなければ、意図して残さなかったことになります。ただ、山脈へ大量の荷を運べる道がない以上、まずは手前に保管場所があると考えるべきでしょう」
「牢から戻ったばかりだというのに、相変わらず慎重だな」
「断定を急いだ結果、僕は反逆者にされましたから」
軽く返したマウクだったが、部屋の空気は緩まなかった。
シャルンが地図上の街道をなぞる。
「北側の集落と物資庫を順に確認するしかありませんね。少なくとも、この地図には山脈の中へ続く道はありません」
そこで話は行き止まりになった。
ルイセンが家臣へ古い地図を追加で持ってくるよう頼む。しばらくして扉が開き、巻いた地図を両腕に抱えたルイーナが入ってきた。
「お父様、頼まれた地図はこちらで全部です」
「すまなかったな。そこへ置いてくれ」
「これくらいなら平気です。それより、何を調べているんですか?」
ルイーナは地図を置き、皆が囲んでいる北側山脈へ目を向けた。ルイセンは、物資が北へ運ばれた後の行き先を探しているとだけ説明した。
「山脈へ荷車を入れられる道が見つからなくてな」
「ああ、その道ならありますよ。何本も」
書斎から音が消えた。
ルイーナだけが、なぜ全員が自分を見ているのか分からないという顔をしていた。
「皆さん、どうしてそんな顔をしているんですか?」
「……あるのか?」
「はい。荷車だけでなく、兵も通れそうなくらい広い道です。地図には載っていませんけど、山の中に何本かありました」
ルイセンはすぐには言葉を返せなかった。
チョーカが椅子から身を乗り出す。
「何本か、だと?」
「獣道の先へ入ると、途中から急に地面が平らになるんです。草や枝で隠れていましたけど、自然にできた道には見えませんでした。全部がつながっているかまでは分かりません」
「お前は、そこまで山へ入ったのか」
父の声に別の心配が混じり、ルイーナはわずかに視線を逸らした。
「危なくなったら戻るつもりでした。でも、まだ危なくなかったので」
「地図にもない道へ入っておいて、よくその言葉が出てくるな」
「でも、道が続いていたら、その先を見たくなるじゃないですか。それに、入ったから今お役に立てました」
あっけらかんと答えた娘へ、ルイセンは額を押さえた。ゴハールは呆れたように息を吐いたが、口元にはわずかな笑みが浮かんでいる。
「ルイセン。お前に似ず、随分と肝の据わった娘だな」
「今は笑うところではないぞ」
「わしは感心しておる」
2人のやり取りを聞きながら、マウクは地図をルイーナの前へ向けた。
「見つけた場所を、覚えている範囲で示してもらえますか」
「正確な距離までは分かりません。でも、入口ならこの辺りです」
ルイーナの指が、道の記されていない山裾を順に示した。1か所ではない。谷の北側から山脈へ入る経路が、いくつも隠れている。
その指先を見ていたゴハールが、ゆっくり目を開いた。
「ルイセン。バウタイが死ぬ前、同じ山を気にしておらなんだか」
ルイセンの表情から娘を案じる色が消え、別の緊張が浮かんだ。
「忘れるものか。第七騎士団を率い、騎兵戦では並ぶ者がいないといわれた男だ。チョーカ殿の才を見いだしたのも、バウタイだった」
ルイセンは古い地図へ視線を落とした。
「そのバウタイが、北側山脈をもっと重点的に巡視すべきだと何度も言っていた。理由を尋ねても、勘だとしか答えなかったが」
「そして、自ら巡視へ出た先で死んだ。護衛もろとも魔獣に襲われたと報告された」
ゴハールの言葉を受け、チョーカは地図へ落としていた視線を上げた。
「師は、根拠のない勘で兵を危険へ近づける方ではありません」
「ああ。あれほど騎兵戦に長けた男が、護衛もろとも討たれたのだ。遺体が戻った時から、わしは腑に落ちなかった」
ゴハールの声には、古い友を失った痛みが残っていた。
「バウタイ様の最期が、この道に関係していると?」
チョーカの問いに、ゴハールは首を横へ振った。
「まだ分からん。だが、あやつが警戒していた山に、地図にない道があった。それを偶然として捨てることはできん」
ルイセンも、山脈の描かれた場所から目を離さない。
「あの時、もっと強く調査を求めるべきだったのかもしれん」
「今からでも確かめられます」
チョーカの言葉に、マウクはすぐ同意しなかった。
「調べる必要はあります。ただし、第一、第四、第六騎士団がアドラスへ向かっています。道を見つけたからといって、大勢を谷から出すことはできません」
「少人数で、戻る時刻を決める。まず入口が本当にあるか、それだけを見る」
「ならば、谷の守備を預かる方々と相談してください。僕は、見つかった事実を整理します」
軍を動かす判断を、自分のものにはしない。マウクは紙に、北側山脈の道、ルイーナの目撃、バウタイの巡視と記した。
別々だった3つの事実が、地図の上で初めて重なった。
王城から消えた穀物と鉱石。その先で途切れた記録。道のないはずの山脈に残る、荷車と兵が通れる幅の跡。そして、そこを警戒していた元第七騎士団長の死。
まだ、どれも同じ者の仕業だとは断定できない。
それでも、北側山脈は、見過ごしてよい場所ではなくなっていた。




