第八回
「何だお前は? ただの小童の分際で、この薄汚い異族の味方をする気か!」
色めき立つ役人たちの罵声をも、仲穎は静かな、そして丁寧な一礼をもって受け流した。その生真面目な眼差しには、些かの恐れも、あるいは相手への敵意すらも混じってはいない。
「僕は、太守府にて功曹兼賊曹掾の職にあります、董君雅が長子、董卓と申します。我が父は常に、この国境の秩序を法に基づいて正しく守るよう、身を粉にして公務に励んでおります」
仲穎の声は鈴の音のように澄んでおり、市場の騒音の中でも不思議なほどよく通った。
「そちらの御方々が着ておられる衣は、漢王朝の公なる法を執行するための誇り高き印のはず。なれば、この隴西太守たる王奐殿の御威光の元、異族の少年一人の言い分すら聞かず、法に基づかぬ掠め取りを行うことが、果たして公人の本分と言えましょうか。もしこの事態が父の耳、ひいては太守殿の元へと届けば、困るのはそちらの御方々ではないでしょうか」
少年の口から紡がれたのは、脅しではなく、どこまでも丁寧で理路整然とした「勧告」であった。父の名と、土地の最高権力者たる太守の名を出しながらも、それは役人たちの立場をも慮るような、静かな配慮に満ちている。
「董君雅の……せがれだと……?」
役人たちは互いに顔を見合わせ、目に見えて動揺し始めた。董君雅は国境の賊を厳しく取り締まる実直な公人であり、太守・王奐の無二の知己。その息子が目撃者となり、太守府に直訴されれば、己たちの理不尽な横領など一たまりもない。
「……ちっ、今日はこれくらいにしておいてやる。行くぞ!」
首領格の役人が忌々しげに吐き捨て、長鞭を収めると、数人の役人たちは足早に市場の雑踏へと消え去っていった。仲穎の放った、配慮と礼儀を尽くした「理の盾」が、一滴の血も流すことなく理不尽を退けたのである。
「もう大丈夫ですよ。怪我はありませんか」
仲穎はすぐさま、地面に座り込んでいた羌族の少年の前へ進み、丁寧な口調で手を差し伸べた。
しかし、野生の狼のごとき眼光を放つその少年は、差し出された漢の若者の手を掴しようとはしなかった。
「……余計なお世話だ。漢の役人のせがれなんかに、助けてくれなんて頼んじゃいない」
少年は自らの力で立ち上がり、背中の鞭の傷に顔を顰めながらも、赤毛の仔馬の手綱をきつく握りしめた。己の名を明かすことすら拒絶するような頑なな態度に対しても、仲穎は怒る風もなく、ただ物静かに微笑んだ。
「そうですね。不躾に首を突っ込み、不快な思いをさせたのなら、どうか許してください。ですが、お使いのその馬は、実に素晴らしい骨格をしておられます。天が授けし至高の器だ。どうか、その大切な相棒を、これからも理不尽な魔手から護り抜いてあげてください」
かつて太守・王奐が己の骨格を褒めてくれた時の、あの慈しみの言葉を、仲穎は目の前の見知らぬ少年にそのまま贈ったのである。
その至誠に満ちた言葉と、自らを一人の武人として遇する仲穎の態度に、少年の鋭い瞳が僅かに揺れた。
少年は何も言わず、ただフンと鼻を鳴らすと、赤毛の仔馬を引き連れて足早に人混みの奥へと去っていった。仔馬だけが、去り際に仲穎に向かって、小さく温かい鼻息を一度だけ吹きかけていた。
「……あの子、凄く突っぱねてたけど、阿卓の言葉、ちゃんと胸に響いてたみたいだよ。それにあの仔馬、ただの馬じゃないね。ボク、あんなに綺麗な赤毛の馬、西域の大きな商団でも見たことないもん」
背後で見守っていたリアが、去りゆく異族の背中を見送るように、仲穎の隣へ寄り添って気さくに呟いた。その声には、長年共に暮らしてきたお姉さんとしての瑞々しい温かさがある。
「ええ。僕もそう思います。いつかまた、どこかの十字路で交わる予感がしますね。さあ、リア、僕たちも家へ帰りましょう。父上がお待ちです」
仲穎は物静かに頷き、衣の内に眠る「緑の組み紐」にそっと手を当てた。




