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マガツヒ 中編 無敵さん(完)

 世界をジグソーパズルに例えるなら、それで遊ぶ存在がマガツヒだ。マガツヒにとって世界は玩具でしかなく、そこには善も悪もないし愛もない。

ーマガツヒの考察より抜粋ー


 日を跨ぎ、俺は旦那様の残した日記を読み漁った。

 その内容はここからあまりにも壮大な悲劇へと進んでいく。旦那様の……無敵さんと呼ばれた彼の最大の苦難へと。


ーマガツヒの考察ー

 マガツヒを調べた結果、恐ろしい事が分かった。

 マガツヒは人攫いだ。神隠しを起こす存在らしいのだけど……困った事にマガツヒに取り除かれた人間の、その存在は周囲の認識で整合性を保たれてしまう様だ。


 例えばそう、僕が学校で誰かに借りた鉛筆があるとする。

 僕にはそれが誰の物かは分からない。僕はB君かもしれない、そんな気がしている。B君は貸した気がすると答える。


 でも本当はマガツヒに神隠しにあった......A君から借りた物だ。

 A君の事は学校の誰も覚えていないし、両親も実の子のことを授かってもいないと言うだろう。彼の存在はマガツヒによって世界から無くなる。彼のした事は全て曖昧に他の誰かの行動とツギハギになる。


 マガツヒにとって世界はジグソーパズルの様な玩具だ。


 マガツヒの感覚では、人間はその中のピースに過ぎない。


「ふぅ……いやいや、いや……ちょっと待てって」

「なんだよこれ。地蔵を池に突き落としたり、胸のでかいJTを欺すのとは訳が違うぞ」


 その時、わけもなく……そのくせどうしようもなく不安な感情に襲われた。


 見られている……気がする。


 どこから......。

 俺は部屋を見渡す右、左......後ろ。違う。まさか......上、違う。


 だったら、この視線はどこから来るのか。

 他にどこがある。左右と上、残るのは......下だ。


「ははっ、バカ。ビビりすぎだって......尻に敷いてるってか? どいて確かめたってそんなもん畳があるだけ......」


 これは俺が怖がっているだけだ。

 頭にこびりつく嫌な想像を忘れようとおどけた独り言を言いながら立ち上がり、畳に目を落とした。


「......な? なにも、ないだろう......」


 声が震えた。俺のいた畳には何もなかった。

 何もなかった。ただ、畳の真ん中に黒い......目の様な形に見えるシミがあるだけだ。


 このシミは、昔からあるものだ......。

 多分、そうだった気がする。……真偽は分からないが、俺はそう思うことにした。


「……ふぅ」


 大きく息を吸った。頭に溜まった妙な熱を追い出す。

 俺は、筋金入りの怖がりだ。なのに、なぜか……俺は既に、この化け物だか神だかわからないものを敵として認識していた。


……


 マガツヒは霊が見えないものには黒い(もや)の様に見える。

 そして、見えるものが見たマガツヒは浅黒い人間の形をした液体だ。

 少なくても、人間の目ではそう見える。

ーマガツヒの考察より抜粋ー



 気づけば俺は叫んでいた。

 『やめろ』『やめてくれ』と心から叫んだ。畳の床を何度も叩き涙する。既に何十年も前の彼が犯した罪を、俺は今になって嘆いている。


ーマガツヒの考察ー

 マガツヒを見つけた。偶然だった。

 あるいはマガツヒは会いにきたのかもしれない。誰にも知られなかったマガツヒに気付いた僕に。いや、きっとそれは考え過ぎだ。

 

