浜辺の漂流物 無敵さん⑤
「先輩……料理が作れたんですか?」
「おい、お前俺をなんだと思ってたんだよ」
大学2年の夏……祝日の昼下がりだった。俺の家に集まった時のことだ。
後輩様は解凍したスパゲッティを口に運びながら俺を挑発する。いや、挑発というよりは平常運転かもしれない。この華奢な男は先輩にあたる俺が料理を振舞ってもこの太々しさで、それは俺や周囲の人間どころか人外……幽霊の類にまで分け隔てがない。そんな態度から彼は『無敵さん』と呼ばれていてるが、俺だけは皮肉を込めて『後輩様』と呼んでいる。
「で、この相談受けるのか?」
「先輩、食事中に話すのは行儀が悪いですよ」
「だったらさっさと食えよ! 一口一口が小さいんだよ。ああそんなだから口元ミートソースついてるし……ほらそこっ! 違う、反対だって。ああもうっ、ほら貸せっ!!」
後輩様は相変わらず太々しい。
俺は散々文句を言いながらティッシュで油汚れを取るようにガシガシと後輩様の顔を拭いてやった。その様子を見ていた俺の友人とその妹は『お姉ちゃん、私たちは何を見せられてるの?』『ふふ、ご馳走……かしらね』などとよく分からない事を話していた。
本題を言うと今日はこの友人の相談で集まっている。
後輩様がいるという事でだいたい分かるかもしれないが心霊現象の絡みで、それに困った妹が姉に相談……姉は俺と同級生で仲も良かった事から俺が日頃よく連む後輩様に対処を依頼する為のダシにされたという事なのだと思う。
「それで、その妹さんの困った事というのはなんですか?」
「実は……私がよくないものを持ち込んでしまったんです」
妹は深刻そうな顔でそう言った。
妹は確か今年で中学2年生になったばかりで、年相応の幼顔ではあるが姉同様に長身で大人びた雰囲気があった。その上姉妹揃っての巨乳……どんな食生活をすればああなるのかは分からないが、少なくともレンチンで完結するスパゲッティにその成分はないのではないかと思う。
「これを……クラスメイトと行った海で拾ったんです」
俺がいらない事を考えていると妹がそれを机に置いた。
それの大きさは人間大の腕くらいで、触ると粉が落ちるほどに脆い。俺はそれを見て、所詮女子中学生の怖がるものなんてこんなものかと思った。よく見ると確かに手のような形に先割れているがどう見ても木材、朽ちた流木に間違い無いだろう。ところが、それを見た後輩様はすぐにこう言った。
「これは……準備が必要ですね。話は通しておきますので次の日曜日、この神社に向かいましょう」
「ああ、ありがとうっ……ありがとうございますっ」
その返事に妹は緊張が解けたのか涙ぐみながら何度もお礼を言った。
だが俺は釈然としない。小高い山の麓にある私でも知る様な著名な神社に出向く……こんな木片がそれほど恐ろしいものだろうか。それこそ、いつぞの地蔵を池に沈めたように焼却してしまえば済むのではとも思ったのだが……2人が帰ったあとに後輩様が『面倒な事になりましたね』などと言うものだから訳も分からないまま嫌な汗が出はじめた。
……
そして当日の朝方。
俺はワイシャツに薄手のジャケット、ジーパン姿で集合場所へと向かった。そこには集合時間の30分前だと言うのに既に姉妹の姿があった。姉はワンピースに肩掛けのブランケット姿で妹は長袖シャツにミニスカートからレギンスを覗かせた衣装だった。いかにも登山用に動きやすい服を家探しして見つけたといったようなチョイスだったが、やや遅れてきた後輩様はと言えば半袖シャツに短パンという虫取り少年コーデで登山をなめているとしか思えない。
「さて、念のため確認ですが拾ったのはXX湾の海岸ですね」
「はい。一緒にいた男子が見つけたのですが持って帰ると叱られるので私が預かる事になって……何度渡しても家に戻って来てしまうんです」
