無敵さん⑥ 中古車の旅
大学3年の夏、俺は自動車免許を取得して自動車を買った。
同級生の中ではかなり遅いドライバーデビューだったが、そこは金のない苦学生だから仕方がない。
車は快適に人を移動させる。
毎朝、眠気まなこをこすり重い足取りで歩いた大学校舎の脇道を颯爽と走り抜け、その速さはすべてを視界の後方へと遠ざけていく。苦学生の俺が何度もお世話になった安い飯屋、初めて酒を飲んだあの店も、主に彼のせいで毎日通ったあの病院も見えては近づき、そして通り過ぎていく。
買ったばかりの中古車でのドライブがつまらない筈がない。
俺が買った車は中古にしては出来過ぎなくらい小綺麗な軽自動車だが、文句があるとすれば空調の効きが実感できないところだ。特に地獄なのが炎天下の信号待ちで、日陰での停車に恵まれなかった時だ。自然と汗が頬を伝いタンクトップの生地へと吸い込まれていくが、それもすぐに乾いてしまうほどの暑さ……今年は稀に見る猛暑らしかった。
「先輩、死ぬほど暑いんですけど?」
不貞腐れた様にそっぽを向いたまま後輩様が言う。
彼は俺の大学や大学近辺ではちょっとした有名人で、俗に言う幽霊の見える人だが……彼のあだ名が無敵様などと大仰な理由は、寧ろこうして年上の俺が運転中の助手席を最大限にリクライニングさせたまま文句を垂れる……そういう太々しさからくるものだ。だから、俺だけは彼を無敵様とは呼ばずに後輩様と呼ぶことにしている。
「言うな……余計に暑くなる。それより、先輩の初運転に付き合えるなんて光栄じゃないか?」
「僕としてはそんな怖い運転に付き合うより、冷房完備の熟練者が運転するタクシーに乗る方が光栄ですがね」
「そう言うなよ無敵様? 昔から旅は道連れって言うだろ?」
「……僕、そのセリフには人権インフラが足りないと思います」
熱気の渦巻く車内に後輩様の冷ややかな小言は続いた。
それはつまり、彼と出会ってから2年……全く変わることのなかった俺たちの日常だった。
「それにしても中古の軽自動車とはいえ思い切りましたね。走行距離も少ないし良品じゃないですか? 空調は最悪ですけど」
「一言多いわ……まぁ、確かに運は良かったよ。俺が行った店に丁度売られたばかりだったけど、かなりの破格だったから」
そう言って俺が自慢気に5本の指を立てた手を後輩様に見せる。
彼はそれを見て『へぇ』と珍しく驚いた風な表情を見せるのでとても気分が良い。
「50万ですか……なかなか値打ちですね」
「ふっ、甘いな。俺にそんな金があるかよ……5万だよ」
「え゛っ!?」
「ん?」
瞬間、後輩様の表情が凍りついた。
「先輩……それ、流石に安すぎますよ。もしかして、曰く付きじゃないですよね?」
「ちょっ……怖いこと言うなよ。なんか、そう言われれば店員が凄い勢いで買わせたがってた様な気もしてきたけど……って言うか、曰く付きならお前が祓ってくれよ!!」
「あのですね、いつも言ってますけどね……」
『僕は祓えるわけじゃなくて解決方法があればそれを試しているだけです』などと言われ急に怖くなる。というか、もう既に半ベソ状態だ。
こうなってしまってはもう楽しいドライブをしようなんて気分じゃない。
買い物や食事、せっかくのマイカーなら2人で少し遠出して良い景色でも見てみようかなどと浮かれていたのが遠い昔の様だ。
「いや、本当にとんでもない道連れに誘ってくれますね」
「なぁ、ちょっと! 本当にさ……なんとかならないの!?」
「奥の手はありますよ……妹さんを呼びましょう」
「お前……」
俺はその言葉に心底ガッカリした。
彼の言う妹というのは俺の同級生の妹で、彼に惚れている胸の大きな少女なのは別にいい。ただ……彼女には信じたことが現実になるというご都合主義そのものの様な能力があり、今やそれは後輩様が除霊に確実に成功するために使われる奥の手とされていた。
