第22話 夜明けより先に
マウクの処刑を翌朝に控えた夜、救出隊はルイセンの屋敷にある古い貯蔵庫へ集まった。
第七騎士団から参加するのはチョーカだけだった。3,000人の本隊はアドラスの谷に残し、副団長が西側の守備を引き継いでいる。団長が不在になる時間を最小限にするためにも、夜明けまでの帰還は譲れなかった。
第一遊撃団からは、副団長のセンクと潜入に慣れた選抜者、治癒要員、ゴハールを運ぶ搬送要員が加わった。
センクは偵察時に作成した略図を床へ広げ、指先で通路をたどる。描かれているのは、実際に確認した分岐と出口だけだった。
「旧施設を出た後、王都外縁で2手に分かれます。ゴハール様は王城北西部の旧治療棟地下、マウク様は王城地下の牢です。巡回が重なる場所は避けます」
「合流場所は?」
「旧施設です。片方が戻らなくても、待つのは半刻まで。それを過ぎた場合は、戻った者だけで撤退します」
仲間を残す可能性を含む言葉だった。それでもセンクの声に迷いはない。全員が捕まれば、2人を救い出すために開いた道まで知られる。
チョーカは参加者を見渡した。
「目的は2人の救出だ。必要のない戦闘は避けろ。見張りも殺すな。俺たちがクラスト兵を斬れば、王城が広めている反乱の話に根拠を与えることになる。遅れた隊を待つのも、センクが決めた半刻までだ」
全員がうなずいた。
「行くぞ。夜明けまでに2人を連れ帰る」
石棚の奥に隠された入口が開き、救出隊は闇の中へ入った。
*
旧脱出路には、先の偵察でセンクたちが残した印があった。
明かりは足元を照らす最低限に絞られている。崩れた石を乗り越え、膝下まで水に浸かりながら進んだ。先頭のセンクは壁の傷と石の並びを確かめ、曲がり角ごとに後続へ短い合図を送る。迷いやすい分岐でも足を止めることはなかった。
幅の狭い足場へ差しかかると、センクの足元から小石が落ちた。下を流れる水に触れ、かすかな音を残す。
チョーカは先に向こう側へ渡り、手を差し出した。
「センク、つかまれ」
「この程度なら渡れます」
「分かっている。だが、ここで落ちられると救出どころではなくなる」
急ぐべき状況で意地を張る意味はない。センクは一瞬だけためらい、その手を取った。
足場へ降り立つまで支えたチョーカは、すぐに手を離して後続へ縄を渡す。相手の身体を必要以上に引き寄せず、ほかの兵と同じように足元を確かめただけだった。
「……私が女性だと、気づいているのですか?」
「最初からな。歩き方を隠しても、重心の移し方までは変えにくい」
「それを知ったうえで、何も聞かなかったのですか?」
「第一遊撃団の副団長として働いている者に、俺が聞く必要はないだろう」
チョーカは後続が渡り終えたことを確かめると、それ以上は触れずに先へ進んだ。
センクはその背を一度だけ見た。すぐに視線を通路へ戻し、次の曲がり角に人の気配がないことを確認してから、先頭へ出た。
*
旧施設の固着した扉を慎重に開き、一行は王都外縁へ出た。
センクは先に路地へ滑り込み、塀の向こうと交差する道を順に確かめた。足跡、灯り、遠ざかる靴音。必要な情報だけを拾い、片手を上げる。
「巡回は通過しました。次が来る前に進みます」
第一遊撃団が調べた巡回の間隔に合わせ、人通りの消えた路地を抜ける。王城へ近づく前に、救出隊は予定どおり2手に分かれた。
ゴハールの救出には、第一遊撃団の選抜者と治癒要員、搬送要員が向かう。負傷したゴハールを歩かせず、発見と同時に治療の可否を判断するための編成だった。
チョーカとセンクは残る者を率い、マウクが収監されている王城地下を目指した。
資材搬入口の近くには、2人の見張りがいた。
センクは2人の視線が重なる間隔を見極め、路地の奥へ小石を投げる。物音に気づいた1人が持ち場を離れた瞬間、潜んでいた兵が背後から口を塞いだ。
もう1人が異変に気づき、剣へ手をかける。
チョーカは相手が抜くより早く懐へ入り、剣の柄で脇腹を打った。崩れた身体を受け止め、音を立てないよう壁際へ横たえる。
センクは倒れた2人の呼吸を確かめ、奪った鍵の形を見比べた。迷わず1本を選び、地下へ続く扉を開く。