 マガツヒにとってこの世界は無関心な玩具だ。

 マガツヒは薄灯りを灯す街灯を眺める様に立っていた。僕はそれを怖いとは思わなかった。ただ、その存在を理解していた僕は怒りを覚えた。覚えてしまった。


 衝動的な行動だったと思う。

 僕は忘れてしまったかもしれない友達の為に怒った。僕は……忘れられたかどうかも曖昧な友達の為に殴りかかったんだ。あの、マガツヒに。


 マガツヒを殴った感触は重い砂袋を叩いた様だった。

 次の瞬間、僕は粉々になった。いや、ちがう。僕と周囲の世界が砕いたジグソーパズルの様にバラバラになった。薄れる記憶の中でもう一つ、僕は理解した。今、マガツヒの抱いた感情は敵意ですらなく......家具、机に足をぶつけた時の癇癪に近いものだという事。ただそれだけのもので、僕はマガツヒの敵にさえもなれなかった。


「……かっ、あっ、はぁはぁ……ハハっ、旦那様よお……お前っ、太々しいにも限度があるだろうがよ」


 化け物にしても神にしてもだが、普通……殴るかよ。

 ダメだ。感情が追いつかない……もう自分が嘆きたいのか、怒りたいのかも分からない。呆れたい気もするのに口元が冷たい笑みを作る。それに、こんな事態なのに……どこか未だに彼らしさを懐かしみたい自分もいる。今の俺の気持ちは、多分……俺が一生探しても表現できる言葉が見つからないと思う。


「……大丈夫。大丈夫だ。まだ、終わりじゃない……」


 嫌な予感は日記を読み進める度に増していた。

 頁を捲る度に呼吸が浅くなる。確信に近い感覚だった。人が神に抱く畏怖というか……本能的な恐怖だったのかもしれない。


 それでも、俺は読み進めた。

 これ以上読み進めてもより酷い事を知るだけと分かっていても読み進める手は止まらなかった。


「っていうか、バラバラになったってなんだよ……普通に気になるわ! 小学生でバラバラになってたら俺の旦那様どうなんだよ!! マジで」


 先が気になった。

 それよりも、何よりも……ここには俺の知らない彼がいる。


ーマガツヒの考察よりー

 僕はマガツヒに殺された。

 殺されたと思ったが、目が覚めた。


 目が覚めた僕は奇妙な状態だった。

 身体が重く、頭は正常に動いている......今の僕はジグソーパズルのピースで例えるなら版にはまったままねじ曲がった状態なのだと思う。僕の身体が死んだまま、世界に生きていると認識されている事に気づいたのは随分後のことだった。


 僕はもう死んでいる。

 だから僕は規定の寿命まで死なない。……死ねないと言った方がいいかもしれない。おかげで僕は何も恐れる必要がなかった。刃物で刺されても死なないし、病気も怖くない。例え完全に不眠不休でも死ぬことだけはない。でも時々どうしようもないほどに身体が痛む......多分、この痛みは人が死ぬ時の痛みだ。無理もない......むしろ僕の体は死体なのに動かせている。既に奇跡みたいなものだ。


「……」


 俺は、それから数日をかけて彼に起きた全てを理解した。

 きっと、彼のした事を愚かだと思う人もいるだろう。でも俺はそうは思わなかった。少なくても、長年を夫婦としてやってきた俺は理解した。


 それに、後悔の方が大きかった。今なら彼の事がより分かる。

 大学時代の彼の気持ち、やり過ぎなくらいに家族や記念日を大切にした理由が分かってしまう。俺がいつも揶揄った虚弱体質という言葉は、死体の彼にとってどういう意味に聞こえたのだろう。


……


 マガツヒが何者なのかは、分からない。

 だが、この世の中の理不尽......その最たるものがあるなら、それがマガツヒだ。なぜなら、本当の理不尽とは多分......理解どころか、認識する事も許されない不幸の事だからだ。

ーマガツヒの考察より抜粋ー


 全てを読み終えた俺は自宅へ息子夫婦を呼び寄せた。

 息子達にも話す必要がある内容だった。俺の気持ちは決まっていたが……息子たちが止めるなら、諦める覚悟もあった。


「それでいいよな……旦那様?」


 聞くまでもない。

 あれほど家族を大事にした彼だ。それに彼はこんな俺の事も大事にしてくれた……だから、むしろ俺が今からしようとしている事を危険だと言って止めようとさえするかもしれない。


