第五回
アランが奇跡的に生死の峠を越えたとはいえ、その全身の創傷は深く、未だ寝台から起き上がることも叶わぬほどに衰弱していた。
10歳のリアにとって、心休まる日はまだ訪れていない。彼女は董家の邸にただ甘えるのではなく、姉の看病のために自らができることを、必死に模索し続けていた。商団での旅の中で、西域の交易商人たちから見聞きした異国の薬草の知識や、傷を癒やすための知恵。それらを活かし、リアは使用人の叔の傍らにぴったりと寄り添い、薬を煎じる火の番や、寝台に運ぶ温かい湯の用意を、小さな手で懸命に手伝っていた。
漢の言葉を学ぶ速さも、すべては姉に少しでも早く良くなってほしいという一心からであった。叔や厳と言葉を交わしながら立ち働くその姿には、ただ怯える流民ではない、確かな芯の強さと聡明さが光っている。
8歳の仲穎は、学問の合間にそのひたむきな姿を静かに見つめ、胸の奥で深い感銘を受けていた。これほど健気で、知性に満ちた少女を、僕は見たことがない。
ある日の夕暮れ前、ようやく姉が穏やかな眠りにつき、看病の合間のわずかな休息が訪れた。
リアは奥の間の廊下の片隅に腰を下ろし、夕日に照らされながら、手元で鮮やかな緑色の絹糸を静かに編み込んでいた。その指先は小さく、日々の看病と旅の過酷さで少し荒れている。
「リア、あまり無理をしてはいけませんよ。叔も、君の働きぶりにとても感謝していました」
仲穎は温かい白湯を入れた器を盆に乗せ、物静かな丁寧さで彼女の隣へと歩み寄った。
「ありがとう、阿卓。……ボクは大丈夫。これ、看病の合間に少しずつ編んでいたんだ」
リアはいつもの気さくな、しかしどこか張り詰めた糸が緩んだような瑞々しい笑顔を向け、編み途中の紐を掲げてみせた。
「緑の組み紐……ですか。とても美しい色ですね」
「うん。ボクたちの故郷、オアシスの草木の色だよ。砂漠を旅する商団にとって、緑は『命』と『再会』の証なんだ。これを大切な人に贈るとね、どんなに離れても、どんな嵐に巻き込まれても、必ず生きてまた会えるっていう、永遠の誓いになるの」
リアはそう言うと、手際よく最後の結び目を締め、完成した一本の緑の組み紐を仲穎の目の前に差し出した。
「はい、これ、阿卓にあげる。姉様とボクの命を繋いでくれた、世界で一番誠実な君に。ボクね、阿卓が水を運んで側にいてくれたとき、この知らない館でも、不思議と怖くないって思えたんだ。だから、これはボクからの、永遠の約束のお守り」
大きな瞳には、過酷な現実を生き抜こうとする知性の奥に、少年への言葉に尽くせぬ深い感謝が宿っていた。
仲穎は、差し出された緑の組み紐を、まるで天下の至宝を扱うかのように、両手でそっと、恭しく受け取った。少年の生真面目な胸の奥で、かつてないほど熱く、静かな義侠心と情愛が深く結びついてゆく。
「ありがとうございます、リア。……僕は、この紐を一生、肌身離さず大切にいたします。天の理にかけて、あなたとお姉さんをあらゆる理不尽から護り抜くことを、ここに誓います」
少年の口から紡がれたのは、幼さを感じさせぬ、理路整然とした、しかし魂の底から絞り出された至誠の言葉であった。
リアは嬉しそうに微笑み、姉の眠る部屋の方を優しく見つめた。
この時、8歳の仲穎が誓った「護る」という純粋な正義への渇望が、やがて過酷な涼州の現実と交錯したとき、いかにして全土を震撼させる過激な「怪物」の肉体へと変質していくのか。それはまだ、誰も知らない。
夕暮れの赤い光が廊下に差し込み、二人の幼き約束を祝福するように、その影を長く、静かに重ね合わせていた。




