第27話 旧街道の霧
ウェルの生還を知らせる通信は、王都へ届かなかった。
術を担った兵が場所を変え、術式を何度組み直しても結果は同じだった。送り出された魔力は途中で乱れ、報告を結ぶ前に途切れてしまう。
シャルンは失敗した時刻と場所を書き留めさせると、用意していた書状を伝令へ託した。
「通信だけが不調なのか、王都へ至る経路そのものを阻まれているのか、現時点では判断できません。だからこそ手段を分けます。アーグ陛下へ、ウェル殿下を保護したことを必ずお伝えください」
「承知しました」
伝令は護衛と替えの馬を伴い、谷を出た。通信も、場所と時を変えて繰り返すことになった。
だが、その日のうちに王城へ届いた知らせはなかった。
谷から離れた場所では、アカヤンの命令を受けた者たちが通信を阻み、街道へ出た伝令を待ち受けていた。ウェルの生還を記した書状は奪われ、伝令と護衛も王都へ進めなかった。
アドラス側で分かるのは、通信が届かず、伝令も戻らないという事実だけだった。シャルンは失敗した通信の条件を比較しながら次の試行を準備させ、シャーウは谷の周辺を調べるため第一遊撃団の斥候を選んだ。
「伝令を捜す者まで深く出せば、谷の警戒が薄くなります。街道ごとに確認地点を定め、戻る時刻もずらします。誰かが戻らなくても、全員を同じ場所で失うことはありません」
シャーウの判断に、ジルバは険しい顔でうなずいた。
「第一騎士団がこちらへ向かっている。第四と第六も後を追っている以上、兵を広げすぎるわけにはいかん。街道の確認は斥候に任せ、今は戻ってくる報告を待つ」
「承知しました。人を見つけても追わせず、数と痕跡だけを確かめさせます」
ウェルを守ることと、生還を王へ知らせること。その2つを同時に進めなければならない。
それでも、報告を受け取るはずのアーグは、息子がアドラスへ帰ったことを知らないままだった。
*
ストログ国境では、獅子騎士団の前方にクラストの旗が現れた。
イケメーンは斥候の報告を聞き、正面から近づく第二騎士団の隊列を見た。兵を隠す様子はない。盾を並べ、獅子騎士団を正面から押し退けるための陣形を組んでいる。
「第二騎士団は止まりません。このまま陣へ迫るものと思われます」
「正面へ意識を集めるには、分かりやすい動きだな」
イケメーンの隣で、ルーカは第二騎士団の後方ではなく、旧街道の方角へ目を向けた。
「第二騎士団だけなら、あれほど正面を強調する必要はありません。ミカも来ているなら、正面の圧力を隠れ蓑にして別の道から回り込みます」
「どこを使う?」
「旧街道です。木々と起伏が多く、魔法兵の姿を隠しやすい。あの人なら、風と水を使って音も視界も消します」
そこへ戻った別の斥候が、旧街道付近に不自然な霧が出ていると報告した。足跡は見つからず、鎧や馬具の音も風に紛れて捉えにくいという。
イケメーンは地図へ視線を落とした。正面の第二騎士団へ全軍を向ければ、旧街道から入った第三騎士団に側面を取られる。逆に、挟撃を恐れて兵を割きすぎれば、正面を押し切られる。
「フクシン、主力を任せる。第二騎士団を正面から受け止めるな。相手の力を逃がし、国境に沿って隊列を流せ」
「団長は旧街道へ?」
「ああ。別働隊を率いて向かう。ルーカも連れていく」
「承知しました。正面はこちらで持たせます」
「深追いはするな。退かせることが目的だ」
「分かっています」
獅子騎士団の主力は、フクシンの指揮で陣形を変えた。正面に厚い壁を作らず、第二騎士団の進路に合わせて部隊を分ける。
イケメーンは別働隊とルーカを率い、霧の出ている旧街道へ向かった。
*
チカライは、獅子騎士団の陣が左右へ開くのを見た。
「中央が薄くなった。前列は速度を落とすな!」
「団長、後退ではありません。左右の兵がこちらへ向きを変えています」
副団長の指摘どおり、獅子騎士団は後方へ退いていなかった。第二騎士団が進む先だけを空け、その両側へ兵を回している。
誘いだとチカライにも分かった。だが、ここで足を止めれば、旧街道へ回った第三騎士団が獅子騎士団の側面へ出る前に、相手へ備える時間を与える。
「左右の隊列を広げろ! 中央を割り、敵を国境から退かせる!」
第二騎士団の前列が進み、フクシンの部隊とぶつかった。