「また幼気な少女の想いを弄ぶのか……」
俺は不機嫌に言った。
別に、彼が2人のドライブに他の人を呼ぼうとしたから機嫌を損ねたというわけではないが……女といる時に他の女の話しをするのはいい趣味とは思えない。
「嫌な言い方ですね。これは信頼を力にするとか……そういう感じのアレに近い何かですよ」
「雑だな……言い訳。……はぁ。でも、それしかないか?」
「はい。僕は除霊師ではないですし、特別な力もありませんから」
「あーもう、分かったよ。根に持つなって!!」
分かっている。
これは私の車の問題で、私の問題だ。彼はそれを一番合理的に解決してくれようとしているだけなんだ。
後輩様はすぐにスマホを使って妹を呼ぶ。
俺は電話越しに目的地を察して車線を左へと移した。電話越しに会話は浮かれ気味の妹の声が聞こえ、彼はそれに淡々の答える。『you除霊に同行しない?」『まぁ素敵』『君が信じてくれるから (君の力で)今日も除霊は大成功さHAHAHA』電話での会話はまとめるにそんな感じで、俺はこのやりとりを聞くのは初めてじゃないが……この、彼の小慣れている感じが実に不愉快だった。
最早テンプレとなった最強最善の解決策。
今回もこれで問題は解決するだろう……俺には不愉快ながらもそういう安心はあった。
だから、そういう油断があったからだ。
俺は、この後に起きた事を……実は果てしなく長い夢だったのではないかと思う事がある。
正直少しだけ、緊張していた。
今のところ目立っておかしな事は起きていないが、曰く付きの車かもしれないなどと聞いて平常心を保てる者がこの世にいるだろうか。いや、いるな……今、助手席で暑さに茹っているコイツがそうだった。ただ、俺はそうじゃない。普通に怖いし、なんなら今すぐ車を降りたいくらいだった。
「あっ、ここ右折だっけ。悪い……まだ車道に慣れないから」
「分かったよ。次で曲がれたがいいだろう?」
よほど焦っていたのか俺は道を間違えた。
右折するべき道を忘れて直進、直後に『そこを右』と言われても俺は運転慣れしていないので対応が間に合わない。とはいえ、次で右に曲がっても大した問題はないだろうにそんな不機嫌な声をあげなくてもいいじゃないか。そんな事を思っていた時だった。
「先輩? さっきから、誰と話しているんですか?」
「え……? 今、お前が……」
今の声は……彼ではないのか。
俺には確かに聞こえた。『そこを右……』という抑揚のない声……。
他に誰の声が聞これるというのか。
俺と彼しかいない、走行中の車内だというのに……。さっきまでの、蒸すほどに暑かった車内が……今は妙に冷ややかに感じる。
「なぁ……これ、どうすればいい?」
「とりあえず、言う通りにしましょうか」
「だっ、いじょうぶなのか? 相手は悪霊だぞ……言うこと聞いたら事故にでも招かれるんじゃないか?」
「いえ、その気ならもうとっくに崖にでも誘導してるはずです。とりあえず従って、目的を掴みましょう」
「……マジかよぉ」
「まぁ、カーナビだとでも思いましょう」
「お前なぁ、行き先変更の出来ないナビがあってたまるか」
最悪だった。
霊の声は俺にしか聞こえず、彼には対処のための情報が不足する。その上、この後の車の行き先は霊任せ……つまり、解決のキーマンだった妹との合流も出来なくなった。
霊の声に連れられた車はどんどんと街から遠ざかる。
景色は灰色のビル街を外れ、景色に緑色が混じり始める。舗装された道は途絶え、木々が増える頃には視界から人がいなくなった。そして、都市部を離れるにつれ少しづつ……目的地の検討も絞られていく。そして、車が山路を上り始めた時に確信する。
「目的地って……」
「ああ、十中八九この先のトンネルですね。それも多分、旧トンネルの方」
今俺たちが住む町には心霊スポットとして有名なトンネルがある。
