第三回
数日後、涼州の天は一転し、天地を覆い尽くすほどの激しい嵐に見舞われていた。泥を含んだ暴風が董家の邸を激しく叩きつけ、漆黒の闇の中で雷鳴が不気味に轟いている。
夜はすでに深く、子供たちはそれぞれの部屋で深い眠りについていた。
しかし、その静寂を切り裂いて、太守府での公務に出ていた父・董君雅が、予定を大幅に遅れて帰宅した。
「厳! 叔はおるか! 至急、奥の間に床を敷き、温かい湯と大量の布を用意せよ!」
普段の厳格で冷静な父からは想像もつかない、切迫した大声が邸に響き渡る。
董家に長年仕える忠実な使用人である厳と、その妻の叔が、主のただならぬ気配を察して素早く奥の間から廊下へと駆け出してきた。
その慌ただしい足音と父の怒号に、8歳の仲穎はふと目を覚ました。生真面目な少年は、ただ事ではない気配を察し、寝衣のまま静かに部屋の扉を開けて廊下を覗き込んだ。
薄暗い灯火の中、仲穎の目に飛び込んできたのは、雨と泥にまみれ、満身創痍の体を父に支えられた異国風の女性の姿であった。
衣服の至る所が刃物で裂かれ、痛々しい鮮血が黒ずんでこびりついている。西域の商団が野盗の過酷な襲撃に遭い、彼女はただ一人の少女を守り抜くためだけに、己の命を削ってここまで逃げ延びてきたのだ。女性はすでに限界を迎えており、意識を完全に失った昏睡状態で、ただ微かな呼吸を繰り返すのみであった。
「父上、これは……」
仲穎は物静かに、しかし驚きを隠せず、廊下の影から声をかけた。
「仲穎、起きていたか。――国境の近くで野盗に襲われた商団の生き残りだ。これなる異国の女性が、命懸けでこの幼き者を護り通した。これほどの義挙、見過ごすわけにはいかん」
父の傍らには、もう一人、激しい恐怖に小さな体を震わせている10歳ほどの少女がいた。
少女は、血まみれで倒れ込む女性の衣を小さな手でぎゅっと握りしめ、大きな瞳に涙を溜めながら、見知らぬ漢の邸の者たちを怯えたように見つめていた。護り手たる女性が死んでしまえば、この広大な大地で彼女は完全に独りぼっちになってしまうのだ。
「厳、叔。これより私は、野盗の討伐と国境の警戒のため、すぐさま太守府へ戻らねばならぬ。この者たちの看病は、お前たち夫婦にすべてを託す。仲穎、お前はもう部屋に戻って眠りなさい。明日からは、厳たちの手伝いをして、この異国の姉妹を支えてあげるのだぞ」
西域の言葉を解し、その文化に理解の深い董君雅は、深い孤独を抱える身だからこそ、目の前で引き裂かれようとしている姉妹の絆を放っておけなかった。父は厳と叔に強く頷いて全てを命じると、息つく間もなく、再び激しい嵐の闇の中へと公務のために飛び出していった。
残されたのは、血の匂いと、激しい雷鳴。
引かれ合う運命の糸などまだ知らぬ、怯える異国の少女と、それを見つめる漢の少年。
厳と叔がすぐさま昏睡する女性を奥の間へと担ぎ込み、的確な処置を始める。
廊下の影で立ち尽くす仲穎は、己の胸の奥で、かつてないほど熱き義侠心が燃え上がるのを感じていた。目の前で震える、あの自分と歳の変わらぬ少女を、あるいはその姉の命を、何としても救わねばならない。
少年は、父の言いつけ通りに静かに自室へと戻りながらも、明日から始まる過酷な看病の日々に向け、その生真面目な心を強く引き締めていた。
【西域を行き交う商団】
リアやアランが所属していた西域商団は、絹や名馬、葡萄の銘酒などを扱い巨万の富を築く巨大組織
。過酷な砂漠を越えるための強力な自衛武力を有し、後に董家の生存を支える交易の基盤となります。




