二十六話 曖昧な記憶
第2章開始です。
永遠の命。
古今東西の権力者たちが追い求めてきたそれを、二十一世紀の人類は本気で手に入れようとした。
最初は、おそらく永遠の命など求めていなかった。
神の領域であり、人間の身で触れてはいけないもの、タブーとされていた。
永遠の命、不老不死。
ここら辺が許されるかと問えば、世の識者はこぞって否定する。
ただし、否定できないものもあった。
病気や怪我で苦しむ人を救いたいという気持ちだ。
現代医学では治療不可能な不治の病や大怪我。
不運にも病気になったり怪我を負ったりした人は、苦しんでいる。
治療方法を確立し、苦しむ人々を助けようとする行動は、誰にも否定できない。
医療技術は急速に発達する。二十一世紀になってからたったの二十数年で、それまで不可能とされてきたことが可能になった。
病気で苦しむ人は激減した。怪我で苦しむ人も激減した。
寿命も延びた。日本は世界一とされる長寿の国だったけど、平均寿命は年々延びる一方だ。平均寿命が百歳を超える日も遠くないとされた。
もちろん、喜ばしいことばかりじゃない。
少子高齢化の加速や、人口増加による食糧難など、日本も世界も多くの課題を抱えていた。
今度はこれらを解決しなければならない。
病気や怪我で苦しむ人を助けようとする行動は、誰にも否定できない。
同様に、世界の問題を解決する行動も否定できない。研究するなとは言えない。
最初はごく一部でひっそりと。やがては世界全体を巻き込み。
人類は歩みを進める。
最初は永遠の命など求めていなかったのに、研究が熱を帯びれば、そちらへとシフトし始める。
永遠の命とか不老不死とか、その手の言葉を使っていれば歩みは止まっていた。
触れてはいけない禁忌だと誰かが止めていた。
人々を救う、世界を救うというお題目があったせいで、禁忌とされる線がブレてしまう。止まれない。
特定の権力者が求めたんじゃない。
特定の天才科学者が暴走したんじゃない。
人類全体の方向性が、徐々に徐々に、永遠の命を求める方向へとずれ始めた。
様々な方面からアプローチを行った。
一つ例を出すと、強靭な肉体を持ち、人間離れした戦闘能力を誇る超人を作り出すことだ。
病気も怪我もしていない健康体の人でも、拳銃で頭を撃ち抜かれれば死ぬ。
それではいけない。死にたくないし改善しよう。
ならば、体を作り替えればいいってね。
一足飛びにこの考えにたどり着いたわけじゃないけど、二十一世紀も四分の一を過ぎた頃にはこうなっていた。
水や食糧を必要とせずに生きるっていうのも、アプローチの一つだ。
そして、時は二〇二九年。
ついに誕生する。
新人類の誕生だ。完璧とは言えなくても、永遠に続きそうなものを手に入れた。
しかしそれは……
僕が目覚めた時、自分の置かれている状況が分からなかった。
何か変な夢を見ていた気もするけど、そっちはどうでもいい。
ここ最近の記憶が曖昧だ。特に、直近の記憶はないに等しい。
僕は自分の部屋のベッドで眠っていたけど、昨夜ベッドに入った覚えがない。
昨日は何をしていたっけ? 今日は何曜日? 学校はある?