そこは県内の心霊スポットに明るい人間が指折り数えていけば、必ず3件以内には名が上がる様なとりわけ凶悪な心霊スポットだった。
「失せ神トンネル……ですね。確か今年も何人か行方不明になっていたとか」
「……最悪だ。だいたいなんでこんなトンネル残してるんだよ」
過疎地に佇むそのトンネルには利用価値がまるでない。
元より田舎の先のトンネルを通る必要は少なく、開通して久しい高速道路を通る方が明らかに効率が良いこの道をマトモ人間は好き好んで通らない。つまり……ここはマトモじゃない。
このトンネルはおかしい。何から何までだ。
そもそも不要な旧トンネルの横に新トンネルを建てたのか。なぜ旧トンネルを壊さないのか。これは有名な話で、旧トンネルの解体は度重なる事故で中止になったらしく、仕方なく新トンネルを作って旧トンネルを封鎖したらしく……業者の解体予定と建設の告知日時を見るにそれは噂ではなく、事実だ。
旧トンネルに住む何者かに人間は負けたのかもしれない。
人間は旧トンネルを解体できず、横に道を作る事で封鎖するしかなかった。
ただ、それでも事件は起きる。
通る必要のないはずのこの場所で毎年行方不明者が出る。心霊スポットとして有名な場所ではあるが、ここを危険視する人は今も多い。それはネット検索に長く名前が上がる事もないほど執拗な事だが、それでも物好きな不謹慎者はここに集う。そして、ここに住む何かの餌食になる……あるいは、呼ばれてしまうのかもしれない。今の……俺たちみたいに。
『降りろ』
「ヒッ……」
トンネルの反響を無視した冷たい声に思わず情けない声が出る。
「先輩、何を言われたんですか?」
「お……。降りろって」
「……なるほど。では、降りましょう。大丈夫、僕がついてますから」
「あっ……ああ、悪い……頼むよ」
彼は助手席を降りると運転席に周り、俺の手を引いて車から降ろしてくれたが……お互いに表情は硬いままだった。
明かりもなく、出入り口の光もないトンネルの中腹。
スマホの明かりはか細く、足元も満足に見えない。視界の情報が少ないせいか嫌に耳が冴え、うるさいくらいに聞こえる心音が恐怖に拍車をかける。長年放置され湿気が多いトンネルはカビ臭く、蒸した様な熱気と時折吹き抜ける妙に冷たい風が気色悪い。
「先輩、歩けますか?」
「だ、大丈夫だ。まだ大丈夫」
自分に言い聞かせる。
正直1人ならもう泣き喚いていたかもしれない。そうじゃなくてももう顔はぐちゃぐちゃだが、明かりが小さいから彼にそれを見られる事もなかった。
だから、ありがたいと思った。
情けない顔を彼に見られなかった事も、この場に彼がいてくれる事も……。
「こういう時だけは頼りになるよな」
「だけは余計ですよ」
『ああ悪い悪い』なんて普段の様な会話をしていると少しだけ恐怖が紛れる。
この状況が他の人と一緒の時だったらきっとこうはいかない。こんな状況でも一切慌てずに行動できる彼だから、俺は取り乱さずに済んでいるのだと思う。
「……先輩、落ち着いて聞いてください」
「……それって、足音のこと?」
彼は静かにうなづいた。
車を降りてどれくらい歩いたか。きっとそれほどの距離ではないはずだけど、その間ずっと違和感があった。
足音が、多い。
初めは俺たちの足音がトンネルを反響しているのかと思った。でも、それでは説明がつかない……だって、俺たちの足音が反響しているだけなら音が増えていくはずがないからだ。
とっ、とっ、とっ……慎重に進む俺たちの足音。
トー…トー…トー……と続く反響音。
じゃあ、その合間に聞こえる『タタンっ、タタンっ』というこの音はなんだ。
この音は、あの声と同じだ。
明らかにこのトンネルの中の音なのに、反響していない。まるでこの世界ではないものの音が聞こえている様な現象。そしてそれはどんどん数を増やす。
『ダンっ! ダダンっ』という壁を叩く様な音、癇癪を思わせる感情。
『ガガガガガガッ ガガガっ』硬い何かを引き摺る音。
