チェンジリング
二匹の豚が瞬殺される。
瞬きをするよりも速く殺された二匹の血は地面に染み渡り、辺りにもわりっとした死の臭いが立ち込める。
大将を除いた10匹の豚の精鋭の中から、2匹が死に残りは8匹。
彼らの行動は迅速だ。
「――プギィィィッ!ぎぃぃっ!ブギー!」
「――ダッシュ!」
「――ダッシュ!」
「――ダッシュ!」
一人、いや一匹の叫びが響き渡ったかと思うと、殆ど同じタイミングでスキルの発動が宣言され
豚とアイリ達との距離が離れてしまう。
一糸乱れぬ動きというのはこういう事を言うのか。
テレビで見る軍隊の行進のような練度こそ感じられないが、まるで彼ら8匹が一匹のオークであるかのようだ。
よく訓練されている、…それだけ頭目である悪食の王が凄い存在なのだろう。
「まぁ、凄い…」
「突っ込んできてくれたら殲滅できたのに…惜しい!」
流石の二人も、咄嗟の判断で距離をとることが出来たオーク達には目を丸くしている。
そしてほんの少し嬉しそうに目を細めて、王とその配下を眺めて立ち尽くしながら思案。
敵を前にしてする行動ではないだろ、と突っ込みを入れてしまいたくなるが、たぶんこの二人の心配をするだけ無駄と言うヤツなのだろうな。
「――ジュルッ…ズズ…ハァー…ハ…ァァッ……ツヨい、ウツクしい…感じる、カオリさえ…ウマい…」
一方のオークキングはというと、部下が二匹も殺されたと言うのに彼らの亡骸に目を向けるような事すらしていない。
口から唾液をボタボタと垂れ流し、荒い呼吸を繰り返し血走った目で二人を見つめるばかりだ。
たまに息を大きく吸い込んでは何処かうっとりとした様子を見せているのは……。
「変態だぁ…!コウ様、どうしよう…ボク、アイツに触りたくないです!」
「が、頑張ってくれ…俺も頑張る」
「では勝負は私のか…コウタ様が頑張る…?」
「あ…あぁ、俺も一匹くらいは倒して経験を積まないといけないだろう、と思って」
「コウ様が倒したら一匹20点でどうかな!」
「異論ありません」
「いやあれよ!バランスおかしいだろそれ!?」
一昔前のクイズ番組かこれは。
なんて突っ込んでいる間に、精鋭オーク達はゆっくりと俺達を取り囲むようにして移動を開始。
慌てて俺は二人の傍まで駆け寄ったが…足元に広がる血の臭いが強烈だ。
魔物の血の臭いには多少の耐性はついてきたと思ったが、ここまでの光景を見せられると気分が悪くなってしまいそう。
…ではあるのだが、そうも言ってはおられず。
俺達や精鋭オークの亡骸を中心にした半円状に前衛が4名、後衛が少しズレる位置に4名。
完全に包囲しないのは背中を見せれば、殺すことが楽になる距離だからだろう。
…こいつら、手馴れている…!高ランク冒険者の集団が全滅させられたというのも、納得できてしまう。
「――ブフッ!」
豚の鳴き声が響く。
ソレはある種の号令だったのだろう、その鳴き声をきっかけにゆっくりと俺達への包囲網が狭まり始めた。
すり足でゆっくりと、しかし油断や隙…或いはもっと一瞬の緊張の途切れを探すかのような慎重な動き方だ。
なんだか数ヶ月前にもこんな風に囲まれたことがあったなぁ、そういえば。
あの時は相手と仲良くなれたんだったか……。
しかし今回は必要ないな、相手は魔物だし。
戦闘力では二人には遠く及ばない俺だが、腰の剣を構えて深呼吸。
せめて自分の身を守るくらいはしておかないと格好がつかない、と迫り来る魔物たちの腰の動きに注視する。
「…なるほど、これが聖銀…私やシフォンには無用と思っていましたが…軽い、それに悪くはないんですね」
そんな中でアイリはその場に屈みこみ、豚の血溜まりの中から白銀に輝く剣を手に取った。
王は全身を銀の装備で固めているが、その手下も中には王と同じ素材で作られた装備を持つものがいる。
例えば、今足元でバラバラの死体になっている哀れな豚の一匹とかな。
しかし王の武器が聖銀の大剣だとすれば、こちらはナイフ。
なるほど、散らばる鎧や篭手などはところどころに皮の部分が見受けられるし。
どちらかと言うとこいつも機動力を生かして、このナイフで相手を倒す役割を持っていた存在か。
