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第二十回(羌族の若き首領との対決)

自身の生真面目すぎる未熟さが招いた致命的な突出。それによって太守府の本隊より完全に切り離され、四方を異民族の兵に囲まれた仲穎の手勢は、全滅の危機に瀕していた。


吹き荒れる砂塵は視界を遮り、漢兵たちの疲弊はすでに極限に達している。四方八方から迫る鈍色の刃の波を前に、死の包囲網がじわじわと狭まりゆくのを止められぬかに見えた。


――その時、混濁とした砂塵の彼方から、戦場を真っ二つに切り裂くが如き地鳴りが響いた。


紅蓮ぐれんの疾風が如く、戦野を突き進む一つの影。それは未だ若駒ながらも、燃える炎の如き赤毛を帯びた、圧倒的な威容を誇る「赤き駿馬」であった。その背に跨り、野生の獣の如き苛烈なる武勇を以て、漢兵の防陣を紙切れの如くなぎ倒しながら突き進んでくる男がいる。


羌族の若き猛将であった。


その双眸は、爛々とした飢えた狼の如き光を放ち、真っ直ぐに太守府家伝の鉄具足を纏った仲穎の首を捉えていた。

「応ッ!」

若き猛将が吼え、赤き駿馬の驚異的な跳躍と共に、手にする大刃が仲穎の頭上へと振り下ろされる。


仲穎は長剣を以て辛うじてそれを受け止めるも、敵の放つ容赦なき烈撃の衝撃は、王奐から授かった重厚なる鉄具足を容赦なく叩き割り、その身体を馬ごと大きく揺るがした。


完全に体勢を崩され、死の刃が喉元に迫る刹那、仲穎の野生が覚醒する。鞍より漆黒の名弓『骨喰ほねばみ』を驚異的な速さで引き抜き、至近の狂風の中から矢を放った。


神速の「左右馳射」。その一矢は敵の頬を鋭くかすめ、鮮血を散らせる。

「……ッ!」

互いの得物が激しく噛み合い、互いの骨が軋むほどの至近距離。飛び散る鮮血と火花の中で、二人の視線が真っ向から激突した。


その刹那、二人の脳裏に、遙か幼き日の記憶が爆発的に明滅する。


――あれは数年前の、臨洮の市場の喧騒であった。


見事な赤き仔馬を連れていただけで、漢人の傲慢なる役人や群衆から「馬泥棒」の濡れ衣を着せられ、縛り首にされかけていた異民族の少年がいた。怒号と暴惑の嵐の中、その理不尽を許さず、毅然と立ち塞がったのは、最高に生真面目にして実直なる若き日の仲穎であった。そして、董旻の怜悧なる洞察力を以て理詰めで冤罪を晴らし、その恐怖に震える少年の手を引いて優しく救い出した、あの日の光景。

言葉には出さない。戦場の怒号の中、声を交わすことなど叶わない。


しかし、互いの魂が驚愕と戦慄に激しく震えた。

(あんたは……あの時の、漢人の若者か)

(お前は……あの市場で救った、あの時の少年か)

一瞬の沈黙。だが、今は相容れぬ敵味方の将。


若き猛将は頬の血を拭うこともせず、その驚愕をすぐさま獰猛なる闘志へと変え、不敵な笑みを浮かべた。仲穎もまた、家族と民、そして董家に留まる大切な人々を守る武官としての至純なる覚悟を瞳に宿し、長剣を強く握り直した。


その時、二人の決闘を阻まんと、槍を揃えて強固な盾陣じゅんじんを組み、仲穎の側面に殺到する異民族の精鋭たちがいた。仲穎がそちらへ意識を割かれかけた瞬間、その窮地を、轟音と共に割り込む地響きが打ち砕いた。


董家の使用人・りょうであった。良は鉄芯の重厚なる大盾を身の前に構えるや、その底無しの怪力のすべてを乗せ、敵の強固なる盾陣のド真ん中へと猛然たる突撃を敢行したのだ。


――ドガァァンッ!!


肉と鉄が爆ぜる凄絶な激突音が轟く。良の圧倒的な突撃を正面から浴びた異民族の兵たちは、強固に固めていたはずの防壁ごと、木の葉の如く遥か後方へと吹き飛び、泥土へ叩きつけられていった。良の怪力を活かした、敵陣粉砕の豪腕なる突撃。良は敵陣を一撃で崩壊させたのちも、一切の手柄を誇ることなく、ただ寡黙なる「陰の盾」として、再び仲穎の背後を完全に消し去った。


「良、恩に着る!」

仲穎は吼えた。良が活路を切り開き、背後を完全に護ってくれているからこそ、眼前の宿敵だけに己のすべてを注ぐことができる。


「いざ――!」

仲穎が剣を振るい、異民族の将が大刃を応じる。


互いの魂の重さを確かめ合うが如く、二人はさらに激しく、重く、激越に刃を交わし合った。斬撃の応酬は、もはや再会の言葉の代わりであった。少年の命を救った仲穎の誠実なる心と、その恩義を片時も忘れず、かつ最強の敵として立ち塞がる敵将の誇り。二人の武人の意地が、戦野の砂塵を赤く染め上げてゆく。


しかし、破局へ向かう戦況は、彼らに決着の猶予を与えなかった。


後方から響く新たな地鳴りと、朝廷軍の本隊のさらなる敗退の鳴動。異民族の将はこれ以上の深追いは軍略に非ずと冷徹に判断し、打ち合う刃を激しく引き結んだ。


馬首を並べ、互いの刃が火花を散らして噛み合う、別れの刹那。

琥珀色の眼光を不敵に輝かせ、異民族の将が初めて、地鳴りの如き声音でその名を吼えた。

「――我が名はガル! 羌族のガルなり!」


その名乗りを受け、仲穎の双眸に烈しき火花が爆ぜる。家伝の鉄具足を軋ませ、若き武官もまた、己の誇りのすべてを込めて堂々とその名を返した。

「――漢の臨洮の府吏、董仲穎とうちゅうえい! 命ある限り、お前との再戦を誓おう!」


ガルは獰猛にして至純なる笑みを浮かべ、満足げに短く吼えると、赤き馬の首を返した。再戦の誓いを血煙の荒野に残し、紅蓮の疾風の如く去っていくその背中を見送る仲穎の胸には、宿敵への強烈なる畏敬の念が深く刻まれていた。


国境の崩壊という、時代の巨大な破局。


血煙と砂塵が渦巻く荒野のただなか、若き仲穎の覇道の幕開けは、この凄絶なる死闘の中で結ばれた、羌族の猛将ガルとの魂の紐帯を以て、さらなる混迷の地平へと地続きに突き進んでいく。

【漆黒の名弓『骨喰ほねばみ』】

 漢代の主流たる木竹製の長弓とは一線を画す、西域伝来の湾曲複合弓。動物の腱と漆黒の獣骨を膠で幾重にも強靭に組み上げ、弦を外せば逆様へ円を巻くほど反発力は凄まじい。弦を張れば鋭く反り返るその姿は、小ぶりながらも漢の軍弓を凌駕する威力を秘める。

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