『ズっ……ズズッ』這いながら動く音。
感覚で分かる。
それらは騒いでいる。この世ならざる何かが、方向も定まらず至る所で至る向きへと蠢いている。このトンネルにやってきた非日常の気配に気づいて騒めいている。もちろん、非日常というのは……俺たちのことだ。頬を汗が伝う……氷の様に冷たい汗だった。
「先輩……驚かないで下さい」
その時、彼は小声で言った。
そして石を拾って遠くへと投げた。カカーンカーンカンと音を立てて石は地面に落ちる。
「バッ……お前!!」
「そう怒らないで下さいよ。それに先輩も結構な声出てますよ?」
「あっ……でも、あれ?」
「……少なくてもアレは音には反応しないみたいですね」
「お前なぁ……」
心臓に悪い。
太々しいにも限度がある……分かっていたことだが。コイツは怖いという感情をどこに置き忘れてきたんだろうか。
「霊をやり過ごすには霊を知るのが一番です。今回ならアレは明らかに人を害する雰囲気ですが、何を使って人を探しているのでしょうね」
「何って……それは」
「少なくても音ではなかった。ではこの暗闇で目を使っているというのは現実的じゃないでしょう……まぁ霊に現実的かどうかという話しも滑稽かもですが。いや、暗視ゴーグルの様な視野を持っている可能性も否定できませんがね」
「はぁ、冷静が過ぎる……」
『慣れてますから』と彼は言う。
だが、お陰で俺も怖がるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。というか……怖がってばかりもいられない。だっていつも不躾なこの後輩様がこんなふざけた事を言っているのは多分、俺を怖がらせないためで……そんな気を使わせてしまっているのは格好が悪すぎる。
「じゃあ匂いか? いや、それならとっくに気づかれているよな。っていうか目は見えないは耳は遠くて鼻詰まりの霊だと思ったらなんか急に怖く無くなってきたな」
声が出せるだけで随分気が楽だ。
話せる……話す相手がいるというのはどうしてこんなにも不安を和らげるのだろうか。今、俺の脳裏には相手は霊なのだから五感ではない……俺たちの想像もつかない何かで探しているのではないかという嫌な発想と、もしもそういう感知能力が低いなら今までの犠牲者はなんなのかという疑問が湧いた。それでも、さっきの様に不必要なほどの恐怖は感じない。
「よしっ、もう大丈夫だ。とりあえず、今分かってることを教えてくれよ」
「……よかった。そうですね……」
そう言って、彼はこのトンネルに住むものの確信を曝け出した。
まず俺もそうだと思ってはいたが、あの霊達の目的は俺たちを悪霊仲間へ引き込むことらしい。これは彼の持論で、不幸な死を遂げて祀られない霊は権限が少ない。出来ることが少ないものの行き着く先として典型的なものに他者の不幸を喜ぶというものがある。だから自分と同じ不幸へと他者を引き込むのだ。
「居酒屋のしょぼくれたおやじかよ……」
「まぁ、元人間のする事ですから。ただ、今はもうかなりの悪霊と言えます」
三人寄ればなんとやらだ。
今、このトンネルにはそうして増えに増えた悪霊が集まっている。互いに足を引き合って、他のどこにも行けない妬みの怨霊。それが渦巻き、溢れかえり……遂にはこの地を守る存在も追い出してしまった。
「失せ神トンネルという名前は、言い得て妙ですね」
「上手いこと言ってる場合かよ」
「さて、こうなるともう彼らが何で感知しているか仮説は立ちますよね? 触覚です」
「っ!! な……るほどね。ああ、分かってる。俺に聞こえるのは3、4種類の音だけど……違うんだろ?」
「……はい。僕の耳には騒音が聞こえます。それに見えるところにも結構……かなりいますよ」
彼は迷路のゲームだと思った方が良いと言った。
それは、戯けた言い方だけどつまり……ここにはか細い道の様に曲がりくねりながら歩かないといけないほどの霊がいるという事なのだろう。
