第23話 消された決裁
東の空が白み始めた頃、古い貯蔵庫の扉が開いた。
待っていたライトスは、最初に担架の端を見た。横たわるゴハールの顔は青ざめ、呼吸も浅い。それでも、すぐ後ろを歩くマウクは、自分の足で戻ってきていた。
「マウク様!」
シャルンが駆け出しかける。レインとユキネが左右から背中を押すと、ようやく数歩進んだ。それでも、あと少しのところで足を止める。
「ご無事で……本当によかったです」
「心配をかけたね、シャルン。殿下方を守ってくれたことは、チョーカから聞いたよ」
「私は、マウク様から託された務めを果たしただけです」
声は平静を保っていたが、両手は強く握られている。マウクはその手へ触れようとして、泥に汚れた自分の指に気づき、苦笑した。
「詳しい話は、少しきれいにしてからにしようか」
シャルンは目元を拭い、息を整えた。感情を押し込めたのではない。マウクが立って戻った事実を確かめたうえで、次に必要なことへ意識を切り替えたのだ。
「先に治療を受けてください。報告は、記憶が混ざらない順番で後から伺います」
「そうするよ」
担架の方では、ルイセンがゴハールの傍らへ膝をついていた。
「随分と遅い訪ね方をしてくれたな」
「屋敷の寝台まで用意させるとは思わなんだ」
「口を動かす元気があるなら安心した」
ルイセンの声が震えた。ゴハールは目を細めたが、返事をする前に治癒要員が担架を運び始める。
「再会は治療の後です。今度こそ、必要な処置をすべて行います」
「わしに命令する者が、また増えおった」
「増やしたくなければ、おとなしく運ばれてください」
ルイセンは立ち上がると、担架の横を離れずに治療室へ向かった。
*
治癒魔法による処置が一段落した後、治癒師は短い面会だけを許した。
寝台の横にはルイセンが残り、マウクとシャルンも呼ばれた。ゴハールは閉じかけていた目を開き、マウクの姿を確かめる。
「マウクまで、随分とひどい姿になったものだ」
「ゴハール様ほどではありません。僕のことで調べてくださったのですね」
「ウェル殿下の出立記録から、お前の名だけが消えておった。同行中止の命令書は丞相府へ回収され、差し替えると言いながら新しい書類はない。決裁番号にも欠けがあった」
シャルンは感情を挟まず、確認できた事実を拾った。
「出立記録から名前が消えていたこと、命令書が丞相府へ回収されたこと、差し替え後の書類がなかったこと。この3点は、ゴハール様が直接確認されたのですね?」
「ああ。決裁番号の欠けも、台帳を見て確かめた」
「その記録は、まだ文書庫に?」
マウクの問いに、ゴハールは浅く息を継いだ。
「原本には触れず、記録係へ写しを命じた。受け取る前に襲われたがな」
「では、原本と写しが現在も残っているかは確認できません」
「そのとおりだ」
シャルンはうなずいた。記録の存在を願うことと、現時点で残っていると判断することは別だった。
ゴハールはさらに話そうとしたが、痛みをこらえるように息を止めた。治癒師がすぐに間へ入る。
「ここまでです。続きは身体が戻ってからにしてください」
今度はゴハールも逆らわなかった。ルイセンが寝台の脇へ椅子を寄せるのを見届け、マウクたちは部屋を出た。
マウクにも休息が必要だったが、本人が先に報告したいと求めた。
*
部屋へ集まったのは、レイン、ユキネ、シャルン、ジルバ、シャーウ、チョーカ、ライトス、トッキーだった。マウクは地図の前へ立たず、机の端に座って紙と筆を借りる。
ライトスは、立って説明しようとするマウクを椅子へ戻した。歩いて帰れたとはいえ、顔には牢で過ごした疲労が残っている。
「僕は牢の外を知りません。分かっているのは、ウェル様への同行を外されたこと、その直後に拘束されたこと、そして5日後の日の出に処刑すると告げられたことだけです。まず、僕が見聞きした順に話します」
マウクは、出立直前に届いた国王名義の同行中止命令と、すでに整えられていた手続きについて説明した。続けて、証人も傍聴人もいない裁判で告げられた罪状を話す。
「僕は、ウェル様を単独でストログへ向かわせ、その混乱に乗じて両殿下を動かしたことにされました」
「だが、お前は同行を外された側だろう」
チョーカが眉を寄せる。
「そのとおり。ただ、それを証明する命令書を僕は持っていない」
シャルンが、先ほどゴハールから確認した内容を全員へ伝えた。ウェルの出立者名簿からマウクの名が消えていたこと。同行中止命令が丞相府へ回収され、差し替え後の書類も確認されていないこと。そして決裁番号が不自然に欠けていたこと。
