第20話 消された道
アドラスへ入って2日目の夜、第一遊撃団の伝令がルイセンの屋敷へ駆け込んだ。
軍議の間には、レイン、ユキネ、シャルン、ルイセンのほか、ジルバ、チョーカ、シャーウとセンクが集まっている。
伝令から報告書を受け取ったシャーウは、差出人と封印を確かめてから紙面を開いた。最初の数行を読み、表情を固くする。
「王都に残した間者からです。マウク殿に死刑判決が下されました。処刑は5日後の夜明け。ゴハール殿は、王城北西部にある旧治療棟の地下牢へ移されています」
室内の空気が凍りついた。
ルイセンの指が、机の縁を強くつかむ。
「ゴハールの容体は?」
「自力で歩くことは難しいようです。ただし、生存は確認されています。旧治療棟へ運び込まれた時と、地下へ移された時の双方を、別の者が確認しました」
「そうか……生きてはいるのだな」
安堵するには厳しすぎる報告だった。それでもルイセンは一度目を閉じ、呼吸を整えた。旧友を案じる感情を押し込み、次の情報を待つ。
シャーウは報告書の続きを読み上げた。
「第一騎士団も王都を出ました。目的地は公表されていません。ただし、出陣の時期と、アドラス方面へ向かう街道で先行隊が確認されたことから、王女殿下方の追討命令を受けた可能性があります」
「第一騎士団まで動いたか」
ジルバは卓上の地図へ目を落とした。
「第五騎士団と第七騎士団の本隊は谷から動かせん。第二騎士団が戻り、そこへ第一騎士団まで加われば、守りを薄くした瞬間に崩される」
「第一騎士団の目的は、まだ推測なのですね」
レインが確認すると、シャーウはうなずいた。
「はい。出陣は確認済みですが、命令書の内容までは得られておりません。確定した情報と推測は分けて扱うべきです」
「分かりました。第一騎士団が敵だと決めつけて、こちらから兵を向けることはしません。ただし、接近には備えます」
レインは地図上の王都へ目を落とした。マウクとゴハールを救いたいという思いだけで、谷に集まった兵や領民を危険へさらすことはできない。それでも、処刑を知りながら何もしないという選択もなかった。
「処刑まで5日しかありません。谷の守りを崩さず、2人を助ける方法を探します。危険を承知で誰かに託す以上、その決断は私が負います」
穏やかな声だったが、周囲の提案を待つだけの言葉ではなかった。
「大軍を動かさず、少人数で王都へ入る道が必要です」
チョーカが応じる。
「通常の街道も城門も監視されている。正面から入れば、マウクたちへ近づく前に捕まります」
「少人数で入れても、負傷したゴハール様を連れて戻るには、追手を避けられる経路が必要です」
ユキネは王都周辺図へ指を置いた。
「往路だけ使える道では足りません。出口が監視されていないか、負傷者を運べる幅があるか、途中で襲われた場合に退ける場所があるか。先に確認しなければ、救出した2人ごと閉じ込められます」
自分も戦う者として、救出後まで見据えた指摘だった。
その言葉を聞き、シャルンが脇に置いていた古い帳面を開く。
「ルイセン様。確認したいことがあります」
「何でしょう、シャルン殿」
「谷の避難経路を調べるため、ルイセン家に残る古い記録を拝見しました。この帳面は頁の番号が途中で飛んでいます。紙が自然に失われたのなら綴じ糸にも傷みが出ますが、ここには刃物で切り離した跡がある。欠けた部分は、屋敷の地下構造を記した箇所ではありませんか?」
問いの形を取りながら、偶然の欠落という逃げ道を塞いでいた。
ルイセンは帳面を見つめたまま、しばらく答えなかった。
「よく気づかれましたな」
「抜き取られた頁の前後には、屋敷の改築と王都外縁の旧施設に使われた資材の記録があります。片方だけなら結びつけません。ですが、同じ時期の記録が続けて消されている以上、無関係とは考えにくいのです」
「そのとおりです」
ルイセンは立ち上がり、壁際の古い王都周辺図へ歩み寄った。
「この屋敷の地下には、王家がかつて造らせた緊急脱出路があります。王都で政変や包囲が起きた際、王族をアドラスへ逃がすための道です」
「王都まで通じているのですか?」
ユキネの問いに、ルイセンは首を横へ振った。
「王城へ直接入れるわけではありません。出口は王都外縁にある旧施設の近くです。そこから王城までは地上を進まなければならない。それに、最後に使われてから数十年が経っています」
「ならば、まだ救出路ではありません」
シャルンは図面と帳面を並べた。