 新幹線で片道3時間。

 俺の家と息子の新居は遠いというほどの距離ではないが、頻繁に帰郷できる距離でもない。それでも俺が連絡を入れて数日で仕事を休み、ここまで足を運んでくれるのだから我ながら良い息子を持ったのだろう。


「なんだよ母さん……急に嫁連れてこいとかさ。俺たち結構仕事とか忙しいんだけど……」

「まぁまぁそう言わないで……お久しぶりですお母さん」


 前言は撤回だ。

 誰に似たのか、久しぶりの帰郷一番で小言が飛び出す可愛げのないバカ息子め。お陰で嫁に来た彼女のよく出来た返答が際立つ事よ。


「大奥手のバカ息子が……第一声がそれかよ。ったく、お前がこんないいお嫁さん連れてくるなんて……人生なにが起きるか分からないよ」


「あーもう、で……電話で言ってた父さんの話で大事な事ってなんだよ? 父さんのことは残念だけど……もう、気持ちの整理もついたって言ってたじゃないか」


 息子が目を細める。

 それは息子の本音を探る時の癖だった。賢い子だ……今の会話だけでも俺が『言いにくい話し』を用意している事は分かっているんだろう。それでも聞くとも決めている。その上で何があっても解決する気概は、今まで何でも小器用にこなしてきた彼なりの自信からくるものなのだろう。


 そして、それは彼の嫁も同じだった。

 息子の後ろを3歩さがって影も踏まずに歩く様な温厚な雰囲気の女性。しかし彼女のそれは主張のない性格とは真逆で、誰かの決めた物事がどれほど傾いても後方から支えられるという自負だった。

 

「旦那様が居なくなって寂しくなったとか……そんな事だったら良かったんだけどね。まぁでも、旦那様関係の話さ。ハイ! じゃあ仕切り直して、楽しい楽しい家族会議を始めるよ」

「げっ……分かった。ロクでもない内容だって事だけは嫌というほどに」

「お前、本っ当に生意気だね。誰に似たんだよ……」

「間違いなく両親だよ?」


 実にくだらない、久しぶりの親子の会話。

 俺の一家での団欒はだいたいいつもこんな感じだったが、多分息子の口が悪くなったのは俺のせいだけではない。


 俺は自室に移していた例の本を息子に渡した。


「とにかく、これを見な……父さんの部屋から出てきたんだ」


 息子は嫁と共にそれに目を通して言った。


「親父って小説家だったの?」

「あのなぁ……いや、まぁそう思うか」


 少し拍子が抜けたが、分からなくもない。

 それくらいにこの内容は奇天烈だ。旦那様の不思議な力を知っている俺でも、鵜呑みにはできなかったのだから。


「残念だが、これはマジ話……って言っても信じないよな。誰に似たかクソ賢いバカ息子め……仕方ない。奥の手だ」


 俺は息子夫婦に霊現象を実証する為に、ポケットから一体の人形を出した。

 『メルトマン』と呼ばれるそれは、彼の持つ心霊グッズの一つだ。この人形の怪異はどんなに切り刻んでも翌日には元の姿で机の上に戻ってくるというもので、旦那はこれを心霊商品として売っていた。売ったメルトマンは翌日旦那の机に戻ってくるが、商品が手元から紛失する事で大喜びする心霊愛好家はこれを大いに喜んだ。……なんとも如何わしい商売だ。


「何、そのキモい人形?」

「今からこれを3等分にします。各自ポケットに入れたな? じゃあ、明日までそれを手放すなよ」


 そして翌日、起きた事は言うまでもないだろう。

 息子夫婦は机の上に並んだ3体のメルトマンに目を疑う。切り刻まれたそれらは互いに分裂したまま再生、しかしその全てが机の上へと戻ってきていた。


「どういう……事だよこれ。俺が念のためにつけた印が足の裏にある……」

「うそ、私が手のひらに塗ったマニキュアも……」

「あんた達ねぇ……はぁ、お似合いだよ」


 息子の実証癖は旦那様譲りとして、その嫁もどうやら近しい気質があるらしい。

 

