第2話「高嶺の花の、秘密の顔」
その日の夜。
ちょっと小腹が空いた俺は、夕食後だというのにカップ麺の誘惑に勝てず、近所のコンビニへと足を運んでいた。
平穏な日常とは、ときにこうした小さな背徳感で彩られる。
「やっぱシーフードっしょ」
鼻歌交じりに、俺はいつもの道から一本外れた、薄暗い路地裏に入った。
こっちの方が近道だからだ。
街灯が少なく、不気味な雰囲気が漂っている。
だが、まあ男一人だし大丈夫だろう。
そう高を括っていた俺の耳に、甲高い金属音が飛び込んできた。
「――ッ!」
『何だ?』
『喧嘩か?』
『面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ』
俺は引き返そうと背を向けた。
だが、好奇心というやつは、ときに理性を上回る。
物陰からそっと覗き込んだ俺は、信じられない光景を目にした。
「あれは……雪城、さん?」
そこにいたのは、俺と同じ高校の制服を着た、雪城玲奈だった。
凛とした横顔は、教室で見るそれと同じ。
だが、その雰囲気はまるで別人だった。
彼女の手には、鋭い氷でできた長剣が握られ、その切っ先は、異形の怪物に向けられていた。
怪物は、まるで巨大なカマキリと蜘蛛を合わせたような、おぞましい姿をしている。
ダンジョンに出現するモンスターだ。
テレビのニュースでしか見たことのない存在が、今、目の前にいる。
「ハァッ!」
玲奈が鋭い呼気と共に剣を振るう。
刹那、地面から巨大な氷の柱が何本も突き出し、モンスターを串刺しにしようと襲いかかった。
『これが、探索者の戦いなのか』
だが、モンスターは素早い動きでそれを回避し、カマのような前脚で反撃に出る。
キィン、と氷の剣と前脚がぶつかり、火花が散った。
「くっ……!」
玲奈の表情に、焦りの色が浮かぶ。
S級探索者と噂される彼女でさえ、苦戦する相手なのか。
モンスターの動きは明らかに玲奈を上回っている。
そして、その瞬間は訪れた。
玲奈の攻撃を紙一重でかわしたモンスターが、口から粘着質の糸を吐き出したのだ。
「しまっ――」
玲奈は咄嗟に身を捻るが、避けきれずに片足を絡め取られてしまう。
バランスを崩して倒れ込む玲奈に、モンスターの巨大なカマが、無慈悲に振り下ろされた。
『息が詰まる』
『心臓が早鐘を打ち、手足が冷たくなる』
『どうする?』
『見て見ぬふりか?』
『逃げるか?』
『それが一番賢い選択だ』
『俺はモブ』
『力なんてない』
『平穏を愛する、ただの高校生だ』
『――いや、ここで逃げたら、俺は一生後悔する』
『平穏な日常が好きだ』
『だが、目の前で人が、しかも同級生が死ぬのを見過ごして手に入る平穏など、クソ食らえだ』
「やってやる……!」
俺は覚悟を決め、ポケットのスマートフォンを取り出した。
まだ今日のガチャを引いていなかった。
頼む、何でもいい。
今この状況を打開できる、何かを。
俺が祈りを込めて画面をタップした瞬間、端末から強い光があふれ出した。
虹色の光が路地裏を閃光のように照らし、俺の目を焼く。
【獲得】SSSランク:神殺しの魔剣「アストレア」
脳内に直接響くような、荘厳な声。
光が収まった俺の手には、白銀に輝く、美しい装飾が施された片手剣が握られていた。
刀身は星の光を練り上げたかのように煌めき、神秘的なオーラを放っている。
『これが、SSSランク……』
「うぉおおおおお!」
俺はコンビニの袋を放り投げ、着ていたパーカーのフードを深く被って顔を隠すと、玲奈の前に飛び出した。
「なっ……誰!」
驚きの声を上げる玲奈。
だが、それに構っている暇はない。
振り下ろされるモンスターのカマを、俺はアストレアで受け止める。
ズシン、と腕に衝撃が走るが、びくともしない。
むしろ、魔剣が怪物の力を吸収しているような感覚さえある。
「消えろぉっ!」
俺は叫びながら、アストレアを力任せに横薙ぎに振るった。
剣道なんてやったこともない、ただの素人の一振り。
だが、アストレアの刀身から放たれた白銀の閃光は、周囲の重苦しい空気をビリビリと震わせながらモンスターを飲み込んだ。
断末魔の叫びを上げる間もなく、モンスターは光の塵となって、夜の闇に溶けて消えていく。
静寂が戻る。
俺の背後で、玲奈が唖然としているのが分かった。
「あなた、は……」
『やべっ、長居は無用だ』
『正体がバレたら、俺の平穏な学園生活が終わる』
俺は何も答えず、背を向けて立ち去る。
そして、人生で一番のスピードで、その場から走り去った。
手にはまだ、神殺しの魔剣の確かな感触が残っていた。




