第25話 届いた死
第四、第六騎士団がアドラスへ向けて動き始めた日の午後、谷の東側を警戒していた第一遊撃団から、1人の男がルイセンの屋敷へ案内された。
旅商人のような服装をしているが、シャーウは男の顔を見るなり席を立った。
「王都に残していた者です」
男の外套には泥がこびりつき、頬には浅い傷があった。休むよう勧められても首を横へ振り、懐から布に包んだ紙を取り出す。
「王城へ届いた公文書について、急ぎお伝えすべきことがあります。レイン殿下とユキネ殿下にも、同席をお願いいたします」
シャーウは紙へ手を伸ばさず、男の顔色と呼吸を確かめた。
「誰から聞いた話ですか。あなたが直接見たものと、他の者から得たものを分けて報告してください」
「承知しています。受領記録と回付記録は私が確認しました。外交文書の原本も短時間ですが見ています」
迷いなく返った言葉に、シャーウの表情が変わった。部下へ水と治療の準備を命じた後、屋敷にいる者だけを呼び集める。
ほどなくして、部屋にはレイン、ユキネ、シャルン、ジルバ、チョーカ、マウクが集まった。ライトスとトッキーは谷の守備を離れられず、ジルバの判断で呼ばれていない。
シャーウは扉の外へ第一遊撃団の者を置き、報告中は誰も近づけないよう指示した。王都から命懸けで運ばれた情報を、不確かな噂として谷へ広げるわけにはいかない。
男は全員がそろったことを確かめ、机の上へ紙を置いた。
「ストログ王国からクラスト王城へ、ウェル殿下の処刑を知らせる正式通告が届きました」
誰も言葉を発しなかった。
レインは男を見たまま、わずかに唇を動かす。
「処刑……ですか?」
「はい。ウェル殿下はストログ王国の王権転覆を企てた罪に問われ、同行した護衛兵とともに刑を執行されたと記されています」
「あり得ません」
ユキネの声は静かだった。だが、膝の上で重ねた両手は、剣の柄を握る時のように固く結ばれていた。
「ウェルが、ストログの王権を奪おうとするはずがありません。あの子は両国の関係を深めるために向かったのです」
「通告には、ウェル殿下の署名がある計画書を証拠とした旨が記されていました」
マウクが顔を上げる。
「その計画書の内容は?」
「ストログ国内の協力者と兵を集め、王城の一部を制圧する計画とあります。通告そのものでは、署名の確認方法までは分かりません」
ウェルが実行するとは考えられない計画だった。
マウクは机の端へ手を置いた。
「僕は出立前、ウェル様へ、内容を確かめずに書類へ署名しないよう伝えました。ウェル様は必ず確認すると約束してくださいました」
「ならば、その署名も偽造されたのですね」
レインが尋ねると、マウクはすぐにはうなずかなかった。
「その可能性は高いと思います。ですが、今ある情報だけでは、筆跡そのものを偽造したのか、別の書類へ書かれた署名を使ったのかまでは分かりません」
シャルンは写しへ視線を落としたまま、問いを継いだ。
「正式通告が王城へ届いたことと、その通告に書かれた罪状が事実であることは別です。まず前者を確認します。受領記録と回付記録は、同じ日付、同じ文書を示していましたか?」
「はい。どちらにも同じ通告の到着が記され、ストログ王国の正式な印も確認できました」
「記録を書き換えた形跡は?」
「私が見た範囲にはありません」
シャルンはそこで質問を止めた。確認できたのは、王城が処刑の通告を正式に受け取ったことまでだ。罪状の真偽も、署名が作られた手段も、まだ断定できない。
チョーカが机へ拳を置いた。
「通告そのものが偽物である可能性は?」
「原本を長く調べることはできませんでした。ただ、少なくとも王城では正式な外交文書として受理され、国王陛下へ報告されています。処刑を前提とした命令書も、その後に複数作成されました」
噂を拾ったのではない。1つの書面だけを見て判断したのでもなかった。王城へ届いた通告と、それを受けて動いた複数の公文書を確かめた報告だった。
シャーウが男へ視線を向ける。