分からないことだらけで混乱する頭を整理しようと、順番に考えていく。
僕の名前は速峰春真だ。自分の名前すら忘れていたら大変だったけど、ちゃんと覚えていて安心した。
高校一年生で一人暮らしをしている。学校と家を往復する平凡な毎日だ。
特別性の欠片もなく、怪しい事件に巻き込まれることもない。平凡を絵に描いた男が僕だ。
事件といえば、最近は町で物騒な事件も起きている。変死事件だ。
僕の知り合いで事件に巻き込まれた人はいない……はずだ。多分。
僕は事件と無関係なのに、妙に気になるのはなんでだろう。
あとは……学校で風邪がはやっていた? 欠席者が多かったような。
うん、大丈夫。うろ覚えの部分も多いけど、記憶喪失ってわけじゃない。
とりあえずこんなものかな。忘れて困る内容も少なそうだし、重要なことならじきに思い出す。
登校しよう。僕の記憶が正しければ、今日は金曜日だ。学校がある。
遅刻するような時間じゃないし、余裕はあるね。朝ご飯を食べよう。
ベッドから起きて台所に行く。
いつも通り、冷凍食品とインスタント食品で済ませるつもりだった。
なのに、おかしな状況になっている。
「僕、こんなに食材を買い込んだっけ?」
冷蔵庫の中には、買った覚えのない肉やら野菜やらが大量に詰め込まれていた。
僕は料理を作らない。冷凍食品万歳、インスタント食品万歳だ。
出来合いの物を買うならまだしも、調理が必要になる肉や野菜はまず買わない。
それに、一人分と考えるには量が多過ぎる。料理を作れるとしても、全部使い切るには何週間かかるやら。使い切る前に腐るよ。
他も調べてみると、お米もたくさんある。何十キロあるんだろ。
これだけ食材が多いのに、僕がいつも食べている冷凍食品などはあまりない。
「うーん……自分の食生活を反省して、改善しようと考えた?」
全然覚えていないけど、食材を大量購入した理由は他に考えられない。
一人分にしては量が多いのも、まともに料理を作れないから、失敗する前提で多めに買った? 加減が分からなくて多くなった?
まあ、せっかくだしチャレンジしてみようかな。失敗すれば冷凍食品を食べればいいや。
簡単な料理を作ってみる。目玉焼きと、もやし炒めだ。
包丁を使わずに済むし楽だからね。フライパンで焼けば作れる。
で、チャレンジしたはいいものの、見事に大失敗した。
目玉焼きはかろうじて食べられるレベルだけど、もやしは無理だ。
炒めたとは言えない。燃やしたが正解だ。
もやし燃やし? 寒っ。
くだらないダジャレを考えていないで食事にしよう。
冷凍食品の焼きおにぎりと目玉焼きだ。
目玉焼きは、目玉焼きって味だった。説明になっていないけど、目玉焼きを説明しろと言われても困る。
形は崩れていても味はたいして変わらない。若干焦げているだけだ。
目玉焼きは、そうそう失敗しない料理だしね。
もやし炒めは失敗したけど、しょうがないよ。ちょっと火加減を間違えた。
火事になるとか台所を破壊するとか、大惨事にはなっていないしセーフだ。
いくら料理ができない僕でも、台所を破壊したりはしない。
……台所を破壊? どこかで聞いたような。
『台所を破壊せずに済めば奇跡』
僕の脳内でこんな声が再生されたけど、言いそうな人に心当たりがない。
夢で見たとか? 夢と現実がごっちゃになっているんだ。
思考にふけりながら食べる。
一人で寂しいって感じたのはなんで? いつも一人だし、慣れているのに、大勢でワイワイ騒ぎながら食事をする風景が当然のように感じた。
疑問は心の中に封じ、食事が終われば登校準備を整えて家を出る。
空は今日も青い。町の様子も平和そのものだ。
登校し、教室に入っても変わった部分はない。
「おはよう」
クラスメイトたちに挨拶をする。
特に親しい相手はいないし、全員に向けた挨拶だ。
みんなも「おはよう」って返してくれたけど、変わった反応を示した人もいる。
僕と席が近い男子が、どこか脅える目で見ていた。
「おはよう。僕がどうかした?」
「いや……なんでだろうな? 速峰を怖いって感じた」
「僕が怖い? 今まで言われた経験がないね」
背は低いし腕っぷしも弱いし、怖さは皆無だ。
「気のせいだろうな。ごめん」
「いいよ」
男子が謝ってくれたので、話はこれで終わりだ。
次は、クラスメイトの女子である美央さんが僕に話しかけてきた。
「おはよう、速峰君」
「おは……よう? あれ? 美央さんって最近休んでなかった?」
「ちょっと調子が悪くてね。ずっと家で寝てたよ。おかげで、ここ数日の記憶が曖昧でさ。今は元気になったけどね」
「そうなんだ。治ってよかったよ」
「ありがと」
ここで会話が止まる。
美央さんが話しかけてきたんだし、用事があるのかと思ったのに、何も言い出す気配がない。
「美央さん? 僕に用があったんじゃないの?」
「用はないけど……あれ? あたし、なんで速峰君に話しかけたの?」
「僕に聞かれても困るよ」
「だよねえ。あたしと速峰君って、たいして親しくもないし話もしないし……」
美央さんは首を傾げながら自分の席に戻った。
なんだったんだ?
