第四十一回
「――ガル! 敵の左翼、岩陰に伏兵が三〇! 獣の尾を振るえ!」
白銀の地に漆黒の文様が走る鉄面――『骸隻の面』の奥から、仲穎の冷徹な声が響く。軍勢の呼吸を完全に支配した「仮面の用兵」が、戦場という名の盤面を俯瞰していた。
「おうよ! 牙の役目、喜んで引き受けるぜ!」
応えたガルの下で、一頭の猛馬が猛然と嘶く。
数ヶ月前、激しい飢饉に喘いでいた羌族の若き頭領であったガルは、漢の役人たちが冷酷に自分たちを見捨てるなか、処罰を恐れず独断で自らの蔵を開放して兵糧を分与してくれた仲穎の英断に、部族全体の命を救われた。漢の役人とは思えないその底知れぬ誠実さに魂を揺さぶられたガルは、部族を代表して董卓のために命を捧げて剣を振るうことを決意し、電撃的に配下へ加入した。いまや部隊に欠かせない最強の右腕である。
仲穎が駆るのは、獰猛な野生の汗血馬トト。
ガルが駆るのは、羌族が部族の至宝として大切に育ててきた極上の赤毛の牝馬ザルマ。
血統こそ異なれど、どちらも「天馬」と称される極上の汗血馬であった。
西域の強烈な陽光を浴びて燃え盛るように輝く、極上の赤毛。二頭の汗血馬が砂塵を巻き上げて峻険な岩山を疾走する様は、さながら戦場を裂いて走る「二つの赤い光」そのものだった。
「遅れるなよ、羌族の猛者ども! 仲穎の牙に続けぇ!」
ガルの咆哮とともに、彼が率いる羌族特別部隊が道なき崖を真下へと駆け下りる。漢の正規軍であれば落馬を恐れて躊躇する岩山を、ガルの駆るザルマは文字通り風となって跳躍した。
一本の赤い光条が、崖の上から敵の退路へと突き刺さる。
「な、何だあの速さは!? 赤い化け物が降ってきたぞ!」
臨洮の村々を荒らし回っていた略奪賊の混成部隊がパニックに陥る。そこへ、ガルはザルマの速度を落とさせぬまま、すれ違いざまに湾刀を一閃した。部族の誇りを懸けた一撃が、敵の防陣を肉ごと消し飛ばす。
反転し、包囲を狭めようとする賊の頭目。
だが、その視線の先から、もう一つの「赤い光」が音もなく接近していた。
仲穎である。
トトの首を抱き、その呼吸を完全に我が物とした仲穎は、馬上の激しい揺れを一切感じさせぬ驚異的な体幹で、師アランから譲られた強弓『骨喰』を限界まで引き絞っていた。
『骨と骸』の共鳴。
狙いは一瞬。トトが岩を踏み切った跳躍の最高点、空中。
ドォン、と重低音が岩壁に木霊する。放たれた豪矢は、逃げようとした敵の頭目の胸盤を貫き、背後の岩盤にその肉体を縫い付けた。
「頭目がやられた!」「嘘だろ、あの距離から一撃かよ!」
統率を失い、完全に瓦解した賊の群れに、ガルと仲穎の「二つの赤い光」が交差するように何度も突撃を繰り返す。右からガルが切り裂き、左から仲穎が射抜く。
それは凄惨な蹂蹂躙でありながら、同時に一兵の無駄もない、芸術的なまでの圧勝劇だった。
戦い終わり、赤黒い夕陽が岩山を染める頃。
『骸隻の面』を外し、素顔に戻った仲穎の隣へ、ガルが愛馬ザルマの首を叩きながら並んだ。二頭の汗血馬の鼻から、白い息が吹き出している。
「ははっ! 最高の気分だな、仲穎! お前の指示通りに動くだけで、敵が勝手に崩れていく。やっぱりお前を信じて付いてきて大正解だったぜ。俺の目に狂いはなかった!」
ガルは豪快に笑い、仲穎の肩をバシバシと叩く。
「さあ、戻ったら美味い酒だ。お前の一族の連中にも、俺たちの『赤い光』の武勇伝をたっぷり聞かせてやろうじゃねえか」
この時仲穎は、少し照れくさそうにしながらも心から笑っていた。




