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第十九回

朝廷の衰退は、国境の崩壊を意味していた。


涼州の荒涼たる国境線、砂塵がはげしく巻き上がる戦野。地平線を黒く埋め尽くすほどの異民族の騎兵連隊が、血に飢えた獣の如く牙を剥いて襲来した。それは、かつて仲穎が自警団時代に相手とした小規模な野盗の類とは、根本において物量も殺気も異なる、本物の「戦争」であった。


しかし、今の仲穎は孤立した一介の若者ではない。隴西太守・王奐より正式に任命された武官であり、太守府より預かったそれなりの人数の精鋭を率いる、一軍の隊長としてこの戦野に立っていた。王奐から授かった家伝の重厚なる鉄具足てつぐそくを身にまとい、馬上の仲穎が厳かに右手を掲げると、率いる官軍の兵たちに一糸乱れぬ緊張が走る。


「――一斉斉射いっせいせいしゃ


仲穎の端正にして実直なる号令が、戦場に厳かに響き渡る。その丁寧なる声音には、軍律をどこまでも生真面目に全うせんとする彼の誠実さが滲んでいた。


次の瞬間、官軍の鉄の矢が一斉に放たれ、異民族の先遣隊を鋭く射抜く。開戦の怒号と馬蹄の地鳴りが全方位より押し寄せ、天地を激しく揺るがした。


だが、戦場が泥沼の乱戦へと移行するにつれ、仲穎が生まれ持つ生真面目さは、経験不足という冷徹な刃となって彼自身へと突き刺さった。


かつて気心の知れた少数で戦った自警団の時であれば、仲穎の天性の才覚、鋭き直感のままに軍を動かすだけで、百戦百勝を飾ることができた。しかし、国から預かった大所帯の軍団を動かすという重き責務を前に、彼の誠実すぎる本性は、己の不確かな直感に頼ることを自らに許さなかった。兵たちの命を預かる以上、古びた兵法書にある先人の智慧、すなわち教科書通りの動きを忠実に再現することこそが最善であり、武官の義務であると思い込んでしまったのである。


実戦の硝煙と怒号が飛び交う本物の大戦野は、書物の通りには動かない。異民族の放つ不規則にして変則的な猛攻に対し、仲穎は兵法書の記述を愚直なまでに鵜呑みにし、書物にある「正論の陣形」を四角四面に維持することに固執してしまった。


「兵法にはこうある、左翼は陣形を崩してはなりません」「深追いは禁物です、書物の通りに隊列を戻してください」

実戦の泥沼において、彼の生真面目すぎる正論の指示は臨機応変さを欠き、かえって末端の兵たちを混乱させ、指揮系統を失った部隊は乱戦の中で散り散りになっていった。その綻びを補わんとして、ただ一人アラン直伝の武芸を以て正面の敵を圧殺し続けてしまった仲穎は、大軍を率いる責任感ゆえに教科書へすがりついた自身の未熟さから、自軍を引き連れることもできぬまま敵陣の最深部へと無残に「突出」してしまったのである。


敵の大軍が、完全に孤立した仲穎へ距離を詰めんとしたその刹那、仲穎の野生がはげしく覚醒した。

手綱を口にくわえ、両手を完全に解放する。背から引き抜いたのは、漆黒の名弓『骨喰ほねばみ』であった。

馬上、風を切り裂きながら強弓を限界まで引き絞る。右へ、そして左へ。

激しい上下動を腰の捻りで完全に相殺し、狂風の如く放たれた矢は、神速の光条となって遠中距離の敵兵の喉笛を、一射違わず正確に穿ち抜いていく。馬上を疾駆しながら左右どちらの手でも等しく矢を放つ、その神技「左右馳射さゆうちしゃ」の威風が、戦野に鳴り響いた。


しかし、異民族の指揮官も即座に応酬を命じる。彼らが一斉に放った大量の矢が、黒き蜂の群れの如く、仲穎の首級を狙って天空から遮二無二しゃにむに降り注いだ。馬上の仲穎には避ける術なき密度の矢雨。


――その瞬間、凄絶なる重低音と共に、泥土を噛んで割り込む巨大な壁があった。


董家の使用人・りょうである。良は無駄な叫び声一つ上げず、その底無しの怪力を以て、常人では持ち上げることすら叶わぬ鉄芯の重厚なる大盾を掲げ、仲穎の前面を完全に遮蔽しゃへいした。


ガガガガン、と硬質な音を立てて大盾に突き刺さり、弾け飛ぶ無数の矢。良はその圧倒的な矢圧に微動だにせず、ただ寡黙なる静けさを以て、主を護る「絶対の盾」としてそこにそびえ立っていた。


矢雨が止むや否や、大盾の隙間を突いて突撃してきた敵の騎兵が槍を突き出す。良はその鉄の穂先を大盾の面で冷徹に受け流すと、間髪入れず、その剛腕を爆発させた。


――ドォン、と肉と骨がひしゃげる凄絶なる衝撃音が轟く。


良がその巨躯きょくと怪力のすべてを乗せ、重厚なる大盾そのものを前方の敵へと猛然と叩きつけたのだ。大盾の一撃を正面から浴びた敵兵は、乗馬もろとも横ざまに吹き飛び、泥土へと叩きつけられて絶命した。


「良、かたじけない」

「……御前へ」


良は短く応じる。大盾が引かれた一瞬の隙を突き、仲穎は愛馬の腹を蹴って敵の渦中へと深く突撃した。距離はすでに、弓の使えぬ至近。仲穎は『骨喰』を収め、腰の長剣を一閃させた。その刃の軌跡もまた流麗にして苛烈。肉薄する敵兵の槍を誠実なる正確さで弾き飛ばし、返す刃で一刀両断に切り裂いていく。

仲穎の振るう苛烈なる長剣、それを陰から支え、時に敵を粉砕し抜く良の大盾。しかし、個人の武勇がいかに圧倒的であれ、指示の通じぬ部隊は霧散し、戦線は完全に崩壊していた。


自身の「生真面目すぎる未熟さ」が招いた、致命的な突出。気がつけば、仲穎と良の二人だけが、地平線まで続く敵兵の海のド真ん中へと切り離され、過酷極まる孤立無援の包囲網のなかに取り残されていた――。

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