「とにかく、あんたの父さんにはちょっと凄い霊感があった。これは俺も知ってた事だけど嘘じゃないってのは分かっただろう?」

「……。信じたくないけどな」

「はい……信じ難い事ですが、否定する方法が……今はちょっと思いつきません」


 聡明な夫婦だ。

 いくら馬鹿げた話でも、否定できない事を頭ごなしに拒みはしない。


「因みに、これが我が家の資金源です」

「……は?」


 息子はこれも否定はしなかった。

 しかし、流石の息子も俺のこの言葉を飲み込むのには随分と苦労した様だった。


 本題に戻ろう。


「さて、心霊現象はある。マガツヒはいる。そしてここに書かれていることはいつか起きるとして……だ。俺が今したいと思っている事についてお前たちに聞きたい。それが、俺たち3人の人生に関わる……俺が2人を呼んだ本題だよ」


 俺がそう言うと2人は息を呑んだ。

 緊張し、互いに顔を見合わせる。それもそうだ。俺が読み進めたマガツヒの考察、その内容はここから先にとんでもない事実が記されているのだから。


 マガツヒの考察はこの先、更に悲壮な展開を迎える。

 少年期にマガツヒを調べ、マガツヒに呪われた旦那様。ここからは高校時代の彼とその後についてが記述されている。


ーマガツヒの考察ー

 僕はマガツヒを探した。

 僕がちゃんと死ぬ為にはマガツヒに会う必要があった。


 マガツヒは僕を呪ったけど、それは一瞬の癇癪だ。

 僕にとっては一生の悪夢だが......マガツヒはきっともう覚えてもいないのだろう。僕はマガツヒを見つけても、もう怒らない。マガツヒを相手に僕らが忘れてしまった何かの為に怒るような正義は馬鹿馬鹿しい......だってマガツヒにとって僕らは、無価値なジグソーパズルよりも更に取るに足らないピースでしかないのだから。


 僕はマガツヒを探す過程で多くの知識を得た。

 世界を玩具としか見ない存在を相手にするのに武器になる知識はきっと世の学者と同等のものでも足りないくらいだろう。いや、恐らく世の学者が束になってもマガツヒと対等にはならないかもしれないが......僕の目的は死ぬ事だ。マガツヒを消滅させる事ほどの難題ではない筈だ。


 マガツヒ、『曲がる日』が転じてマガツヒと呼ばれるに至る。

 違う。そんな事はどうでもいい情報だ。必要なことはマガツヒが起こす災い、そのルールだ。霊でも神でも起こす事象には決まりがある。ちっぽけな僕らが戦うならそのルールを逆手に取る以外に勝ち目なんてない。


 僕が、マガツヒを捕まえられたのは運が良かった。

 そして、最悪の事態だった。マガツヒが無関心で無警戒だったから、僕がマガツヒを恨み続けていたから......それは叶ってしまった。幾つも想定していた方法の一つがマガツヒを拘束する事に成功した。僕は動かなくなったマガツヒを間借りしたアパートの地下へと閉じ込めた。僕はこれからマガツヒを使って実験を繰り返し……僕の死ぬ方法を探すつもりだ。



「答えはすぐに聞かないよ……でも2人が賛成してくれるなら、俺はマガツヒに会いに行く」


 俺はその時が来たら、大学生活を過ごしたあの地へ行く。

 旦那様が過ごしたアパートの、彼が秘密にしていた地下室へと……向かう。

 