「王城で正式文書として扱われたことは、複数の記録で確認済み。原本の詳細と、ストログで実際に何が行われたかは未確認。そこまでですね」
「はい」
ユキネが、絞り出すように尋ねる。
「ウェルの最期については、何か書かれていましたか?」
「刑の執行が完了したことだけです。最期のお言葉や、遺体についての記載はありません」
「そうですか」
ユキネはそれ以上、何も聞かなかった。剣を取って確かめに行ける相手なら、迷わず立ち上がっていた。だが今あるのは、遠い国から届いた死の記録だけだった。
隣に座るレインが、その手を包む。ユキネは一度だけ姉を見た後、目を伏せた。
「私が先に戻ったから……。私たちがストログを離れなければ、ウェルが代わりに向かうこともありませんでした」
「それは違います」
シャルンがはっきりと告げた。
「両殿下の帰国も、ウェル殿下の出向も、両国で決められた正式な予定でした。その予定を利用した者に責任があります。ユキネ殿下が背負えば、仕組んだ者の責任を薄めることになります」
慰めではなく、確認できた事実から逃げ道を塞ぐ言葉だった。ユキネは固く結んでいた手をわずかに緩める。
レインは妹の手を握ったまま、マウクへ視線を向けた。
「マウクもです。自分が同行できなかったからだと思わないでください」
マウクは答えようとしたが、声が出なかった。
出立の日、ウェルは最後まで、マウクが後から来ることを望んでいた。イケメーンが用意した酒の話をして、笑って馬車へ乗った。あれがウェルと交わした最後の会話になった。
「僕は、危険があると分かっていました。何が起きるかまでは分からなくても、あの変更が不自然だとは気づいていた。それでも、ウェル様を止められなかった」
「お前は国王命令で切り離されたんだ」
チョーカが低く言う。
「止めようとしたから、先に牢へ入れられた。責める相手を間違えるな」
マウクは目を閉じ、短く息を吐いた。
「……分かっているよ。今は、そう考えるようにする」
ジルバが男へ向き直る。
「この情報を王都から持ち出したことは知られているか?」
「写しを作ったことには気づかれていないはずです。ただ、公文書を調べる者への監視が増えています。王都に残した仲間も、しばらくは動けません」
「十分だ。よく届けてくれた。まず休め」
シャーウは部下を伴って部屋を出る前に、王都の仲間へ新たな確認を求めないよう命じた。今は情報を増やすことより、残した者たちを失わない方が重要だった。
扉が閉まった後も、誰もすぐには立ち上がらなかった。
やがてレインが、机の上の写しへ手を伸ばした。
「ウェルは、クラストを裏切っていません。ストログへ争いを起こしに行ったのでもありません。誰かが作った罪で、ウェルの生き方まで書き換えさせてはなりません」
震えは消えていなかった。それでも、レインは王族として全員を見渡す。
「ウェルと護衛兵たちを悼みます。同時に、処刑に使われた書類と命令の流れを調べ続けます。ただし、この怒りを理由にストログへ兵を向けることは認めません」
ユキネが涙を拭い、顔を上げた。
「私も戦う者として、その命令に従います。今ここで剣を向けるべき相手を、怒りだけで決めるつもりはありません。ですが、何があったのかは必ず明らかにします」
「そのためにも、今は谷を守らなければならん」
ジルバの言葉に、レインはうなずいた。
「何者かが両国を戦わせようとしているのなら、怒りのまま動くことこそ、その者の望みでしょう。谷の守備を崩さず、確認できた事実だけを共有してください」
チョーカは握っていた拳を開いた。
「なら、俺たちは生き残って確かめる。ウェルを陥れた奴が、どこにいるのかを」
それぞれが部屋を出た後も、レインとユキネはしばらく席を立たなかった。
弟はもう帰らない。
正式通告と公文書の記録は、その事実を覆しようのないものとしてアドラスへ届けた。
その日の夕刻、谷の中央にウェルと護衛兵たちを悼む旗が掲げられた。
誰もまだ知らなかった。
死亡を告げる報告が届いたその谷へ、処刑されたはずのウェルが近づいていることを。




