道中
鬱蒼とした森を歩き続けてどれだけの時間が経っただろう。
折れた木の枝が足元で鳴り響くのにはすっかり慣れ切ってしまった。
そもそも、この森を鬱蒼と評して良いのだろうか?
森なんて生涯を通して一度か二度、歩いたかもしれないといった程度の人生を過ごしてきた俺だ。
木の葉の隙間から漏れ出してきた光が、小さく地面を照らしている光景は、案外ありふれたものなのかもしれない。
しかし、迂闊に足を前に出せば木の根を踏みしめて体勢を崩して転んでしまいかけたり。
或いは近くの茂みでガサッと、何かが揺れる音が聞こえてくるとこの世界にいるかもしれないモンスターかも…と怯えてしまう。
そんな道程は予想以上に、俺から体力を奪っていく…早い話が疲れるのだ。
「…40分くらいか……まだつかないのか…」
腕に嵌められているデジタル式の電池を見てみると、時刻は既に昼前。
日が昇った頃に起き上がり食事やら簡単な準備やらをして出発してから、何も口にしてしない……だからか少しばかり空腹を感じてしまう。
もっとも、先日アイリがとってきたモノは朝のうちに二人で消費してしまい、後はキリの良い時間まで歩く事を決めているので、休憩というわけにもいかない。
せいぜいが道中で、あの水分がたっぷりの実がなっていたらそれをもぎ取る程度だろうなぁ。
「いえ、そろそろですね…コウタ様、枝葉でケガなどしていませんか?」
「大丈夫だ問題ない、…すまんね俺がもう少し歩きなれていたら、もっと速く移動できたんだろうけど…」
「そんな…コウタ様の為にこの道を進んでいるのです、気にする事なんて何一つありません」
涼しい声で言うアイリは手に大型のナイフを持って俺のすぐ前を歩いては、こまめに左右に振っている。
その行為が、進路上にある尖った枝や虫を追い払う為の行為だと気がついたのは、歩き出して10分もしないうちにだろうか。
更に言えば歩きなれない俺に合わせるように、彼女の歩みは非常にゆっくりとしている。
もしこれがアイリ一人だけなら多分、すぐにでも森を抜けているだろう。
「いつもすまんねぇアイリさんや…げほげほ……」
「ふふ…ふふふ、もうコウタ様ったら…それは言わない約束ですよ?」
もちろんだが、そんな約束をした覚えは一切ない。
「つきました、コウタ様…少し注意をしてください」
そんな些細で他愛ないやりとりをしていると数分もしないうちに、立ち並んでいた木々が途切れはじめた。
あとは早いもので、あっという間に視界は開けていった。
けど、突然暗い森から外に出てきたせいか、まぶしさに俺は目を細めてしまう。
「まぶしい!っ、ぁー…まぶしいよアイリ」
「はい…えっと…眼が眩むかも知れないから、といい忘れました…申し訳ありません」
「いや大丈夫、…眼がー、眼がぁぁ~」
「もう…コウタ様ったら…ふふっ」
すぐ傍でアイリが笑ったような気配がすると、俺の手が静かに握られる。
柔らかくすべすべとして…滅多な事では俺なんかが触れることのない感触に、ドキりとしながら彼女に手を引かれるまま、数歩前へ。
少しずつ眼が明るさに慣れてきたので、ゆっくりと瞳を開くと…道があった。
うっすらと草の生えた周囲とは違い、に直線的に土の色が姿を覗かせているだけの簡素な道だ。
幾つモノ線状の跡がうっすらと残っているのは、馬車か何かだろうか…車のタイヤにしては少し小さすぎる。
足をゆっくりと持ち上げ、その人口の道につま先を置いてみた。
「硬い……」
しっかりとした作られた道は、何百、何千という人々の往来によって踏み固められてきたのか、力強い感触だ。
それがずっと向こう側まで、遠く長く続いている。
右を見る…道の果ては見えない。
左を見た…道の向こう側は見えない。
俺はなんとなく、助かった…と思った。
少なくともこんな道を作るだけの文明が、傍にある。
アイリが俺にウソをつくとは思えないし、その理由もわからないけど、自分の目で見ると安心感が全然違う。
「コウタ様、…どちらに参りましょうか?」
いつの間にか俺の隣に並ぶように立っていたアイリの声に、安心感に浸っていた心が現実に戻される。
そうだ…例えば、極端な話だが、この道を俺から見て左に進んだとして人が住む場所まで2時間だったとしよう。
これは幸運だ、俺としては嬉しい限りなのだが…問題はその逆、この右の道を選んだとして
人が住む場所、或いは人に出会えるまでに10日も20日もかかってしまう場合だ。
これだけは避けたい。
単純な考えとして、人がいる場所に行くというのは物凄い安心感があるし、何よりマトモな食事にありつける。
他にもここが…ありえる事なのかどうかわからないが、日本なのか、或いはナントカカントカ国という、名前も知らない国なのか。
そういうのが知れる可能性があるというのは、俺達にとって純粋にありがたい。
「…考えていなかった、アイリ…人がいそうな感じは…しないよなぁ」
「はい…そうですねぇ…私が感じる限りは、のんびりとしたものでしょうか」
「だよなー……」
考える。
どちらに行くのが正解だろうか、何かヒントは隠されていないだろうか?
例えば目の前の道にある車輪の跡、これがこう…良い感じにさっき出来たモノ!というのが見分けられたり……俺には無理だな。
…あれやこれや、と考えは頭に浮かぶが、そのどれもこれが俺には不可能な策であったり、現実を帯びていなかったりしているものだ。
となれば後は一つ。
「アイリ、適当に選んで間違ってても怒らない?」
「勿論!コウタ様の選んだ道です…何があってもお供しますし、コウタ様を守ります」
「…オマエは本当に良く出来た従者だなぁ……」
「っ!!!!!!??!?
し、失礼しますコウタ様…あぁ…ふぁ、……あぁぁ…ぁ…!」
「何だか凄く聞きたくない類の音が聞こえてくるよ…… と、とりあえず右、右だ!迷ったら右に行くぞ!」
「ぁ……ぁ…は、ひぃ…かしこまりました」
冷酷そうな表情に赤みを帯びさせ、嬉しそうに頬に手をあてるアイリ。
その瞳は…俺から見ても恋する少女か、或いは狂信者のそれと言って良いだろう。
設定上、最強最悪な存在で命令一つあればどんな存在でも消し去る覚悟を持つ暗殺者が俺の腕に自分の腕を絡めてくる。
となれば当然、俺の腕には彼女が胸に持つ豊満な膨らみが腕に押し当てられることになってしまう。
「これが幸せか…」
「私も、幸せですよコウタ様ぁ~」
アイリの口から猫撫で声が出てくるも、気にならない。
というよりかわいらしい声をだすじゃねぇかちくしょう、なんて事すら思ってしまう。
「んじゃまぁ、行くか…良いか本当に、ほんとーーにうらむなよ、もしかしたら間違いの道かも知れないからな」
「構いませんよ、コウタ様がいるならどこへでも、ってものです!」
そんな調子で森を抜けて歩き出したが、今の俺にはこの道が正しいか間違っているかは、わかるはずもなかった。
いや、アイリが良いって言ってくれてるから別に俺は構わないんだけどね?