……

マガツーはーでーない。

ーであり、ーだ。マガーヒにーはない。

こーマーツヒは本ーのーのーーに過ぎない。

ー掠れたマガツヒの考察より抜粋ー


 俺は今日も息子の返事を待つ。

 息子はあれで律儀な男だ。忘れているとか後回しにしているという事はない。きっと今も必死に考え、嫁と相談して……それでも答えが出ないのだろう。


「まぁ気長に待つよ。お前はきっと怖がりだろうからね……俺に似ても旦那様に似てもさ」


ーマガツヒの考察ー

 僕が死ぬ方法が分かった。

 それで全てが元に戻る。ただ、それを知るのが遅すぎた。それをしたら僕は死体に戻れるかもしれない。でも僕はもう少し生きたい......この大学で、あの人に出会ってしまったから。


 安い言葉だけど一目惚れだった。

 僕には霊が見える。それは、人を見れば気配の様なものも見えるという事だ。そして、言うまでもないが......彼女の持つ気配は僕にとってあまりにも心地が良かった。


 だから、これは安い言葉だけど一目惚れだ。

 どちらにしても陳腐だけど赤い糸と言ってもいい。でも、そんな言葉に言い換えたところで怖がりのあの人は嫌がるのだろう。


 だから、これは秘密だ。

 彼女を見たあの日、僕にはもう分かっていたんだ。彼女といる事が僕の幸せだという事に。



「はぁ……別に、嫌じゃねぇよ……良いじゃん。赤い糸……」


 むしろ、言って欲しかった。

 多分、俺は照れ隠しでバカにしたかもしれない。それでも、それでも面と向かって言われたかった。そうすれば、もう一度……彼を思い切り抱きしめられたのに。



ーマガツヒの考察ー

 何度も迷った。

 でも想いを告げたいと思う度に、僕の負い目がそれを許さなかった。マガツヒに呪われた僕が幸せになっていいのかと悩んだ。彼女までもが不幸になるのが怖かった。


 それでも気持ちは抑えきれなかった。

 酒の力で告白紛いのことを言ってしまった事もあった。見舞いに来た彼女を見て不意に口元が緩んだ事は一度や二度ではない。


 そして、とうとう彼女から告白をされてしまった。

 僕は格好の悪い事に自分から告白も出来なかった。なのに、彼女が不幸になる事を恐れているのに......告白を断る事も出来なかった。


「はは、懐かしいな。もう30年も前か……俺は告白してテンパって、何も考える余裕なんてなかったけど。あの時、お前……そんな事考えてたんだな。はは……嬉しいよ。お前にとって俺の告白が嬉しいのは、大前提だったんだな」


 俺が告白をした時、返事を待つ時間が異様に長く感じて苦しかった。

 体感の問題もある。でも、彼も俺と付き合う事に悩んでいたのかとも思ったんだ……でも、それは完全に間違いだったらしい。


 彼が人生を通して書き溜めたマガツヒの考察。

 俺はこんな気色悪いものを何度読み返しただろう。でも、きっとこれは大切な作業だった。その日が来たら何が起きるかは分からない……俺はこの全文を暗記して、理解するくらいにならないといけない。


……

 マガツヒの悪戯は一方通行ではない。

 不意に取り除かれたピースは別の時代に突然嵌められる事がある。過去の人間が未来に、未来の人間が過去に現れる現象の幾つかはマガツヒの影響かもしれない。

ーマガツヒの考察より抜粋ー


 以降の日記は更新頻度が少ない。

 俺たちが恋人になってから、彼は自殺とも言えるこの研究に幾分消極的になってくれたのだとしたら嬉しい。でも、もしかしたらただ……無意識に避けていた真実が近づいてきていた。そういう事なのかもしれない。



ーマガツヒの考察ー

 マガツヒの研究は続けている。

 本体を監禁してからは研究がかなり精巧に進んだ。調べるにつれてマガツヒに何をしても僕が死なない可能性が分かってきた。正確に言うならパズルのピースとして捨てられたものは元に戻るが、僕は潰されたピースだ。潰れているピースを復元する事はマガツヒでも出来ない......残酷な事だが、今となってはどうでもいい。僕は今、死のうと思っていないから。


