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アイスコーヒー

 喫茶店のアルバイト。

 浪人が決まり久しぶりのホール仕事に入った僕は、そこで天使を見た。


「初めまして先輩。今日からお世話になります姫野可憐と言います」

「え……ああ」


 思わず見惚れる様な美貌。

 歳下、高校生だろうか。今日から入ったというアルバイトの彼女は名前に負けず劣らずというか……むしろ姫も可憐も現実に負けるほどに美しかった。


「よろしくお願いします」

「あ、ああ……よろしく。中卒からここにいるから、分からない事があればなんでも聞いてよ」

「はい。頼りにさせて頂きます」


 態度も声も完璧。

 俺の好みというよりも模範的に誰もが好む様な態度に声、まさに絵に描いたような美人が絵に描いたような可愛い後輩像をなぞる。こんな良い娘がこの世にいるのか、夢ではないのかと思った。だが、夢はそこで歪さを見せる。


『鼻の下伸ばすんじゃねぇよ65点』


「っえ……?」


 空耳とは思えなかった。

 脳に直接響いたその声色はさっき聞いた……メチャクチャにドスが効いて別人の様ではあったが姫野可憐さん、彼女の声に思えて二重の意味で混乱した。


 出逢ったばかりでなんだが、姫野可憐さんの好感度は高かった。

 初対面の印象は見た目が8割などとはよく言ったもので美人で仕草もそつがない彼女の、初対面からそこまでの好感度は人類最高値だった。それだけに空耳だとは思いたいが、同じ声帯でドスの効いた暴言が聞こえた衝撃は大きかった。そして、それは空耳ではないとすぐにわかること事になる。


いらっしゃいませ(『他の店行けよクズ』)。|ご注文をお伺いしてよろしいですか《『面倒だからアイスコーヒーにしろよ』》?」


「え……あ、はい。その、アイスコーヒーでお願いします」


 ものすごい、すごいものを見た。

 姫野可憐の前で動揺しながらアイスコーヒーを注文する客を見て甘い幻想が完膚なきまでに掻き消え、同時に全てを確信した。コレはアレだ……()()()()()()()()()()()ってヤツで、姫野可憐さんが良いのは外ヅラだけというか……麗しい容姿に反比例するかの如く内面が最悪だという事に……つまり、夢は夢でも悪夢だった。


『オムライスなんか食うから太んだよ。アイスコーヒーにしろよ』

『クドイ顔してこれ以上アブラ蓄えるの? アイスコーヒーにしろよ?』

『スパゲッティはやめろよ。運ぶだけでも熱いじゃねぇか。ほらアイスコーヒー、アイスコーヒーにしろよっ!!』


 注文のたびにそれは聞こえた。

 なまじ可愛い子のドスの効いた声というだけでもタチが悪いのに漏れた心の声(超常現象)では罪にも問えない。


『それにしても暑いわね。喫茶店の癖に空調ケチりすぎじゃない?』

『……ブラ透けたら嫌だな』


 その瞬間、店内の男が全員彼女を見た。

 その間実に0.05秒と言ったところ……そして更に0.5秒後、お互いに心境を理解して苦笑し…… 上記規定外のお客様全員から盛大な舌打ちが聞こえた。つまりどうやら姫野可憐の心の声は老若男女、万人に聞こえる様で今日の喫茶店は既にアイスコーヒー専門店の様相だ。


 ああ因みに一つ。

 僕は彼女に65点と一見そこそこの点数で呼ばれたのだけど、この後の客に125点が出たのでこの採点の満点は100点でも120点でもないらしくてとても死にたい。


 その後も姫野可憐さんの|悪魔の囁き《アイスコーヒー布教活動》は続いた。

 そして、少々頑なにオムライスを注文しようとした青年が姫野可憐さんの『アイスコーヒーにしろよ。ケツの穴から手ぇ突っ込んで胃袋ズタズタに引き裂いてやろうか』という奥歯をガタガタいわせるよりはお手頃かつ凶悪な決め台詞に撃沈した時、そのお客様は来店した。


「あーマミぴょんすごくお腹すいちゃった〜」

「あ、奢るよ。ボクお小遣い出たばかりだから」

「わーい。そうちゃん優しいからだーいすき」


「うっわ……」


 僕はそのお二人様を見て思わずそう口に出した。

 学生カップルだろうか……気弱そうな少年と、その彼女と思われる少女が小動物よろしく彼の腕に巻きついている。当然ここは喫茶店、所謂公衆の面前であり、それが意味するのは彼女達は控えめに言ってまず間違いなくバカップルであるという事だが……問題はここに姫野可憐さんがいる事だ。


 僕は助けを求める様に客席を見た。

 通夜の様だった……。どうやら僕だけじゃなく既存のお客様達(この薄情者たち)も理解しているのだ……この人の神経を逆撫でする方向に()()()()()()()()()と姫野可憐さんはどう考えても混ぜるな危険。姫野可憐さんがアイスコーヒーなら彼女はメロンソーダ……混ぜても素敵なことなんて絶対に起きないと断言できる。


『……なにあの女、頭の中味噌じゃなくてチーズでも詰まってるの?』


 ほら、やっぱり混ぜちゃいけない。


 そして僕らはみんな同じ恐怖を感じていた。

 姫野可憐さんの心の声に返事をしてはいけない……もしも彼女がそれに気づいてしまったら、彼女の心の中からあの罵詈雑言を囀る悪魔が現世に御降臨してしまうのではないかという恐怖であり暗黙の禁忌だが……あの少女は果たしてそういう空気を読んでくれるのだろうか。


