第十七回
太守府の激務は、容赦なくその命を削り去っていった。
臨洮の董家の寝所は、昼なお薄暗く、帳の隙間から忍び込む秋風は、死の冷気を含んで肌を刺す。
病床に伏す父・董君雅の呼吸は、砂時計の砂が尽きかけるが如く、かすれて細い。
その枕元では、すでに仲穎の武芸の師であるアランが付きっきりで身体を支え、さも当然のこととして看病を続けていた。
かつて負った壮絶なる重傷の古傷は未だ完全に癒えず、彼女自身も決して万全の身体ではない。しかし、その細くも強靭なる手で君雅の衰え果てた骨張る手をそっと握りしめ、溢れんとする涙を堪えながら、熱心に顔を覗き込んでいる。
「……クンガ。ダイジョブ。マダ、生きる、ヨ」
かすれた、片言の漢語。そのたどたどしき響きの中に込められた一途な響きは、この過酷なる涼州の地で、二人がどれほど深い孤独を分け合い、互いを支え合ってきたかという、健気なる情愛のすべてを物語っていた。
その枕辺の後ろには、静かに拳を握りしめ、父の衰えを凝視する長子・仲穎と、溢れんとする涙を奥歯で噛み殺す次子・董旻が平伏していた。董旻の足元には、忠犬サミルが主人の悲しみを察するかの如く静かに低頭して佇んでいる。
さらに部屋の陰には、リアをはじめ、寡黙なる使用人の良にいたるまで、主家の長の一大事に駆けつけた家中の者たちが総出で控えていた。皆、音もなく祈るように両手を組み、息を詰めてその最期を静かに見守っている。
君雅は、深く落ち窪んだ両眼をかろうじて開き、まず二人の息子を見つめた。その唇が、乾いた音を立てて微かに蠢く。
「……仲穎、董旻。しかと、聴け」
気力を振り絞る父の声に、兄弟はさらに深く頭を垂れた。
「隴西太守・王奐様は、我が一族に身に余る恩情を注いでくださる御方。仲穎は武官としてその大恩に報い、王奐様を支え、この涼州の民の盾となれ。董旻は……その聡明さを以て、兄の足元を照らす灯火となれ。董家の血脈、決して絶やすな」
「御意」
仲穎は一言、地を這うような声音で応じた。その胸には、先般の金銀強奪事件において、太守が洛陽への復帰という保身ゆえに事件を野盗の仕業と偽った大人の欺瞞、割り切れぬ重き澱が沈んでいる。しかし、最高に生真面目にして実直なるこの若者は、父の遺言を一点の疑念もなく、その血肉へと刻み込んだ。董旻もまた、深く息を吸い、兄を朝廷の内なる陰謀から救うべく、法理を握る文官への誓いを、その双眸の奥でさらに烈しく燃え上がらせた。
息子たちへの遺言を終え、君雅は再び、己の手を握るアランへとゆっくり顔を巡らせた。
熱を失いゆく父の手を、異邦の女がしっかりと包み込んでいる。じっと、静かに、二人の視線が交錯した。
君雅の濁った瞳に、最期の光が灯る。
そこに映っていたのは、武芸の師としてのアランではなく、かつて失った亡き妻の優しき面影であった。言葉の壁を越え、ただこの過酷なる辺境で董家に留まり、孤独な己の傍らに寄り添い、この家に温かな安らぎをもたらしてくれたこと。君雅の胸中にあるのは、ただそれに対する深き情愛と、尽きぬ感謝の念だけであった。
アランの鋭き瞳が、悲しみに微かに揺れる。言葉はなくとも、君雅が己に注いでくれる無償の愛と感謝の重さを、彼女はその手の温もりから確かに受け止めていた。
すべてを伝え終え、愛する者の温もりに包まれた君雅の唇が、穏やかに弧を描いた。
一族を守るために戦い抜いた父が、最期に最上の安らぎを得て、初めてすべてから解放されたかのような、至純の微笑。
その刹那、握られた手から静かに力が抜け、君雅の胸の上下が永遠に止まった。
「……クンガ?」
アランの片言の呼びかけに、応えはもうなかった。
ため息のような沈黙ののち、ただ握りしめた父の手を己の額へと当て、異邦の最上なる礼を以てその魂を見送った。
仲穎は、父の最期を健気に、そして凛々しく看取った師の横顔をじっと見つめていた。
衣の内、幼き日にリアから贈られた『緑の組み紐』が、肌に冷たく触れている。父が命のすべてを懸けて感謝し、安らぎを得たこの董家という温もりを、そしてここに集う大切な人々を、何があっても己の武で守り抜く。悲しみを超えた先、若き仲穎の胸には、一点の曇りもない「至純なる覚悟」が静かに、しかし烈しく宿ろうとしていた。