「それ……見えない俺がぶつからずにここを出るのって可能なの?」
「……少し、難易度の高いゲームかもしれません」
「……」
「でも、任せて下さい。僕は除霊師ではありませんが、解決するのは得意なので……」
「ああ……そこは疑ってない」
俺は、全てを彼に任せる事にした。
だが、彼からの指示は拍子抜けするほど消極的だった。端的に言うと『この場で霊に触らない様に逃げ続ける』というもので、それでどう解決するのかやいつ出られるのかはまるで分からなかったが……俺は、分からなくても良いと思った。
「先輩、少し右へ……」
「お……おう」
見えない何かが壁を伝って行ったのだろうか。
背を低くした時には頭上を飛んでいたのか、それとも天井から何かをぶら下げたものでも這いまわっていたのだろうか……きっと聞かない方がいい。少なくても、今は聞くべきじゃない。
「増えてきました……かなり騒ついています」
「大丈夫……まだ、大丈夫」
俺はもう一度自分に言い聞かせる様に言った。
彼は少し心配そうだったが、俺はニッと笑顔を向けた。大丈夫……まだ笑顔にもなれる。
その時だった。
ドゥルンドゥロロロロという音。反響のない……車の音が聞こえた。
……そして、大きな笑い声も。
『ヒキャハハハ ヒーッヒッヒッヒ ヒャハハハ』
狂った様な悦びの声だった。
とてつもなく凶暴な、反響のない声。
「な……んだよ今の……」
違う。
明らかに今までの霊とは違う何かがいる。嫉妬とか、足を引っ張るとかそんな後ろ向きな感情とは無縁の声だ。それはもっと恐ろしくて、理解出来ない感情。でも……彼はそれを待っていたらしかった。
「……ふぅ、やっときた」
「え?」
「先輩、確信が持てました……助かりますよ」
結論から言えば、狂気に満ちた声の正体は俺の乗ってきた車だった。
もっといえば、このトンネルの霊が騒ついていたのもこれが原因だった。
「ここの霊は強力ですが、本質的には卑屈な連中です。だから、直観したんですよ……自分たちよりヤバい異物が来たと」
「そ……れが、俺の……マイカー?」
「はい。先輩の愛しのマイカー (曰く付き)です」
くそ、嫌味が戻ってやがる。
この男は普段からできないのか……さっきまでくらいの心配りを。
「初めはあの車がお仲間の元に僕達を運んだんだと思いました。でも、それなら下車を勧めるのは不思議でした。だから、仮説ですが仲間ではないのかなと……」
後輩様が呑気に解説を始める。
その間も周囲では耳が痛いほどの笑い声と、それに襲われた霊の悲鳴や叫び声が鳴り響いている。
「あぁ……あの様子だと」
「多分、捕食者と獲物……猫とネズミという感じですね」
「じゃあ……俺たちって」
「先輩がタクシーだったんでしょう……あの車にとって。ディナーを予約したレストランへ向かうための」
「俺の……マイカーなのに」
「言ってみます? あのマイカーに?」
「いや……やめておく」
ここで1つ思い出す。
失せ神トンネルの霊は巻き込み、悪霊の総数で大きな力を持った。では、霊を捕食する霊がいたとしたら……それは1つで沢山の霊と同等の存在という事になるのだろう。少なくても、今日か明日にはこの地域で三本指に入る心霊スポットである霊を喰い尽くすだろうその霊がどれほどヤバいものかなんて考えたくもない。
「さぁ、今のうちにトンネルを出ましょう。流石に襲われている最中に僕達に構ってくる霊はいないと思いますから」
「ああ……そうだな。っ!? あ……」
「? どうしました?」
「はは……安心したら、腰が抜けた」
「肩貸しますよ……残念ながら背負う体力はないので」
「ああ、無敵さんだもんな」
「はい。虚弱体質の……他称、無敵さんですから」
……
俺が大学で知り合った彼は無敵さんと呼ばれている。