 酷いことが分かった。

 マガツヒのルールを書き出していて気付いたが、どうやらマガツヒの視点でみたジグソーパズルには同一視されるピースがあるらしい。それは例えば夫婦だったり子孫がそれにあたる。

 マガツヒに消されたCという男性に妻がいたとする。マガツヒがCの人生を取り除くと彼の奥さんは他の誰かと結婚した人生を疑わなくなる。だけどこの後でマガツヒがCの人生を世界に戻した時、Cの奥さんだった人は奥さんには戻らない。


 嫌な仮説がいくつも浮かぶ。

 マガツヒが何かの拍子にいなくなった時、僕は死体のまま生きた扱いとなるのだろうか。この場合、世界は息子たちの整合性をどう整えるのかが分からない。


 例えば、僕の存在があの日で消えた場合......僕と結婚した彼女は、僕達の子どもは誰と関係を持つのか。その人間はどう選ばれるのか......調べないといけない。


 僕はやはり大切な人を不幸に巻き込んだのかもしれない。

 マガツヒが何かの拍子に消えてしまったら、何が起きるか分からないままではいけない。早く、早く調べないといけない......これ以上手遅れにならない為に。


 マガツヒにとってこの世界は玩具でしかない。

 そこには善も悪もないし、愛もない。それが僕にとって唯一の救いだった。手を尽くして調べ上げて大凡の推測がたった。


 マガツヒが消えた場合、僕は死ぬはずだった。

 でも僕は彼女のピースと繋がり子供という新しいピースを作ってしまった。


 マガツヒが消えれば世界は元に戻るが、正当なピースである彼女と子供は盤面になくてはならず僕は盤面にいてはならない......矛盾が起きる。


 文献を漁り過去に同じ様な現象を経験した者たちの体験記を見つけた。

 それらでは一貫して同じ事象が起きている......特異点、僕がマガツヒに殺された日からの世界のやり直しだ。


 そして、この場合イレギュラーである僕と僕にまつわる彼女と子供というピースが別の個体としてこの世界に発生する事になる。


 今の世界はいつか消えてしまう。

 息子に婚約者が出来たと聞いた時は絶望した。こんな嬉しい絶望を僕は知らない。最高に嬉しいのに、また犠牲者を増やしてしまったと嘆かずにもいられない。こんな最高の出来事を心の底から祝福出来ないなんて......これはなんて酷い呪いなんだろう。


 たったの数ページの考察。

 それが彼の最後の30年だった。彼は調べる事を諦めなかったが先に眠る絶望を感じていたんだろう。冷水に恐る恐る身を浸していく様にゆっくりと、苦しみながら探っていったんだ。


ーマガツヒの考察ー

 もうマガツヒについての研究は終わった。

 酷い研究結果を残して終わってしまった。僕は全てを打ち明けるべきだ。結局僕は彼女と子供、その婚約者に多大な迷惑をかけてしまう。......最低だ。


 僕は今日もマガツヒを眺めている。

 最近のマガツヒがどこか愉快そうに見えるのは僕の被害妄想だろうか。腹に刺さったナイフで身動きが出来ないままの姿で僕を嘲笑っている……そんな気がする。


 多分、僕の死期が近いのだろう。

 マガツヒにとって世界は玩具だが、もしかしたらマガツヒ自身の命への関心も希薄なのかもしれない。今のマガツヒにとっては世界よりも何よりも僕の葛藤が楽しくてたまらない様な……そんな気がするんだ。


 悔しいが僕の負けだ。

 僕はまた、マガツヒに負けた。僕は生きたい......1日でも長く彼女と過ごしたい。子供の姿を見たい。最低だ。許してくれとも言えない。でも……死ねなくてごめん。巻き込んでしまって本当にごめん。



 これが、俺の旦那様が明らかにしたマガツヒの全容だ。

 マガツヒは放っておいてもいつか消えるのかもしれない。だが問題はその時、俺と息子夫婦は突然過去の世界に迷い込むという事だ。それがいつかは分からないが、息子や孫、ひ孫が生まれる時代まで引き伸ばして良い問題ではないと思う。


