第五十三回
嵐のような夜が去り、邸内はただ冷たい静けさに包まれていた。
荒れ果てた中庭の片隅では、ガルの愛馬である赤毛のザルマが、激闘の巻き添えを食らって傷を負いながらも、ぽつりと佇んでいた。
ザルマは気高く澄んだ瞳に深い哀しみを湛え、すでに物言わぬ骸となった主の姿を見つめながら、寂しそうに低く嘶いた。その声に応える者は、もう誰もいなかった。
やがて、冷酷なまでに美しい朝の光が臨洮の街を照らし始める。
夜明けと共に、街の外へと脱出していた王綏と木蓮が、子どもたちを連れて邸へと戻ってきた。
門をくぐった彼女たちの目に飛び込んできたのは、凄惨を極めた地獄絵図だった。山と積まれた黒衣の死骸。息絶えたガルとサミルの遺体。そして、冷たくなったリアを抱きしめたまま、微動だにせず座り込んでいる仲穎の姿。
「お嬢様、見てはなりません……!」
木蓮が悲痛な声をあげて子どもたちの目を覆う。
王綏は白磁のような顔をさらに青ざめさせ、崩れ落ちそうになる足を必死に堪えながら、夫の元へと歩み寄った。
仲穎は虚ろな目で、横たわる死骸の衣服の隙間のぞく、都の武装集団の証をじっと見つめていた。 リアの帳簿、五年前に見たつづら箱の護衛、そして、王渙が決済に用いていたあの特権印の記述。すべてが、この刺客たちを放った黒幕が誰であるかを冷徹に証明していた。
「……俺の、甘さだ」
仲穎の乾いた声が、静かな朝の空気に響いた。
「第二の父上だと信じ、馬鹿正直に証拠を突きつけ、改めるよう懇願などしにいった……。俺のその独りよがりの青臭さが、仕組みの闇に自ら飛び込み、結果としてリアを、ガルを殺し、良の身体を奪ったんだ」
仲穎は拳を地面に叩きつけ、血が滲むほどに歯を食いしばった。涙はもう枯れ果てていた。胸の奥を焦がすのは、悲しみではなく、己への激しい泥のような後悔と、それを何倍も上回る王渙への狂おしいほどの憎悪だった。
「王綏、すまない」
仲穎は静かに立ち上がり、隣に佇む正妻を見据えた。
「あのお方はお前を育ててくれた養父上だ。だが……俺はもう、決して許さない。一族の血をもって、この復讐を必ず遂げる」
王綏は溢れる涙を拭い、主母としての圧倒的な器と覚醒をその瞳に宿して、夫の言葉に深く、静かに頷いた。養父の罪の重さと、董家を襲った悲劇の前で、彼女の覚悟もまた決まっていた。
仲穎はゆっくりと主屋の奥へと歩を進め、机の上に置かれていた白銀の地に漆黒の文様が走る頬あて――『骸隻の面』を手に取った。
最長老の「都の眠れる仕組みを噛み破る牙となれ」という言葉が、いま、最も残酷な形で彼の血肉へと刻まれる。
仲穎はその仮面を、自らの顔へと深く押し当てた。 その瞬間、彼の内から「誠実で礼儀正しい青年」の気配が完全に消滅した。
大切な者たちを屠られた絶望の果てに、軍勢の呼吸を掴んで冷徹に支配する、天才的な「仮面の用兵」がここに完全な覚醒を遂げた。仮面の奥の瞳が、復讐の炎を宿して妖しく燃え上がっていた。