彼は霊が見えるらしく、それを何度も解決している。そして、その際の霊にも人にも太々しい振る舞いからそう呼ばれているが体は病弱だし体力もない。先輩の俺にまでその太々しさは健在で、だから俺は……俺だけは彼を後輩様と呼ぶ事にしていた。
あと、1つだけ言い訳をする。
あの後、多分あんなことを言ってしまったのは猛暑のせいで、霊のせいで……それから、それから少しだけ……いつもより頼りになる彼が格好良く見えてしまったからなのだろう。
彼の肩を借りてよろよろと歩いた。
車は……悪いが後で牽引とか廃車とかの手続きを考えるので、この夕暮れ時の山からの帰路はタクシーがつかまる場所まで徒歩になる。
「なぁ、後輩様……重くないか?」
「はぁ……はぁ……これくらいなら、大丈夫ですよ」
「……そうか」
大丈夫とは何か。
息は乱れているし、顔は真っ赤だった。ただ、肩を借りている俺に言えることはないのでそういう事にしておく。
「あのさ……今回は、ありがとうな」
「これ、くらい……大した事じゃないですよ」
謙遜か……本心かもしれない。
確かに彼にとっては、今までのことなんかよりも俺に肩を貸している今の方が余裕がなさそうではある。
そっと彼の顔を見る。
余裕がないだけかもしれないが……真剣な顔だ。俺にはそう見えた。彼の頬を大粒の汗が伝い、それは中世的で小柄な……形の良い顔に沿って滑らかに顎の先へと流れていく。なぜだろうか、俺はまた心臓が早くなっていくのを感じた。
そして、抑えきれない言葉が……妙に早い鼓動と一緒に漏れ出した。
「なぁ、後輩様……俺の事、どう思ってる?」
「……」
意味深な事を言ってしまった。
顔が蒸気するのが自分でも分かる。
取り返しのつかない事を言ってしまった。
後悔するかもしれない……というか既に後悔している。これで彼との間に変な空気でもできたら居た堪れない。だいたい彼には従順な巨乳JTのガールフレンドがいるのに、俺なんかがこんな事を言っていい結果になんてなるはずもない。
俺は、バカだ。
何をやっているんだ。というよりこんな山奥で肩を借りたまま気まずくなったらどうすればいいんだ。ああ、その時はいっそ俺を捨てて帰ってくれ……俺は、明日には来るだろう救助隊を待つから……。
彼の返事はそう遅くなかった。
ただ異様に長く感じて、そんな事を何巡も考えた気がするし……途中からはそれも憂鬱で脳内でひたすら『俺はバカか?』『俺はバカか?』『俺はバカか?』と連呼、いや連叫していた。
そして、彼は言った。
「先輩、アホですか?」
「……ぁえ?」
一瞬……聞き間違えかと思った。
確かに俺は脳内でバカバカと連叫していた。だが、ちょっとズルくて弱い言い方だけど……俺なりに勇気を込めた告白だった。その返事がまさか、イエスでもノーでもなくて『アホ』とくるとは思ってもみなかった。
「アホは言い過ぎでした。先輩はマヌケです」
「……お、おおおま……お前なぁ」
流石に俺もキレる。
こんな返事はあんまりだろう。しかも聞き覚えのあるセリフだ……コイツはよって覚えてないが、寸分違わずあの夜に言われた言葉だった。
「……はぁ、先輩……貴女は本当にいつもそうだ。バカでアホで鈍感で……ここまでしないと気づいてくれないんですね」
「えっ、おっ……ちょっと、ええっ!?」
さて、何から話せばいいのだろう。
まず、転けた。このバカが急に手を離すからだ。そして、俺は仰向けに転んだまま抱きつかれた。背中が痛かった。そして、不覚にもドキドキした……女の癖に無駄に身長が伸びた俺と小柄な彼は並んでいると顔がこんなに接近する事がないから。
「えっと、ちょっと……今は、あんまり見るな。顔、火照ってる……から」
「……それは出来ません」
「お前っいい加減に……」
「告白の返事を、顔も見ないで言えません。僕も……貴女が好きです。好きだからずっと一緒にいた。離れられなかった」
「……えっ? それって……」