 だから俺は息子に話した。


「俺は今マガツヒの問題を解決するべきだと思う。その時、俺たちは過去の世界に放り出される……家や財産がどうなるかは分からないし、お前たちの仕事や友人知人の認識がどうなるかも分からない。とんでもない事を言っているのは分かっているが……出来れば、覚悟して欲しい」


 明日から知り合いもいない世界で一生を送ってくれ。

 その返事が数日で出せるわけもないだろう。


「っつーかマジでバカ野郎だな! なぁ旦那様!! なーにが死ねなくてごめんだよ。もしも自殺なんかしてたら許さなかったさ......記憶を無かったことにされたって、例えお前が死体になってたって......絶対に殴り飛ばしに行ってたさ」


「マガツヒのルールなんて知るかよ......お前が好きで、俺が好きだったから結婚した。それが、俺たちのルールだろ……」


 俺は自室にある旦那様の写真を見ながらそう、言ってやった。

 少し涙ぐんでいた。この涙は、多分……彼に会いたくて溢れた涙だ。


 それが起きたのはそんな時だったから、俺は心底慌てた。

 声は、俺の背後から聞こえた。


「あの……母さん?」


 息子の声……に俺は凍りつく。

 瞬時に解凍、思考の加速……そして問題の核を理解する。


「どわっ!? なに!? なんでここにいんだ? え? 仕事は? 鍵は……持ってるか。っていうか、えっと……なんだ!? お前……い、いつからいたんだよ……」


 聞かれたのか、見られたのか。それとも聞いてないのか。頼むから聞いていなかったと言ってくれ。旦那の遺影に向かって恥ずかしい事を言う俺の姿を。


「えっと、その……い、今さっき来たから。何も聞いてないよ」

「あの、素敵……だと思いますよ。あっ、いえ……遺影の事です。お義父さんの若い頃の写真……自室に飾られているんですね」


「おいその反応……もう絶対嘘じゃねぇーかっ!! うわ、恥ずかしい……こんな恥かいたの30年ぶりぐらいだ……」


「いや、どうかな……かあさんはどう思ってるか知らないけど。結構頻繁に恥はかいてる様な気がする」


 なんとなく、息子の脳裏に俺がPTAのクソババアを蹴り飛ばした時のイメージが浮かんでいる気がするのには……触れないでおこう。


「……よし、とりあえず全部忘れよう。で、何しに来た?」


 俺は強引に仕切り直した。

 人間やれば大概はなんとかできる。50年も生きるとそういう生命力もかなり高くなるんだこのやろう。


「えっと……」


 対して息子の言葉は歯切れが悪い。

 とはいえ他でもない息子の態度を見れば嫌でも分かる。聞くまでもなく何を言われるかは分かった。だが、そう言おうとした時、息子の嫁が助け舟を出した。


「ふふ、こういう事は電話じゃなくて直接言うべきだって思いましたので……いきなりですが2人でお邪魔しちゃいました。ね?」


 嫁に促され、息子がうなづく。

 そして、俺への返答を口にした。


「ああ……2人でここに来たのは、母さんの背中を押すためだよ」

「っ! そう。ありがとう……」


 息子の言葉は嬉しかった。

 それ以上に、息子がそれを言い切る為に支えとなった嫁の姿が嬉しかった。強く息子の手を握り、2人はまっすぐに俺を見ていた。


 俺は思った。

 ああ、杞憂だった。俺が心配するまでもない……この2人はどんな時代に飛ばされても力強く生きていける。


 俺はその足で決着に向かう事を決めた。

 心が熱い、今に勝る好機なんてない。そんな俺の意思を察してか、背後で息子が声を張り上げた。


「母さんっ!! 負けるなよっ!!」

「ああ、任せな。一発マガツヒの顎を蹴り飛ばしてくるよ」

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