 気弱そうな少年と彼女が席につく。

 夏休みの喫茶店とは思えない空席、姫野可憐さんの外ズラが僕に『空いている時間は任せてください。研修期間ですからこれも勉強です』などと言うから僕はただただ見守る事しかできない。言うまでもないと思うけど、この空席の数はドリンク一杯で席に居座り宿題やらノートパソコンを広げるお客様がおらず、皆がアイスコーヒーを飲み干すと席を立つ事で成立している……お客様は神様です(この裏切り者どもめ)


『アイスコーヒーにしろよ。うるさくしたらその髪引きちぎるぞ』

「えっ……」

「ひっ……」


 『えっ』と言ったのは彼女。

 『ひっ』と言ったのはその彼氏だったが、つまりは2人とも理解した様だ。まるで非現実的な状況(ファンタジー)だが、これが現実だ。だから、頼む……頼むから空気を読んでくれ。昔から言うじゃないか、触らぬ神に祟りなしと。


「ま、マミぴょん? 今日はアイスコーヒーにしないかな?」


 思わずガッツポーズの僕。

 そう……それで良いんだ。


「えぇ……でもマミぴょん今日はクリーミードリアのお腹なのぉ」


 やめてくれ。

 これは君の為でもあるんだと言いたかったが遅かった。姫野可憐さんの心の声はもう彼女をロックオンしたらしく次の瞬間『これ以上クリーミーになってどうすんだよ。なぁ? マミぴょん? おいまーみぴょん?』という声が聞こえて僕と彼は震え上がった。そして僕は、痛いあだ名を他人に呼ばれる事がこんなにもいたたまれないものだと初めて知った。


「マミ……さん? やっぱり他の店にしようよ。お小遣いもあるし喫茶店じゃなくてもいいから……」

「えーマミぴょんもう歩きたくないし外は暑いしぃー。クリーミードリアがいいのぉ」

『ッチ……クソ女が』


 そんな……バカな。

 ここまで揺るがず無敗だった姫野可憐さんの心の声が負けた瞬間だった。ただ、それも束の間の栄光だ。ホールスタッフの待機スペースに戻った姫野可憐さんからは黒い言葉が漏れ続ける。それも矛先を難攻不落の自称マミぴょんから気弱な彼氏に変えて……だ。


『マミぴょんってなに? 付き合う方も相当飛んでる。いえ……この場合はぴょんでる?』『見れば見るほどブサイクだし、ああ……すけべそうだもんね』『下心かぁ』


 そして姫野可憐さんが下心を『シモごころ』読んだところで客の数人がアイスコーヒーを吹き出し、これが彼の心をバッサリと刈り取ってしまった。今まで赤くなり俯いていた彼氏が蒼白となって自称マミぴょんを見た。


「マミぴ……マミさん。ごめん……ボク、キミとはこれ以上お付き合い出来ないっ!! ごめんっ!!」

「えっ……そうちゃん!!? ま、待って!!」


 よほど限界だったのだろう。

 別れを口にするよりも早く席を立っていた彼は彼女の声も聞かずに走り出したが、レジの横で『金、置いてけよシモ』という声に立ち止まる。慌てて財布を出して小銭をぶちまけたまま『おつりは要りません。要りませんからっ!!』と叫んで僕に五千円札を押し付け、文字通り逃げる様に喫茶店を出て行った。


 この時ばかりはみな(僕とお客様方)で揃って彼への哀れみを感じていた。

 そんな時だった。自称マミぴょんが徐にスマホを取り出して言ったのだ。


「もしも、タケルくん? マミぴょんね……振られちゃったぁ。ごめん……辛くて、電話しちゃいました……」

「うん、喫茶店。ーー駅の、うん……え? タケルくんお仕事は? うん、待ってる」


 スマホ越しのやりとりに周囲が騒つく。

 その通話が意味する事は多分、分かる。多分分かるが、信じ難いのだあまりにも。あまりにも長い沈黙が数分、喫茶店の前にタクシーが止まるとそこからスーツ姿の男性が慌てて降りてくる……多分、先の電話の相手タケルくんだ。そして彼が自称マミぴょんのテーブルの前に立つと同時にマミぴょんが彼に抱きついた。


|「来てくれてありがとう」《不穏な会話》

|「大丈夫か? どうしてこんな酷いこと……」《不穏な会話》

「大丈夫、まだ悲しいけどタケルくんが来てくれたから……」

「俺で良ければいつでも駆けつけるよ」

「タケルくんは優しいね。マミぴょんの彼氏がタケルくんだったら良かったのに……」

「……あのさ、マミぴょん? 俺じゃあ……ダメかな?」

「……え?」

「今日、いや今から……マミぴょんの彼氏が俺ってことじゃあ、ダメかな?」

「え、タケルくんが? マミぴょんの彼氏になってくれるの……?」


 『ダメかな?』『嬉しい』だのと話はまとまる。

 僕とお客様方は一見暖かなドラマの様なセリフを聞きながら、その一言一仕草毎にホールの室温がガタガタと下がっていくのを確かに感じていた。この展開には流石の姫野可憐さんも終始無言で、マミぴょんはタケルくんと手を繋いで帰っていく。


 それは今思い出しても時が凍りつく様な時間だった。

 だから、今僕は思っている。心の声が聞こえるなどという事はとても恐ろしい……だって、世の中には知らない方が良い事の方が多いのだから。

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