第四十七回
夜半過ぎ、邸の灯火が落とされようとするその直前、静まり返った主屋に弦児の激しい夜泣きが響き渡った。
リアは眠りにつこうとしていた仲穎と王綏を起こさぬよう、泣き続ける弦児を素早く腕に抱き上げると、静かに縁側から外へと出た。
「よしよし、どうしたの。怖くないわよ……」
夜風に当たりながら、胸に抱いた我が子の背中を優しくあやし、中庭をゆっくりと歩く。リアの腕の中で、弦児の泣き声は次第に小さなぐずり声へと変わっていった。
ふと、リアは夜の空気に混ざる、妙な匂いに気づいて足を止めた。
それは松明の油が燃える、重く不自然な煙の匂いだった。
リアは息を詰め、匂いの届く方角へと視線を巡らせた。
臨洮の街の屋根の向こう、王渙の屋敷がある方角の闇に、うっすらと黒い煙の柱が立ち上っているのが見えた。月光を遮るその煙は、ただ一箇所に留まることなく、じわじわと、しかし確実にこの邸の方角を目指して移動してきている。
(……あの煙はなんだろうか? もしかして、こっちに来ているの?)
あの帳簿のズレや、少女の頃に見た武装集団の記憶が、胸の奥で嫌な予感となって不気味に蠢く。どうしてもこの目で確かめないと気が済まなかった。
リアはすぐさま主屋の勝手口へと駆け込んだ。
「木蓮さん! 木蓮さん、起きて!」
押し殺した声に、部屋の奥から木蓮がすぐさま姿を現した。
「リアさん、どうしたのですか?」
「お願い、この子を! ちょっと、確かめたいことがあるの!」
リアは弦児を木蓮の腕に預けると、そのまま夜の闇の中へと走り出してしまった。
「リアさん!? お待ちになって!」
後ろから響く木蓮の制止の声も構わず、リアは市場で鍛えた足で、不自然な煙が近づいてくる王渙の屋敷の方角へ向かって、ひたすら夜の街を走り続けた。