「え? なにそれ……怖いんだけど」
「先輩、この子達は怖いから僕のところに相談に来たんですよ?」
「え……ああ」
そうだった。
初見で友達の妹を怖がりな中学生と思い込んでいたせいで忘れかけていたが、これは山の麓にある著名な神社に向かわないといけないほどの除霊案件なのだ。
しかも、怪現象はそれだけじゃないらしい。
夜な夜な何かの気配がしたり、朝起きると誰も触れていないのに木片が移動しているなどということが頻発。極め付けに友人が視界の隅を木片が走り抜けるのを見た事で今回の相談を思い立ったらしい。神社に向かう道中、話題の怖気からか木々のトンネルで出来た暗がりの道に漂う冷気からかぶるりと身体が震えた。
「不思議と両親の前では、なにも起きないのですが……」
「怖いなそれ……って言うかなんで今日になってそういう事言うんだよ」
そんなに怖いなら俺は来なかった。
というか、よく考えたら友人姉妹と後輩様の顔合わせは済んだのだから俺が今日来る必要はなかったはずだ。
「僕はだいたい想像ついたので聞きませんでした」
「私は言おうとしたんだけどお姉ちゃんが……」
「言ったら貴女来てくれないと思って……」
この友人、俺の事をよく分かっているな。
形だけは申し訳なさそうな姉妹を見てため息を吐いてから『まあいいよ』と言った。
「でも聞く限りそんな怖がらなくても良いと思いますよ。勝手に視界の隅を動き回るだけならゴキブリみたいなものでしょう? 無害ですから」
「「「え?」」」
「え、どうしました?」
「……」
「……」
ゴキブリは、有害だろう。
俺と姉妹、後輩様の『え』には明らかな温度差があったが俺たちは絶対に間違っていないと思う。
「なぁ、嘘だよな? それが本当なら俺はもう一生お前の家には行かないぞ!!」
「たとえ話ですよ? そもそも先輩、僕の家には寄り付かないじゃないですか」
「それはお前が家の中でキモい人形量産してるからだろ!?」
「だからあれも無害だって言ってるじゃないですか……」
「いつも言ってるけど、お前の無害は範囲が広すぎるんだよっ!!」
そう言っていて気付いた。
妹の話しに何故か聞き覚えがあると思ったら後輩様の家にある『メルトマン』の件だ。考えてみれば今回の一件は増えない分『メルトマン』よりはマシ……なんて考える俺がいるんだけど、これは俺も毒されてきているのだろうか。そんなことを考えていると後ろから『痴話喧嘩?』『犬も喰わないわね』という声がした気がして振り向いたが、そこには妹に水筒を渡して気を使う姉妹愛睦まじい光景だけがあった。
気を取り直して思う。やっぱり大したことないのか。
『メルトマン』の件を思い出したからか急にそう思えてきた。いや、いつ動き出すか分からない木片を鞄に入れて人気の無い山道を歩いているというのが怖くてそう思いたかったのもあるかもしれない。だが、困ったら後輩様もいる事だしなんとかなるだろうとも思っていた……そんな矢先だった。
「うわあっ!!」
「後輩様!?」
「危なかった……」
驚きを返して欲しい。
後輩様が転びかけただけだった。俺は咄嗟に体勢を崩した後輩様の肩と腰に手を回して抱きとめて言った。
「麓までとは言っても気をつけた方がいいぞ。苔のある岩は滑りやすいし、山で転ぶと大怪我になりやすいから。あ、あと傷に菌も入りやすいし」
「え? マジですかそれ……怖いんですけど」
こういうのは怖いんだな。
幽霊は怖くないくせによくよく変わったやつだ。因みに後ろをついて来ていた姉妹は『お姉ちゃん、あの人たち本当に付き合ってないの!?』だとか『ダメよ……あの人たち脈がないから』とかボソボソ言っているのが今度はバッチリ聞こえたが、否定しても揶揄われるだけなのが目に見えているので聞こえないふりをした。