「…ですが、馴染みませんね…はい、お返しします…んふっ」
何処か魅惑的な蕩けるようなアイリの声が響く。
彼女は8匹と俺やシフォンや、血走った目のキングの視線が向けられるなかで優雅に立ち上がると一礼。
そしてそのまま手にもったナイフを、友人にモノを投げて渡すかのような気軽さで投擲した。
「――――――プギャッ」
ドスンッ、と言う衝撃が腹の底を打ち鳴らす。
鋼鉄の鎧に身を固め、こちらは聖銀ほど上等ではないが、それでも等級の高い鉱石で作られた斧を持った豚が地面に倒れた。
その額からはナイフが、まるで歪な角のように生えている。
…およそ装備を合わせれば250キロを越す超重量級戦士が一匹、あっけなく戦死した。
前衛が一人消失した事に驚愕の表情が豚たちの間を支配する。
しかしまぁ、数の利がある…と相手は確信しているのか、今度は距離を取る事はしないようだ。
「やっぱり投げ心地はイマイチですね、死んだ事にも気がつかせないってつもりで投げたんですよ?」
ふふふふふっ、とアイリの甘ったるい優しい笑い声。
この子は本当に…ベッドの中で俺の頭を撫でる時の様な声で、物騒なことを言う。
「…なんかちょっと妬く」
「コ、コウ様がマゾに!?ダメだよコウ様、アイリさんにあんなことされたら死んじゃう!」
「ちげぇ!断じてちげぇよ?!ああくっそ、シフォンがいるとなんか調子狂うなぁ、もう!」
「えへへへ、明るく楽しくがボクのモットーです!」
「このお馬鹿!時と場合を考えろって言葉をお前にこそ言ってやりてぇ」
「……私もちょっと妬きます」
飛び道具を持っていた場合、この位置は既に致命的になりうる。
その事を認識した精鋭オーク達は改めて身構えながら、距離を詰める。
慎重なのは良いことだが、少しだけ眠たくなりそうな感じだ…いや、ソレが相手の狙いではあるんだろうが。
一番の問題は、こうして包囲を狭められているのに、むすーっとした感じでほっぺたを膨らますという
いかにも少女らしい仕草をとる褐色美人のアイリさんだ、緊張感がまるでない。
「あら、あらあら、恋をした女はいつでも少女ですよ?」
「…考えてることが伝わるなら、もーーすこし後ろの方にしてほしかったな?」
「――ナニをしてイル、ハヤク、ハヤク、早く殺セ!殺せ殺せ殺せ!殺せ!」
…そんな俺達を現実に引き戻したのはキングの半狂乱になりつつある叫び声。
最初に感じた、理知的でなおかつ挑戦的、人間を見下しつつ油断しないあの歴戦の戦士は何処に行ってしまったのだろうと思えてしまうほどだ。
そんなにこの二人は魅力的にうつるのだろうか…だろうな、何せ――――――――。
自分の頭の中にある二人の『設定』を思い出し、知らずのうちに口元が緩んでしまう。
ま~見えるよなぁ、美味しそうにさ。
「――ギィィィギャァァァァ!!!!!!!」
頭の中であれこれ考えている間に、精鋭オーク達は雄たけびを上げながら一斉に飛びかかってくる。
三人と彼らの間に残っていた距離はあっという間にゼロになる…一見すれば無謀な突撃。
しかし人間のスキルを扱う彼らオークにとっては、そうでもないらしい。
「――スラッシュ…ファイアボール!」
「――ファイアボール…連突き!」
鋼鉄の刃の軌跡、炎の玉、槍の穂先から繰り出される連撃、風の刃、重量を生かした突進、速度で翻弄する攻撃が――――。
一つ一つは初心者でも覚えられる簡単なスキルだが、それでも彼らは複数のスキルを用い、持ちうる限りの手数で二人に襲い掛かる。
特に炎の玉、ファイアボールに関しては発動できるオークが複数いたのか、息のぴったりと発動により空中で合体。
肌が焼けるのではと思うくらいの熱気が、頬に吹き付けてくる。
「…あは、正面から私に戦いを挑むんですね、いいですよ、えぇ…勿論大歓迎です」
「アイリさんには負けない、アイリさんには負けない…アイリさんに勝利してコウ様を独り占めする権利を一晩だけもらうんだ…!!!」
「うぉ、あっちぃっ!…いまシフォンが不穏なこといった!?」
六匹のオークが今まさに二人に襲いかかろうとしている辺りで、俺は頭を振る。
熱気にやられてじりじりと肌が熱いというのに、あの二人は顔色をかえ……ん?
