第四回
嵐の夜が明けたものの、異国の女性の熱は一向に引かなかった。
傷口からの熱病は日を追うごとに過酷さを増し、女性は激しい呼吸のまま、ただ死の淵を彷徨うようにうなされ続けている。
「叔、これほどの重傷だ、俺たちの薬草だけじゃどうにもならん。まだ外は酷い嵐だが、今から町へ走って名高き老医を引っ張ってくる」
「ええ、厳。旦那様がお留守の間に、この尊き命を死なせたら董家の名が廃るわ。道中、どうか気をつけてね」
厳は蓑をまとい、未だ泥水が吹き荒れる外の世界へと、文字通り命懸けで飛び出していった。
やがて、厳が泥まみれになりながら連れ帰った老医が傷口を検分したが、言葉が通じないという不条理が看病の前に立ちはだかる。女性が時折、苦しげに漏らす異国の言葉が、痛みの訴えなのか、あるいは拒絶なのかが分からず、老医も処置の判断に窮していた。
「――おじいさん、今、姉様は『お腹が痛いのではない、胸の傷が焼けるように熱いのだ』と言っています……! それから、その苦い草を飲むといつもお腹を壊してしまうから、飲ませないでほしい、とも……!」
その混乱の真ん中で、必死に声を上げたのは、まだ10歳ほどの異国の少女であった。
少女はただ怯えて泣くだけの子供ではなかった。商団という過酷な旅の中で育った彼女は、うなされる姉の微かなうわごとを正確に汲み取り、大人たちの漢語へと翻訳して老医に伝えたのだ。彼女が言葉の「懸け橋」となったことで、老医も「なるほど、ならば処方を変えねばな」と、迷いなく正しい治療を施すことができた。
その様子を、6歳の実弟・董旻は、部屋の隅でただ怯えるように見つめることしかできない。
しかし、8歳の仲穎は違った。
「良、冷たい水を絶やすな。お医者様の指示通り、僕たちにできることを、ひたすらに重ねよう」
仲穎は物静かに、しかし力強く良に告げた。8歳の二人は、言葉の分からぬもどかしさの中でも、少女の通訳と老医の指示に従って黙々と井戸から水を汲み、奥の間へと運び続けた。仲穎の最高に生真面目な瞳は、ただひたむきに、目の前の命を救うことだけを見つめていた。
過酷な看病は、二日、三日と続いた。
少女の小さな顔からは血の気が失せ、心身ともに限界を迎えているのは明らかであった。姉の命が消えかかっている恐怖と、必死に張り詰めていた通訳の糸。四日目の夜、ついに少女は姉の枕元で、小さく膝を折って俯き、ただ音もなく肩を震わせ始めた。
その細い背中の隣に、静かに、しかしそっと寄りさとったのは仲穎であった。
「大丈夫だよ。君が一生懸命に言葉を伝えてくれたから、お姉さんの命はまだここに繋がっているんだ。一人で怖がらないで。僕も、ここにいるからね」
仲穎は、鈴の音のように澄んだ、丁寧な声でそっと語りかけた。少女は顔を上げられぬまま、ただその温もりに縋るように小さく頷いた。そこには名を交わす余裕すらなく、ただ命の灯火を守らんとする二人の静かな祈りだけがあった。
その日の夜更け、ついに奇跡は訪れた。
少女の必死な通訳と、邸の者たちのひたむきな看病が天に通じたのか、女性の荒かった呼吸が不意に静まり、その額からあたたかな汗が吹き出した。生死の峠を、ついに越えたのだ。
ゆっくりと開かれた女性の瞳に、安堵の涙を流して抱きつく少女の姿があった。
長かった嵐が去り、涼州の美しい満月が、奥の間の窓から三人の姿を静かに照らし出していた。
翌朝、初夏の柔らかな光が邸を包む頃、ようやく姉妹の枕元に穏やかな時間が訪れた。
仲穎は温かい白粥を盆に乗せ、物静かな足取りで奥の間へと入った。まだ寝台から動けぬ女性の傍らで、どうしてよいか分からず、ただ小さくなって身を固くしている少女の前に、仲穎は丁寧に膝をついた。
「もう恐れることはありませんよ。お姉さんの熱も完全に引きました」
仲穎は少女を安心させるように、物静かに微笑み、まずは己から深く一礼した。
「申し遅れました。僕は、この家の長子で、董卓と申します。字は仲穎。父の君雅が戻るまで、どうぞこの邸を、あなたたちの家だと思って安心してお過ごしください。――もしよろしければ、あなたの、そしてお姉さんのお名前を教えていただけますか」
少年のどこまでも誠実で、理路整然とした礼儀正しさに、少女の張り詰めていた警戒の糸が、ふっとほどけてゆく。漢の役人はみな恐ろしいものと怯えていた彼女の大きな瞳に、温かな光が灯った。
「……ボクたちのことを救ってくれて、本当にありがとう、仲穎。ボクは、リア。そして、命懸けでボクを護ってくれたこの姉様は、アランというの」
少女の口から紡がれた、漢語とは異なる美しい響き。
リア。そしてアラン。
その名が漢の少年の胸に刻まれたこの朝こそが、後に全土の運命を大きく揺るがす、真の絆の幕開けであった。