そうこうして俺たちはようやく神社に着いた。
木々を抜けた広大な平地に巨大な鳥居……どこにでもありそうな神社らしさが広がっていただけだが、単純なもので険しい山を登って現れた開けた土地と広大な空を見るだけでもなんだか神聖な場所に思えてきた。
「さて、話は通してありますからこれに着替えてください」
「は? え……住職にお祓いを頼むとかじゃないのか!?」
「ええ、説明が面倒ですが着替えてもらえれば後は僕がやりますから」
「ってもこれは……」
俺と姉妹は後輩様に渡された巫女装束を着た。
著名とはいえ山の麓にある神社で参拝客がほとんど居なかったのは良かった。そうでなければ、巫女服の巨乳姉妹に挟まれて立つ俺がどれほど惨めだった事かは想像もしたくない。それでも若干不貞腐れた俺だったのだけど、法衣を着た後輩様を見て怒りというか感情が全部吹き飛んだ。
「お前……」
「では、はじめましょう」
彼は俺たちを前に深くゆっくりと頭を下げた。
俺たちはつられてお辞儀を返して、そのまま彼の唱えるお経らしいものを聞いた。その所作は流れるように美しく、真剣そのものの表情……結局俺はお経の続く間はいつもなら『馬子にも衣装だな』とか『さっきまで虫取り少年だったくせに』とかの茶化し言葉が自然と口をつくのだけど、そういったものをまるで考える気もせずにただただ彼に従っていた。
「……これで、もう大丈夫ですよ。安心して……もう全て解決しましたから」
「えっ……あ、はい。ありがとうございます……」
全てが終わる。
後輩様が神社の焚き木に木片を焼べてから振り返り妹の目を見て言った。妹はどこか夢現な表情のままふわふわとそう答え、次に友人も彼に「大丈夫です。もう何も心配いりません」と言われると素直に「はい。ありがとうございました」と言って誰に促されるでもなく深々と頭を下げた。
……
俺が件の真相を聞いたのは翌日、病院での事だった。
あの日は除霊を終えるとすぐにもう一度着替えて帰路に着く事になったのだけど、入院中の後輩様に聞くと今回やったのは『除霊』ではなく『詐欺』らしい。
「あれ、ただの木片ですよ」
「はぁ!? あんな大袈裟に色々やったのに!?」
「色々って言いますけど市販の法衣と巫女服買って神社で着ただけですよ?」
「市販って……は!? え、神社の許可は……」
「嘘ですよそんなもの。あ、服はド◉キで3980円でした」
「お、おまえ……」
俺は頭を抱えた。
一瞬でも後輩様を神聖視してしまった自分が恥ずかしい。俺はバカか……ド◉キのコスプレした後輩様如きにこうもあっさり騙されるなんて嘗てないほどに将来が不安になった。
「あ、でも面倒だったのは本当ですよ。怖いですね思春期って」
「……え?」
「いや、だから言ったじゃないですかアレはただの木片ですよ。木片は動いてたんじゃなくて、彼女に動かされていたんです」
つまり、今回の原因はあの妹だった。
後輩様というか霊能界隈では有名な話で思春期の子ども、特に女子が怪現象を起こすというのは珍しくないらしい。なんていう名前だったか……思春期になると体内で分泌量が増えるものがあってそこに原因があるとか、やはりオカルトの粋であって明確な根拠はない……と言われるがその分泌物を過剰摂取する人体実験を行った研究員が過去何人かいたがいずれもその結果を発表する前に行方不明になっているという陰謀説まであるとか。
とにかく、彼女は信じた事を現実にするほどその力が強まっていたという。
「多分、初めは不気味な木片を見て動きそうで怖いなと思ったくらいでしょう」
「で、それが思春期のパワー? みたいなので本当に動いたのか」
「それだけなら周りに諭されていずれ気のせいかと思うものですが……お姉さんにまで伝播してしまったのが良くなかったですね」