狭い階段の先には、湿った石の臭いがこもっていた。牢の見張りも同じように制圧すると、センクは鍵束を受け取り、錠の大きさを確かめながら奥へ進む。
「マウク」
チョーカが低い声で呼ぶと、奥の牢で人影が動いた。
「その声は、チョーカかい?」
「ああ。迎えに来た」
「明日の朝が処刑だったんだけど、随分ぎりぎりだね」
「間に合ったなら文句を言うな」
「文句ではないよ。君なら、もう少し余裕を持って来ると思っていたんだ」
センクが選んだ鍵で錠が外れ、牢の扉が開いた。
マウクは痩せ、衣服も汚れていた。立ち上がった直後こそ壁へ手をついたが、自分の足で歩くことはできる。
チョーカが予備の外套を渡した。
「話は外へ出てからだ。走れるか?」
「内政官に求める能力ではないと思うけど、努力はするよ」
「捕まらない程度でいい。行くぞ」
軽口を返せることに安堵する暇はなかった。チョーカは先に立ち、センクは最後尾で追跡の気配を探りながら、来た道を引き返した。
*
旧施設へ戻った時、ゴハールを救出した一隊はまだ到着していなかった。
チョーカは出口側に耳を澄まし、センクは足跡が旧施設へ続いていないかを確かめる。マウクには壁際で息を整えさせたが、腰を下ろすことは許さなかった。すぐに撤退する可能性がある。
半刻の期限が近づく。待つ者たちの間に焦りが広がっても、チョーカは決めた時刻を延ばさなかった。救出隊全体を失わないための条件を、情で変えるわけにはいかない。
その時、路地の向こうに複数の足音が現れた。
センクは歩幅と足音の重なりを聞き、武器へ手をかけた者たちへ低く告げる。
「担架を運ぶ足です。数も予定と合います。まだ動かないでください」
先頭に姿を見せたのは第一遊撃団の兵だった。その後ろから、担架を運ぶ者たちが続く。
横たわるゴハールの顔には苦痛がにじみ、身体には応急の処置が施されていた。
「ゴハール殿」
チョーカが駆け寄ると、ゴハールは薄く目を開いた。
「騒がしいと思ったら、お前か……」
「話せるなら安心しました」
「わしを担架で運ぶとは、大げさな連中だ」
治癒要員が険しい顔を向ける。
「歩けば傷が開きます。今は黙っていてください」
「年寄りへの口の利き方を知らんようだな」
「その治癒要員に従ってください。ルイセン殿が待っています」
ゴハールはルイセンの名を聞くと、反論をやめて目を閉じた。
追手が来る前に、一行は旧脱出路へ入った。
狭い通路では担架の向きを変え、崩落箇所では搬送要員が前後から支えた。先に通った時より歩みは遅い。治癒要員は何度も足を止め、ゴハールの呼吸と傷の状態を確かめる。そのたびにセンクは最後尾との距離を測り、前方へ進行再開の合図を送った。
先を歩くマウクが、隣のチョーカへ声を落とした。
「レイン殿下とユキネ殿下は?」
「無事だ。アドラスの谷にいる。第五、第七騎士団と3つの遊撃団も集まった」
マウクの足が一瞬止まりかけた。
「そこまで動いたのか」
「第二騎士団は、両殿下を偽物とする命令を受けていた。今は距離を取っているが、命令が撤回されたわけじゃない。第一騎士団も王都を出た。目的はまだ確認できていない」
「第一騎士団が……」
マウクの表情から軽さが消えた。牢へ入れられていた彼が知るのは、拘束されるまでの王城だけだ。聞いたばかりの情報を、頭の中で順に並べている。
「それなら、ルートシンを動かした可能性が高い。あの人なら疑問があっても、王命を受けた以上は現地へ向かう」
「断定できるのか?」
「できないよ。だから谷へ戻ったら、出陣時期と進路を確かめたい。君たちが集めた情報も、起きた順番に聞かせてほしい」
「分かった。だが、今は歩け」
「内政官を救出した直後に、随分と扱いが厳しいね」
「処刑台へ戻りたいなら、ここで休んでもいいぞ」
「それは遠慮しておこう」
夜が明ける前に、救出隊はルイセンの屋敷へ戻った。
マウクとゴハールは、どちらも生きて牢を出た。見張りを殺さず、救出隊から欠けた者もいなかった。
だが、閉ざされた牢の外で何が起きていたのかを、マウクはまだ知らない。
残された夜が終わると同時に、散らばった情報をつなぎ直す時間が始まろうとしていた。