「…六匹?」
違和感が頭の中に生まれた瞬間、構えていた剣を持つ手に力をこめる。
そして周囲を見渡していると―そいつはいた。
「――プギャギギギギギ!」
甲高い雄たけびをあげ、巨体を大きく屈めて俺に目掛けて突進してくる精鋭オーク。
その威圧感に圧倒されながら、長く細く息を吐く。
…ちらり。
みれば、アイリは鋼鉄の刃を拳で叩いて折り飛ばし、風の刃を指先で掴み、自らの眼前に迫ってくる巨大な火の玉を殴って消し飛ばし
一方のシフォンは彼女で、槍の連撃を指先で受け止め、重量任せの突進を片手で防ぐ。
危なげなどまったく感じさせないまま攻撃をいなし一匹ずつ対処し始めた二人と目があうと微笑まれた。
「(なるほど、お膳立てをいてもらったのか……)」
ずっしりとした手の中の重みに、不安と興奮が混ぜ合わせたような感じになるのを自覚しつつ、再度構えを正す。
重厚な足音をたててくるオークとあと数歩でぶつかり合う、という所で相手の口が開かれる。
「――突進!」
スキルの発動だ。
視界の中で唐突に精鋭オークの肉体がブレたかと思うと、こちらに向けて高速で体当たりをしてくる。
相手の重量を考えるとその突進は、人間には致命的。
少なくとも俺のような一般人の枠を出ていないやつは、正面から受けるべきではないだろう。
故に回避を選択。
大きく跳ぶようにして横に避けると、両の足で地面を踏みしめるように着地。
突撃対象を見失ったスキルは、やがて収束して一瞬の硬直が入る。
背中を向けた状態で、動けない精鋭オーク。
この隙を見逃すような事はしない、と跳んだばかりの足に力をこめて思い切り駆け出す。
ほんの僅かな時間でも早く相手に刃を到達させ、この駆け出した勢いを利用する為に剣を腕ごと前へ伸ばした。
もっともわかりやすい、突きという攻撃を選ぶと後はオークの背中にその刃が突き刺さろうとし。
「――チェンジリング!」
世界が一変した。
今まさに相手の表皮に突き刺さろうとしていた刃は空を切る。
精鋭オークが…… 消えた!?
「――ブヒョヒョヒヒ!」
背後から声が聞こえてきた、それも人間のそれではない。
醜悪で息臭く、生理的嫌悪を感じさせる魔物の声だ。
背中からぞわりとした最低の感覚が一気に噴出してくる。
「(まずい…マズイ!)」
心臓がばくばくと一気に煩いくらいに騒ぎ出し、本能が警鐘をこれでもかとかき鳴らす。
この感覚から逃れる為に半ば無意識に駆け出した勢いを殺さず前に転がっていく。
一歩、二歩……四歩走った所で足がもつれて大きく体勢を崩しながら、何とか失速。
最後に手に持った剣を思い切り地面に突き刺し、ソレを軸に身体を回転させるようにして振り返って、完全停止。
「――プヒヒヒヒ!」
「(俺の後ろを取っていたのか…いつの間に…!)」
ぜぇ、ぜぇ、と肩で息をしながら胸に安堵が訪れる。
つまり相手は俺の後ろを取り、今まさに獲物を狩り殺す為の歓喜の笑いをあげていたのだ。
数秒でもあの場所に留まり精鋭オークを探していたら危なかった…いや、危ないどころか俺は死んでいたかも知れない。
…恐らく、俺が本当に危ないことになったら何処からかナイフとか鉄拳が飛んでくるんだろうけど、たとえそれでもだ。
「怖いものは、めちゃくちゃ怖い………」
長く、深く息を吐き出してまた空気を胸に吸い込む。
呼吸は少しずつ乱れてくると、頭の中も次第に冷静に。
精鋭オークはチェンジリングと口にした。
意味は確か子供を取りかえる…何処かの国の地方の言葉だった気がするが、今はそんなことより、そのスキルの効果だ。
子供を取りかえる…取り替え子…とりかえっこ、俺と相手の位置をとりかえっこした?
幾らスキルが人間の行動をアシストしたり、時には人間が起こせる事象を大きく超えた結果を引き寄せるとはいえ…すげぇ。
「なんという…初見殺し」
久しぶりに自分が生きていることに感謝したくなってきてしまった。
勢いで投稿するとろくなことにならないと実感しました