盾と盾が重い音を立てる。フクシンは押し返さず、前列を順に退かせた。空いた場所へ第二騎士団が踏み込むと、その進路に合わせて左右の部隊を動かす。
チカライが中央へ兵を集めれば、フクシンは正面の厚みを減らして力を逃がした。左右へ広がろうとすれば、待たせていた兵が盾で押し戻す。
「前だけを見るな! 隊列を保て!」
チカライの声が飛ぶ。
剣も抜かれた。だが、フクシンは相手を包囲して討ち取ろうとはせず、第二騎士団の進む向きを変えることに兵を使った。チカライも、倒れた相手を追って斬ることは禁じた。
互いに皆殺しを望んでいなくても、軍令を受けた兵は退けない。盾の隙間から突き出された剣を獅子騎士団の兵が受け、別の場所では押し倒された兵を仲間が引き戻した。
第二騎士団は獅子騎士団の中央を割ったはずだった。
しかし、進めば進むほど正面の敵は薄くなり、左右の圧力だけが増していく。気づいた時には、先頭の向きは国境の内側ではなく、境に沿う方向へ変えられていた。
「流されているぞ! 先頭を止めろ!」
チカライは怒鳴ったが、動いている大隊をただちに止めれば、後続が詰まって隊列そのものが崩れる。
フクシンはその迷いを見逃さず、前列へ命じた。
「押し返すな。そのまま通せ! 横から進路を絞れ!」
正面攻撃は止まっていない。それでも第二騎士団は、望んだ場所から少しずつ遠ざけられていた。
*
旧街道では、第三騎士団が霧の中を進んでいた。
風魔法が鎧と足音を散らし、水魔法で作られた霧が隊列を隠す。後方では土魔法を使う兵が行軍の痕を崩し、闇属性の魔法が木々の間を暗く覆っていた。
ミカは先頭近くで、正面の戦況を伝える合図を待った。
獅子騎士団を皆殺しにするつもりはない。だが、国境から退かせるという軍令を受けた以上、第二騎士団が正面を引きつけている間に側面へ出なければならなかった。
「霧の外へ出たら、攻撃隊と拘束隊に分かれて。退いた相手を必要以上に追わないで。倒す数を競う戦ではないわ。私たちの目的は、獅子騎士団を国境から離すことよ」
命令が後方へ伝わった直後、先行していた兵が戻ってきた。
「団長、前方に獅子騎士団です。別働隊が旧街道を塞いでいます」
ミカは隊列を止め、霧の濃さと街道の幅を確かめた。接近を読まれただけなら、陣形を組み直せばよい。
だが、霧の向こうから現れた別働隊の先頭に、イケメーンと並んで立つルーカの姿があった。
幼い頃から知る相手だった。ミカが魔法を教えた少女は、今ではストログの装備を身につけ、獅子騎士団の一員としてこちらを見ている。
「やはり、あなたが来たのね」
ルーカの声に迷いはなかった。それでも、武器を握る指には力が入っている。
「そこを退いて、ルーカ。私たちは獅子騎士団を国境から離すよう命じられている」
「退けません。私も、この国境を守る命令を受けています」
「次に会う時は、こんな場所ではないと思っていたわ」
「私もです。けれど、先生の部隊でもここは通しません」
イケメーンが剣を抜き、別働隊へ命じた。
「前へ出ろ! 深追いはするな。旧街道を渡すな!」
ミカも杖を構えた。
「第三騎士団、展開! 正面を突破する!」
火の光が霧を赤く染めた。獅子騎士団の前列が盾を上げ、飛来した魔法を受け止める。続いて地面が盛り上がり、進路を塞ぐ盾の列を揺らした。
別働隊が左右へ開く。開いた中央へ第三騎士団が踏み込もうとした瞬間、風に押された霧が逆流し、視界を覆った。ルーカはミカの杖先ではなく、足の向きと左手の動きを見て、兵へ退く方向を叫んだ。
「右へ! そこに土が来る!」
直後、兵がいた場所の地面が崩れた。
ミカは霧の先にいるルーカを見た。昔、自分が教えた魔法の癖を覚えている。ルーカもまた、杖の動きだけに惑わされず、次の属性を読もうとしていた。
「私の教え方がよすぎたみたいね」
「先生が手を抜かなかったからです」
短い言葉を交わしても、互いの立場は変わらなかった。
ミカが杖を振り、ルーカが兵を動かす。霧の中で魔法と盾がぶつかり、旧街道を巡る戦いが始まった。
正面ではチカライとフクシンが軍を動かし、旧街道ではミカとルーカが敵味方に分かれて向かい合う。
誰も相手の国を滅ぼそうとはしていない。それでも、形を変えられた王命は、疑いを抱く者たちにまで剣を取らせていた。




