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晩年、自ら幸福を手放していってる人がいかに多いか(という昔の人の言葉を、新聞で見た)

嫉妬、そして短絡的思考による怒り、である。 


人生長く生きながら、いちばん大切なこと(心)を学んでいない年寄りが、ほんとに多いと感じる。


僕は近所の嫌がらせを受けながら、つくづくそう思ってきた。

もともと、年齢や能力ではなく「謙虚さが身についているか」で人を尊敬してきた僕は、相手が何年生きていようが、何をなし得て、どれほどの能力を身につけていようが、「ああ、この人はダメだな(簡単に人を傷つけるな)」と、どうでもよくなる。


そして器の小さい人間というのは、まず間違いなく、自分を軽んじる相手には執着しまくる。


ほんとにアホなのだ。

人としての学びが、自分に足りてないのを理解できず、ただ相手が無礼なのだと、執拗に嫌がらせをくり返してくるようになる。


例えば新聞一つとっても、僕は「社会でどんなニュースが重要視されているか」の順番が知りたいから取り続けているが、年金の少ないご高齢の方などは、まず取るのをやめている。ネットやテレビなどでは、「社会的に重要な順番やトピック」が視聴率の問題から狂ってることがあるので、当てにならないことがあるのだ。皆さんご承知の通り。

新聞は「プライド」が各紙にあるから、地味でもだいたいは社会的に正しい。


チラシなどもときどき「おっ、この情報はありがたいな」というものもあるし、新聞の広告欄には、かなり読みたくなるような本も取り上げられているので、僕は読書の一助にしている。

ピンと来て、外れたことはまずない。


そして心の貧相な高齢者は、自分が取っていない(価値がないと勘違いしている)新聞を、取っている若輩者に無駄に嫉妬する。

朝、ちょっとしたその新聞を取りに出る物音すら許すことなく、嫌がらせをしてくる本当に愚かな老人がいるのだ。


そしてその「ちょっとした」ことに寛容でないご高齢の方は、どこにでもいる。びっくりするほど。


自分の幸福を理解することなく、人を羨み、怒り、あくなき地獄(人への嫌がらせ)をくり返しているのだ。


かつて、僕は日本有数の企業(日本人の中学生以上で、その会社の名前を知らない人はいないと思う。世界でもある程度認知されている)の元社長のご自宅で仕事をさせていただいた時に、「積善」(善を積み上げる)という色紙の言葉を目にした。


「なるほど、大会社の元社長だから人品は確かだし(僕は、その方の品性を知って「日本は大丈夫だ」と本気で思えた)、そうやって経済力は培われてきたんだな、と実感できたのである。


ちなみに、多くの人が勘違いしているが、お金をたくさん持てばお金の心配はなくなる、と考えるのは間違いである。


持つ金額が増えるほど、お金について考える時間も、問題も増える、と僕はその方の暮らしの身近にしばらくいて感じた。

人はほぼすべての人が「持っている分量の暮らし」をしようとするので、常にお金の心配はついて回るのである。

今のところ、「(本当に必要なものしか)物は持たない」が、いちばん身軽で、幸福に近いと僕は感じている。


身軽な人生というのは、ほんとにささいなことで幸せを味わいやすいのだ。


閑話休題(よくある話の跳び)


大谷翔平選手のゴミ拾いの話を聞いて、僕はいかに「積善」が人生に実りをもたらすかを知った。(まあ勘違いでもいいのだ。社会を綺麗にするのは喜ばれることだし)


そして、毎日法華経を読むのもそうらしい(別宗派の僧の方に聞いたことによる)が、日々とくを積み上げていくとどうなるか。


僕の場合は、ほんとに仕事がうまくいくようになってきてると思う。

そして、ありがたい付随効果がある。


徳を積み上げている結果(まあ、大抵の人に話すと、いいことをしてるね、と言われるので)、卑劣な人の嫌がらせが、どんどん減っていったのである。


それは無論、因果応報もある。

嫌がらせが過ぎた老人が、今度は自分が卑劣なことを近所からされるようになり、ひどい目に遭っているのを何度も知り、見もした。

ほんとに愚か(大切なことを学んで来なかった)である。


そして、もう一つは、自分がどんどん幸福になっていってるのと、徳を積み上げていくと(例えば僕は地域の補導委員をやっているが、よくサボる人もいて形骸化しているが、それに毎回出てパトロールなどをしていると)嫌がらせをしてくる人が、どんどんはじかれていくようになったと感じたことである。


こっちに卑劣なことをしようとする人というのは、だいたい分かるものだ。

分からない人は、まだ勉強が足りない。もう少し生きた方がいい(笑)


そういう「嫌な人」が、こっちに近づいて来る前に、「あれ?何かおかしなことになってる」というような感じで、こちらに害を及ぼす前に自滅して、(関係を持つことなく)終わってしまうことが増えた、という実感があるのである。


仏教で言われる、「心に曇りがなければ、喜びは影のようについてくる」(ちょっと違うw)である。


それに関して、僕はたびたび思うのだが、陸上選手に、かつて「マイケル・ジョンソン」という人がいた。


今も存命だし、走っておられるかどうかは知らないが、この人がとにかく200メートル、400メートル等で強く、特にラストの速さは話題になった。


インタビュアーが、あるとき訊いたらしい。「なぜ貴方はあれほど、ラストが速いのですか?」


それに関してマイケル・ジョンソンの答えは、良い人生の圧巻になっていると思えた。


「別に私が速く走ってるわけじゃない。(自分はそれほど変わらないペースなのに)周りが勝手に落ちていってるだけだ」


…幸福になる人と、そうでない人の違いは、“無理なく”学び続けているか、それ(自分がいいと思えること)を、ちゃんと周りを見ながら実践し続けているか、の違いだと思う。


悪(人の心を傷つける)を行いながら幸せになることは、決してない。


だから、お金の差ではなく、「人に厳しくせず、自分のことをちゃんとしてきた人、これからもできることはしようとする人」は晩年間違いなく幸せになる、ということをくり返し書いているが、なぜまた記そうとしているかと言えば、それほど痛い目に遭っていながら、また(心が)回復してくると嫌がらせを始める、ほんとに心の歪んだ人間が世の中にいるということ、そしてそのお陰で、こちらはどんどん磨かれ、幸せになっていってることを再確認しないと、いつまでもゲンナリさせられるからであるw








この、「頭がおかしいと思えるほど、しつこく嫌がらせをしてくる人」は、ブッダにもいたそうです。

まあ、優れた人に嫉妬する人はどこにでもいるでしょうから。(いや、僕のことを当てはめてませんよw。大谷翔平選手とか)


そして、周りの人がブッダを心配するのに、仏はこう答えられた。


「あの嫌がらせがあったからこそ、私はこの境地に辿りつけた、ということもあるのだよ」と。


すげーよブッダ。

俺は、自分でそう思えるのに、まだ何年もかかりそうw



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