「崩落や浸水だけでなく、出口が塞がれている可能性もあります。存在を知る者の範囲も確認が必要です」
「今では私と一部の家臣だけです。秘密を守るため、先代が記録を抜き取りました」
レインは、ルイセンが示した線を目で追った。
「この道の存在は、調査と救出に必要な者だけへ伝えてください。谷の中に間者がいないとは言い切れません」
「私も同意します」
ユキネは入口があるという屋敷へ視線を巡らせた。
「調査中は貯蔵庫の周囲を警戒させます。ただし、兵を増やしすぎれば、隠している場所を自分たちで示すことになります。屋敷の通常警備に見える人数に抑えましょう」
チョーカが地図を見た。
「ルイセン殿、その道を調べさせていただけませんか」
「構わん。ただし、使える保証はないぞ」
「だから先に確かめます。シャーウ殿、偵察を第一遊撃団へお願いできますか?」
「引き受けましょう」
シャーウは即答したものの、すぐには人選を告げなかった。道の長さ、入口と出口、帰還時に負傷者を運ぶ可能性を順に確かめる。
「センク、潜入に慣れた者を2名選べ。灯り、縄、測量道具を持たせろ。確認するのは崩落、浸水、通路の幅、出口の状態と周辺の人通りだ。危険なら無理に進むな。敵を見つけても接触せず、情報を持ち帰れ」
「承知しました。出口まで到達できない場合も、進めた距離と塞がれた場所を記録します」
必要な情報だけを短く選び、センクは席を立った。
*
地下への入口は、屋敷の古い貯蔵庫に隠されていた。
ルイセンが壁に埋め込まれた金具を動かすと、石棚の奥から冷たい空気が流れ出す。人ひとりが通れる幅の階段が、闇の中へ続いていた。
センクは入口の石床に膝をつき、溜まった埃と空気の流れを確かめた。最近、人が出入りした形跡はない。
「行きます。戻るまで、入口は開けたままにしないでください」
灯りと縄、簡素な測量道具を持ち、センクたちは地下へ入った。
石棚が閉じた後、屋敷の警備はユキネの提案どおり、普段と変わらない人数で続けられた。軍議の参加者も、それぞれの部隊へ戻る。救出路が見つかるかもしれないという期待を、谷全体へ広める者はいなかった。
戻ったのは、夜明け前だった。
「道は使えます」
泥に汚れたセンクが、広げた略図を指でなぞった。濡れた外套を脱ぐより先に、見た順番のまま報告を始める。
「途中に小規模な崩落が2か所ありますが、人が通れる隙間は残っています。浸水は深い場所でも膝下まで。担架は崩落箇所で向きを変える必要がありますが、複数人で支えれば通せます。出口の扉は固着していましたが、外から気づかれない範囲で開けられました」
「出口の周囲は?」
シャーウが尋ねる。
「放棄された旧施設の裏手です。人通りは少なく、少人数なら隠れて出られます。周辺に常駐する見張りは確認できませんでした。ただし、王城までは市街地を抜ける必要があります」
「巡回の有無は、引き続き王都側の間者に確認させます。脱出路が使えることは、その者にも伝えません」
シャーウは報告を地図へ落とし込み、必要な情報を誰に渡すかまで決めた。
十分だった。少なくとも、正面から軍を動かす以外の選択肢が生まれた。
チョーカは迷わずジルバとレインへ向き直る。
「俺が救出へ向かいます。第七騎士団の本隊は谷に残し、副団長に西側の指揮を任せます」
「第一遊撃団からも人を出します」
シャーウが続けた。
「センクと潜入に適した選抜者を加えます。ゴハール殿は歩けない可能性が高い。治癒要員と、担架で運ぶための搬送要員も必要です」
ジルバは略図と谷の配置図を見比べた。
「救出隊は必要最小限とする。第七騎士団3,000人は動かさず、谷の全体指揮は私が執る。各団長は自隊の警戒を強め、第一騎士団と第二騎士団の双方に備えてくれ」
レインはチョーカたちを見渡した。王族として命じれば、彼らは危険な王都へ向かう。その重さを受け止めたうえで、言葉を選ぶ。
「マウク様とゴハール様の救出を、正式にお願いいたします。ですが、2人へ届く前に退路を失うと判断した場合は、生きて戻ってください。救うために、さらに命を失うことを望みません」
「承知しました。2人を連れ、必ず戻ります」
チョーカの答えに、ルイセンも静かに頭を下げた。
「ゴハールを頼む」
「お任せください、ルイセン殿」
消されていた道は、王都の中心まで続いてはいない。崩落も浸水もあり、出口から先は敵の目が届く市街地だ。
それでも今は、閉ざされた2人の命へ近づくための、ただ1本の道だった。