「なあそれって俺……」
この力はつまり『信じれば現実になる』という法則だ。
しかも姉が信じた事で複数人の信ぴょう性を持ち、お互いに確認して認め合う事で更に強固に信じてしまうという無限に力を増幅するサイクルが生まれた。因みに数年もこれが続いていれば彼女たちの精神が壊れるか、彼女たちが怖がるだけで人を襲うような悪霊や妖怪が産まれて死傷者が出るような事件が起きていた可能性もあったらしいのだけど……俺はこれをあり得ないとは言い切れない。
「そうですね。でも先輩の時は|色々な要素が一時的に偶然一致してしまった《チャンネルがあってしまった事故》……というのでしたが、彼女は思春期の間ずっと危険ですよ。異界のマスターキーを持っているようなものですから」
今回も敵意を向けられれば危なかったらしい。
その時点で超能力バトルが開幕し、妹の能力は前触れもなくこちらの首を吹き飛ばせるくらいだけど後輩様はほぼ一般人……いや、山の麓までの登山で貧血になって入院する様な虚弱体質の一般人……無理ゲーが過ぎる。
「酷い言い方かもしれませんが、関わらないのが正解でしょうね。誰にだって解決できない事はありますから」
「……そうだな」
俺は後輩様に同意した。
頭ではあの妹を少し可哀想だなと思ったが、後輩様に同意した時の俺は何故か安心した様に落ち着いた気持ちになった。
コンコン……。
その時、病室の扉がノックされた。
それは恐る恐るといった様なえらく控えめなノックだった。
「あの、入ってもいいですか?」
「えっ……? マジかよ」
「はぁ!? なんで……」
俺と後輩様は見合わせたまま固まった。
聞き間違えるはずもない。その声は間違いなく、妹のものだった。
「無敵さん……のお部屋ですよね? 入っても良いですか?」
「えっと、どうぞ?」
「ありがとうございます。じゃあお邪魔しますね」
扉が開きセーラー服の少女が病室にやってくる。
あんな話を聞いた後でなければ女子中学生としては規格外のサイズにパンッパンになったセーラー服の胸元についてでも話しているのだろうが、笑えないことが多すぎてそれどころじゃない。
「あの、先日はありがとうございました。実はですね、その……ご迷惑でなければ、私……無敵さんに弟子入りしたいんですっ!!」
「「はぁ!?」」
俺と後輩様は完全に同じタイミングで全く同じリアクションをとった。
そして、俺を見る後輩様の目が『断れるかな?』と言っていたので俺は目を閉じるジェスチャーに『やめとけ……首が飛んだら病院に迷惑だ』の意思を乗せて伝える。それを見て後輩様はいつになく力のない声で『ああ……いいよ』と言った。
項垂れる後輩様と渾身のガッツポーズをとる妹。
俺は2人を見てなんとも言えない複雑な気分になっていた。
後輩様は気づいているだろうか。
彼女は後輩様を無敵さんと呼ぶが、果たして本名を知っているのか知らずに病室を見つけたのか……名前だけなら彼と同じ大学にいる姉に聞いた可能性はあるが、そもそも本日緊急搬送された彼が入院している事も姉から聞いたというのだろうか。
信じたことが現実になる力。
例えばだ……そんな力のある彼女が後輩様に会えると信じて道を歩いたらどうなるのだろう。落とした小銭かウサギかを追いかけたらここに辿り着くのか、それとも近所のおばさんが後輩様が乗った救急車を偶然にも見かけてタイミングよく彼女が通りかかった時にそんな噂をしたのだろうか……それで辿り着けるだろうか、病室にまで。
後輩様は、気づいていないだろう。
弟子入りを志願した彼女の潤んだ瞳と赤みをおびた頬にはきっと気づいていないだろう。彼女を突き動かす感情が彼への尊敬ではなく……彼への恋心であるなんてきっと思いもよらないのだろうと俺は思うのだ。