「ただし、原本や写しが現在も文書庫に残っているかは確認できません。ここを事実と推測で混同すれば、相手と同じことになります」
シャルンの指摘に、マウクは紙へ3つの項目を書いた。
「国王命令で僕を同行から外しておきながら、裁判では僕自身が外れるよう仕組んだことにした。その国王命令は丞相府へ回収され、差し替えられていない。少なくとも、僕の罪状と王城の決裁記録は両立しません」
「クマークが証拠を消したのですか?」
ユキネの声には怒りがにじんだ。王城で何者かが姉を偽物とし、今度はウェルとマウクを切り離した。その相手を見定めようとする武人の目になっている。
マウクは首を横へ振った。
「丞相府が命令書を回収したことまでは確認できます。でも、クマーク様本人が消したと断定できる証拠はありません。今言えるのは、正規の決裁を追われると困る者がいることだけです」
「では、名前を決めつけず、証拠を残している者を追います」
レインは机上の紙へ視線を落とした。弟の名を前に一度だけ唇を結んだが、問いかける声は揺れなかった。
「私たちが襲われたことも、同じ者たちの計画なのでしょうか」
「それを確かめるために、外で起きたことを教えてください。見た事実と、その場で聞いた命令を分けていただけると助かります。推測は最後に考えます」
シャルンが旧街道へ誘導された経緯と、マウクの通信直後に始まった襲撃を話した。ライトスは王都帰還命令とマウクの手紙、トッキーからの救援通信を受けた順番を伝える。
ジルバは第五騎士団が動いた経緯を補った。シャーウは第一遊撃団の報告を、複数の間者が確認した事実と、1人からしか得ていない情報に分ける。チョーカは補給の偏りと目的の曖昧な軍命令、第二騎士団との対峙、第一騎士団の出陣までを報告した。
マウクは口を挟まず、出来事を発生順に並べていった。話した人物の名も紙の端へ記し、直接見たことなのか、伝令から受けた報告なのかを書き分けていく。
「王城から出た命令は、同じ理由で統一されていません。僕には反逆罪、両殿下には偽物という疑い、遊撃団には国家転覆、各部隊には目的の分からない待機や移動です」
「ばらばらに見えるな」
トッキーの言葉に、マウクは新しい紙へ線を引いた。
「理由はばらばらです。ただ、結果は同じです。ウェル様から僕を切り離し、殿下方を王都へ戻れなくし、互いに助けられる部隊同士を戦わせようとしている」
ライトスは並べられた記録を見た。マウクは新しい事実を知っていたわけではない。皆が別々に見てきた出来事を、王城の手続きという1本の線へ結び直している。
灰壁砦へ向かう決断のきっかけになった手紙も、具体的な行動を命じたものではなかった。マウクは答えを与えるのではなく、見落としていた危険を考えられる形にしている。その働きなら、戦場へ立たない内政官にもできるのだとライトスは初めて理解した。
「第一騎士団も、別の理由を与えられている可能性がありますね」
「あります。ただし、どう動くかは軍を率いる方々の判断です。僕にできるのは、命令書の発令日、決裁者、受領経路、補給の出庫記録を照合することです」
ジルバが静かにうなずいた。
「それを頼みたい。軍の配置は変えん。第一遊撃団は王都方面の監視を継続し、第一騎士団の進路を確かめる。ほかの部隊は谷の守備を維持する」
シャーウはすぐに監視を続ける者と、谷へ報告を運ぶ者を頭の中で選び始めたようだった。ライトスたち各団長も了承する。
レインは全員の返答を待ってから、マウクへ向き直った。
「マウク、あなたが知る事実は受け取りました。これ以上、救出直後のあなたへ判断を求めることはしません。まず身体を休めてください。その後、必要な記録をシャルンと調べていただけますか」
「承知しました。書類仕事なら、走るよりは役に立てると思います」
「シャルンも、休息を取ってから始めてください。調査を急ぐあまり、確かめる者まで倒れては意味がありません」
「承知しました。確認できた事実、欠けている記録、今後確かめる事項を分けて整理します」
夜が明け、谷の野営地にも人の動く音が戻り始めていた。
マウクは兵を率いる者ではなく、誰かへ命令を下したわけでもない。
それでも、消された決裁と偽りの罪状を重ねたことで、散らばっていた異変は初めて、誰かが意図して作った流れとして姿を現し始めていた。




