10
「…苦しいんだけど」
ルディの懐かしい香りに包まれ動揺した私は、ついいつものように憎まれ口を叩いてしまった。
ルディからの返事は無い。
気まずさから身動きをするも、ルディからの拘束は強まるばかりで私の心臓がもたない。
どうしたら良いのか焦っていると、近くで唸り声が聞こえてきた。
「いってぇ。上司を突き飛ばすなんて良い度胸だな、ルディ」
「直属の上司では無い」
「ってか何でこんなとこに居るんだミサキ。国に帰ったんじゃなかったんじゃ」
ルディの背後から覗き込んできたゲイルと目が合った瞬間、私の身体は中を浮いた。
「え!?ちょっとルディ!?」
まさかのお姫様抱っこ。
反射的に文句を言ってしまう私を無視して、部屋を出るルディ。
直ぐ近くの部屋へと連れて来られた私に、騒いでいるゲイルの声は聞こえなくなった。
「ルディの部屋?」
「ああ」
ようやく返事をしてくれたことにほっとする。
私をベッドへと降ろしたルディは、クローゼットの棚を漁りはじめた。
その様子を静かに見守りながら、そっとルディの部屋を見回す。
悠馬の部屋と違って、広さのある室内。
ベットから少し離れた机の上に書類らしき紙が散らかっていてるものの、他はきちんと整理されている。
ルディの部屋に入るのは初めてだ。
あまり思い出したくない出会いは、ルディの屋敷の自室だった。
流石のルディも宿舎に女性を連れてくる事はないだろう。
そうなると私はこの部屋に入った初めての女か。
そんな馬鹿な事を考えていると、戻ってきたルディから服を手渡された。
意味が分からず首を傾げる私に、ルディは不機嫌そうな表情で口を開いた。
「色々聞きたいことはあるけど、とりあえずそれを着て」
「…ありがとう。でも悠馬に借りてるから、とりあえず上着だけ借りるね」
悠馬のシャツ一枚では心許なかった私は、ありがたくルディの上着を羽織ろうとした。
「いいからそれに着替えて。外で待ってるから」
言うや否や出て行ってしまったルディに、私は何も返せず呆然をする。
かすかに聞こえるゲイルの声に我に返った私は、ルディの態度に胸が締め付けられる思いがした。
「やっぱり怒ってるのかな」
突然消えてしまった私を、皆心配していたのは知ってる。
目の前で消えてしまった私を、ルディが一番気にしていたのもなんとなく分かっていた。
思わず出てしまった重いため息を聞いて余計に落ち込みつつ、渡されたシャツを広げる。
「ちょっと大きすぎないかな」
悠馬より体格の良いルディの服は、着ると肩が出てしまいそうだ。
それでもこれ以上彼を怒らせたくなくて、素直に着替えを済ます事にした。
「今までどこに居たんだ?」
「さあどこに居たのでしょうか?」
「茶化すなよ、ミサキ」
「ごめんなさい」
流石に失敗だったか。
いつもへらへらしているゲイルの真剣な表情に、私は素直に謝る。
「えっと、ずっとコタロウをしてました」
「…は?」
意味が分からないとばかりに眉間に皺を寄せるルディとゲイルに、私は固まったままベッドに座っている悠馬に視線を向ける。
「え、あ!はい!連れ込んだのは美咲さんじゃなくて、コタロウです!コタロウが人になりました!」
「故郷に帰った訳じゃなかったのか!」
唖然とした様子のルディとゲイルに、私はゆっくりと頷いた。
いつもは無駄に煩いゲイルが静かなので、私は今までの経緯を話し始めた。
気付いたら犬になっていた事。
帰ってきて途方に暮れていた時悠馬に会って、城で過ごすようになったこと。
犬故に自分が美咲である事を伝えられずにいたこと。
そして今日、何故か人間に戻ってしまったこと。
最後まで何も言わずに聞いてくれていた二人に、私は大きく頭を下げた。
「心配掛けてごめんなさい」
「いや…。無事でよかった」
「ったく、なんでそんなややこしい事になったんだ?」
髪を掻きむしるゲイルに、私もよく分からない首を振る。
本当にどうしてこんなことになったんだろう。
「気付いてあげられなくて、ごめん」
隣りの椅子に座るルディがそっと私に頭を撫でる。
その優しい仕草や声に、目の前がぼやけてしまいそうになるのを必死で堪える。
「そんなこと…」
「まあ、何にしても無事で良かったな。それにしても何で犬なんだ?」
「それは私が聞きたいよ。結構大変だったんだからね」
「だろうな。あれだろ、生理的現」
「それ以上言ったら噛みつくから!」
立ち上がった私は、言ってはならない事を言おうとしたゲイルに詰め寄る。
けれどあと一歩といったところで、ルディの手に阻まれてしまった。
「ゲイルに噛みついても美味しくない」
「あ、うん。それは確かに」
「おい!失礼な奴らだな!」
「失礼なのはどっちよ!花の乙女を乱暴に扱って」
「犬に対して花も何もないだろ」
「全国の雌犬に謝りなさい!」
「ごめん!」
私の謝罪要求に対して反応したのは目の前のベッドに座るゲイルではなく、その隣に座っていた悠馬だ。
驚く私に悠馬は立ち上がって、頭を下げてきた。
「どうしたの?」
「コタロウが美咲さんだってことを知らずに、色々失礼な事を…」
「それは仕方ないよ。誰だって犬が人間だって思わないよ」
「いや、ミサキお前な」
「ゲイルと違って、悠馬は優しかったしね」
「けど」
「それに甘えてたのは私の方だし…」
そうだ。
よく考えてみると悠馬のお腹の上に乗ったり、足に擦り寄ってみたりしていたのは私だ。
これってもしかして、セクシャルハラスメント?
あれ、もしかして謝らなければいけないのって私のほうじゃ。
「ご、ごめん!犬になってることを良い事に、あんなことやこんなことして…!」
「え!?ちょっと待って!俺何かされたの!?」
恥ずかしい!
今更ながら凄く恥ずかしい!
「ごめん!陽向ちゃんが居るのに私ってば失礼な事を」
「ちょっと待て!何で陽向がでてくるんだ!変な事言うなよ!」
「でもいつも陽向ちゃんのこと」
「誤解!誤解だから!」
「でも」
「二人とも落ち着いて」
顔を真っ赤にして言い合う私達に間に入ったのは、ここで一番冷静なルディだ。
「ごめん、ルディ」
「すみません」
不機嫌そうなルディに気付いて慌てて謝るけれど、視線を逸らされてしまった。
ゲイルに視線を向けてみても、肩を竦めただけで何も言わない。
「なあミサキ」
「は、はい」
「あの時…、ミサキ!?」
うん?どうしたの?あれ?
『ミサキ』
ルディ…じゃない?誰?
『ミサキ!?』
急激な眠気が襲ってきて、私の意識は遠のいていく。
ルディの温かい腕に支えられているのを感じながら、ゆっくりと目を瞑る。
皆が私の名前を呼ぶ中、最後に聞こえたのは何故かハロルドの声だった。