信じられなかった。
言葉の意味は……分かる。でも、俺だぞ。自分で言ってて悲しいが女らしいことなんてほとんど出来なくて胸も小さい、女の子にしか告白されたことのない……俺だぞ。
「まったく、この人は……鈍感という言葉では形容しきれませんね。僕は、貴女が好きです。言い出せずに貴女に言わせてしまいましたが……これは冗談でもなく貴女に告白をしているんですよ」
「マ……ジで?」
「はぁ……薄々気づいていましたが、本当に予期してなかったんですね。でもいい機会です……この際だから色々言いますが、貴女は本当に鈍感です!! それも性格や個性ではありますが、流石にかなり酷い。日常交流に支障が出る域なので改める努力はしてください」
そして、なぜか後輩様の小言大会が始まった。
「いや、ちょっと……嬉しい。嬉しいんだけど、嬉しいからさ……もうちょっと感動させてくれても良くないか!?」
「良くないから言ってるんです。僕はずっと言いたかったんですよ? ただの友達では言い過ぎだし、異性がこんな事を言うのも憚られると思って抑えていましたが……」
「今後僕が彼……恋人として過ごす時に貴女が他の男に言い寄られても気付かないでホイホイ着いていく。そういう事が頻発しそうだから言っているんです」
「いや、お前……俺にだって貞操観念くらい」
「信用できません」
信用がないときた。
コイツ……告白の、舌の根も乾かぬ内から信用できないと言いやがった。
「この前も男の人に誘われて食事に行きましたよね?」
「え? なんだそれ」
「ラーメン……」
「あぁ、それはだな。俺が鞄拾ったからお礼に奢ってくれるとかで……」
「……先輩、僕が今何を言いたいのか分かりますか?」
「……ああ、少しだけ分かったと……思う」
少し、俺にも非がある気がしてきた。
でも……今じゃなくてもいいと思う。
「まだ言い足りないんですよ。夜の山道も危険ですし、この際今日はこのまま納得行くまで話しましょうか?」
「え!? 嫌だ。なにこれ……初めての告白に続いて、初めての恋人との夜の語らいまでそんな辛気臭い思い出になるなんて……流石に泣ける」
「誰のせいで、誰の為に言ってると思ってます?」
なんなんだこの悪夢は……。
「まったく……どこにデリカシー置いてきたんですか?」
「今日の格好もです。もうタンクトップはダメです。その……目にやり場に困りますから」
「え? それって……これの事か?」
言われて気付く。
夏の快適服の頂点、タンクトップ。俺の場合、縦の問題でサイズが無く……男性ものを着ているが、タンクトップの男性ものと女性ものでは少し作りに違いがある。それは胸のあそびと、脇の生地の開き具合なのだが……その、後者が男性もののタンクトップを着ている俺の……この隙間からは確かにそれが見えてしまう。見えてしまうものがあるのだが……だ。
「いや、これ見せブラだぞ?」
「ダメなものはダメですよっ!! 男性のほとんどはそういう常識ありませんからっ!! ダメです。とにかく絶対ダメです」
今まで一の勢いで否定されてしまった。
正直俺にはタンクトップなんて人工物から、見せブラなんて人工物が見えているだけで何を騒いでいるのか分からないが……ここは引き下がろう。というか……もうこうなったら全部出させてしまおうと思う。早く終わって、そうすれば少しくらいはロマンチックな語らいもあるかもしれない。
だが、そんな俺の淡い期待が叶う事はなかった。
明かりのない山の星たちは広くて近い……まさに満点の星空で、圧倒的な星空には沢山の流れ星が見えたのに……だ。
だが、これが俺たちらしい関係なのかもしれない。
よく連んで、気だるくもあり馬鹿騒ぎもする。喧嘩も多いし、品のないことも言い合う。良くも悪くも気の置けない間柄……俺たちは今、一番居心地のいいこの関係に『恋人』という名前を付けることにしたんだ。