よく分からないけど、先生がくるのを待つ。
今日もまた、つまらない授業が始まるんだ。
そう思っていたら、遅刻ギリギリの時間になって教室に滑り込んできた女子生徒がいた。
凄い美人だ。胸もめちゃくちゃ大きくて、制服がはち切れそうになっている。
誰? こんな人、クラスにいた?
美人だけど僕たちよりも年上に見える。二十代前半から半ば程度だ。
大人の女性が高校の制服を着ている姿には、違和感しかない。
「速峰、おはよう」
「お、おはよう……」
美央さんに続き、超美人の女性にまで話しかけられた。
今日はよく女子と会話する日だな。
「私のこと忘れた? 葉月よ。葉月葉」
「名前は聞いたことあるような、ないような……」
名前よりも、これだけの美人に会っていたら忘れないと思うけどな。
スタイル抜群の超美人だよ。こうして会話していても、視線が胸に吸い寄せられてしまう。
髪の色も珍しくて黒だ。ちょっと不気味だけど、長い黒髪が綺麗だとも感じる。
今朝から記憶が怪しいし、そのせいで覚えていない?
「すっごく失礼なことを聞くけど、クラスメイトだよね? 新任の先生とかじゃなくて、僕たちと同い年?」
「……仕方ないじゃない。私以外に適任者がいなかったのよ。水無月だと幼過ぎるし、如月と弥生は論外。皐月さんは年齢を考えて。あの人が高校生として振る舞うのは絶対に無理よ。どうして自信満々でいけるって考えたのか、理解に苦しむわ」
「何か言った?」
「なんでもないわ……みんなして、程度の低いコスプレとかイメクラとか、好き放題言ってくれちゃって。覚えてなさいよ」
葉月さんは、ブツブツと何かを呟いていた。
美人でも変な人なのかな?
美人だからありだね。胸が大きいのもグッド。
僕の知り合いの中だと……屋さんとどっちが大き……
あれ? 僕は誰のことを考えた?
浮かびかけていた顔は、すぐに消えてしまう。
まあいいや。葉月さんに失礼なこと言っちゃったし、謝っておこう。
「新任の先生とか言ってごめんね。大人びているし綺麗だったからさ。その制服も似合ってるよ。地味な制服なのに、葉月さんが着ると華やかになるね」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、胸を見過ぎ。視線には気付くのよ」
「ごめんなさい」
「文月や師走みたいなロリコンでも困るけど、こうまでガン見されるのもねえ」
ロリコン?
なぜか知らないけど、ロリコンの言葉が気になった。
僕はロリコンだって言われたことがない。
ないはずなのに、脳内で声が響く。
『ロリコンの速峰春真は大歓喜』
とかなんとか。
一体、誰の声なんだ?
「こんなのの何がいいんだか。邪魔なだけなのに」
謎の声について考えていたのに、葉月さんが自分の胸をつかんだせいで、そちらに全神経が集中してしまう。
うっわあ、凄い。ゆっさゆっさって重そうに揺れている。
『ふしだらです! はしたないです!』
「ごめんなさい!」
「急にどうしたの?」
脳内の声に反応したせいで、葉月さんには胡散臭そうに見られてしまった。
今日の僕はおかしい。しばらくすれば治ってくれることを期待して、大人しくしていよう。




