熱中症 無敵さん③
大学二年目……真夏日、セミの泣き声もどこか重苦しいある日だった。
『無敵さん』が倒れた……重度の熱中症と診断され数日の入院。まったく、どこが『無敵』なのか……もっとも、彼がその異名で呼ばれる理由は過去に何度か遭遇した霊現象でも一切怯まないその太々しさを称えてのものであって彼自身は華奢で虚弱体質……その上中性的な顔立ちの小男でしかないのだ。そして、俺は先輩をアゴで使う彼を皮肉り『後輩様』と呼んでいた。
「よお、空調完備のいい部屋だな」
「……先輩ですか」
病室のベッドから首をひねり彼が言う。
病室にはベッドが4つあり、カーテンは全部開かれていたがうち2つは空席らしい。手前のベッドを見やり俺は満面の笑みを浮かべて見舞い用の椅子に腰掛けたが、目的は後輩様へのお見舞いというよりは普段の仕返しを見舞いに来たというのが正しかった。
「で、体調はどうだよ……無敵さん」
「……心配されなくても、大丈夫ですよ」
あえて無敵さんと呼んだことで察したらしい。
彼はムッと顔をしかめて素っ気ない言葉を選んだ……不謹慎だが、これは楽しい。いつも太々しいコイツも流石に今は反論にキレがない。
「それに気持ちは嬉しいですが、病院は幽霊も多いから怖がりの先輩には向きませんよ?」
「へぇ……そういうもんなんだ……」
今日は、これくらいでは負けない。
この大変かわいい後輩様は俺の弱点をよく知っている。確かに怖い話は苦手だが、後輩様を揶揄いに行くと決めた以上……彼が劣勢になれば怖い話しに逃げる事は分かっていた。怖い話がくると分かっていればある程度は覚悟もできるというものだ。
「でもさ、そもそも霊ってなんで天国とか地獄にいかないのさ?」
「先輩……仏教徒だったんですか?」
いいや、我流でござる。
後輩様は俺の認知度を理解したらしくワザとらしいため息の後に続けた。
「ざっくり言って霊がいるのはキリスト教で、仏教では死後は天国か地獄に向かいます」
「へぇ、じゃあ後輩様はキリスト教?」
「いえ、強いて言えばなにも信じてないので無神教ですね」
つまり、リアリストらしい。
後輩様は何度か霊を見ているので霊がいるのは信じるが、天国地獄は見たことがないから信じない。ただ、キリスト教が全て正しいとも信じていないという風だ。
「日本人って多いんですよね。先輩みたいに和洋折衷というか、宗教観ごちゃ混ぜの闇鍋教の人」
「いや、聞く分にはお前も似た様なもんだろ?」
そういうと彼は少し考えてから、そう言えばそうかという顔をしたが……直ぐに仏頂面に戻って、こう言った。
「日本人ですからね」
「やかましいわ……それっぽくまとめたけど結果は同じじゃねぇか」
「過程が大切なこともあるんですよ?」
結局いつもの雑談。
当初の目的だった彼へのマウンティングはなに一つ成功しなかったが、そんな時……となりのベッドから笑い声が聞こえる。
「ほっほっほ、若い子は元気があっていいわねぇ」
「あ、うるさかったですよね……すいません!!」
「いいわよ……おかげで元気がもらえたわ」
隣のお婆さんがこちらを見て微笑んでいた。
感じの良い人だったけど、その身体には点滴の管がいくつも刺さっていて、一目にもすぐに退院できる人ではないと分かった。
「本当に気にしなくていいのよ」
年の功とでもいうのか。
お婆さんは人当たりが良く、信じられないくらいに聞き上手だった。それからというもの、しばしば俺は後輩様と3人でここで談話のひとときを楽しむ様になった。後輩様は顔色を見る限り回復にこそ向かっているのだが、無敵さんの名前にそぐわない事この上ないが、検査の数値が軒並みおかしいとか……総合検査をしてみればレントゲンに何も映らないとかの問題が多発して入院期間は伸びに伸びていた。そのお陰というかなんというか、俺は2日に1度くらいのペースで病室を訪れ……遂に後輩様の弱点を発見した。
「介抱してやろうか?」
後輩様の弱点、それは下ネタだった。
後輩様は俺を見て『ガタン』と大きな音と共にベッドから落ちた。俺の手には尿瓶が握られていて、隣のお婆さんはほっほっほと笑いながら『若いっていいわね』としきりにつぶやいていた。
隣のお婆さんにはお孫さんが1人いて時々見舞いにやってくる。
低学年の女の子が1人で見舞いに来るのだから、たいした少女だと思う。
「後輩君、今日の講義内容をまとめたノートだよ」
「ありがとうございます。先輩のおかげでこんな状況でもしっかり勉強ができます」
「学生の本分だからな……勉学は」
俺たちはこの孫が来ている時に限り良い大人のふりをしたが、それはそれで面白かった。
お婆さんは俺たちのそんなやりとりを見て今日もほっほっほと笑う。因みにこの孫は俺には懐かなかったが後輩様をえらく気に入っていて、お婆さん6、後輩様3.5、俺0.1くらいの割合で接していて、残りの0.4は宿題をしたりして過ごしていた。
「いい子ですね」
「手……出すなよ?」
「先輩……アホですか?」
孫が帰ればいつもの会話。
そんな時だった。お婆さんが冗談にもとれる様ないつもの調子で、ふとこんなことを言った。
「私が死んだら、あの子にはお婆ちゃんは天国に引っ越したって言ってあげてね」
俺たちは縁起でもないですよと言ったが、お婆さんはいつもの様にほっほっほとは笑わなくて……数日とせずに個室に移り、親族以外の面会ができなくなってしまった。
……
後輩様の退院の日。
後輩様の退院を手伝いに来た俺は、あの孫が待合席に座っているのを見つけた。孫は俯いていてお気に入りの後輩様が声をかけても元気がない。
「お婆さんどうですか?」
「ずっと寝てる……どんどん小さくなっていくの」
その言葉で、だいたいの状況は察した。
そして、後輩様が孫の名前を言って頭を撫でた。
「お婆さんは、引っ越しの準備で忙しいんだよ……痩せていくのは、引っ越し先に先に送ってしまったからなんだ」
「お婆ちゃん、天国に行くの?」
お婆さん、あなたの孫はお婆さんが思うよりもよっぽど賢い子だよ。
俺は言葉に詰まったが、後輩様は柔和に微笑みながら言葉を続ける。
「そうだよ。天国に引っ越したらしばらく会えないけど、向こうでも楽しく過ごすから君も元気に過ごしてほしいって言ってたよ」
「天国っていいところ?」
「天の国だからね……最高だよ」
「そう……じゃあさみしいけど、仕方ないね……」
納得は、していないと思う。
でも、その言葉はあの子を後ろに縛っている何かを切る事ができた様にも思えた。彼女の背中を見送ってから俺は後輩様に言った。
「後輩様は天国地獄は見た事がないから信じないんじゃなかったのか?」
「日本人……ですからね」
「やかましいわ……」
俺たちはそう言ってから目を閉じて、お婆さんの冥福を祈った。




