戦い
「なぁ、ゴブリンってのは魔物なんだよな…下級の魔物でも、割と文明的に生活してたぞ…この世界すげーな」
「そうですね…、ですが巣を作る事は生き物にとっても一番大事な所ですし…それにしても、少し賢い印象も受けましたが」
森からの帰り道、二人で適当に道なき道を行く。
ゴブリン達の不愉快だけを感じさせる鳴き声も随分と遠く、今は殆ど聞こえない。
そういう理由もあってか俺とアイリはそれぞれ好き勝手に先ほど見た光景について語り合っていた。
「ソレに姿も、俺の想像した通りだぜ!いや違うな、世間一般がゴブリンと聞いて想像する通り、だ、なぁあの角って何に使うのかな!」
「さぁ…私には見当も、ふふコウタ様ったら楽しそうなのですね」
「当たり前じゃないか!魔法の時も思ったけどここが異世界だって実感したさ」
「はい、私もアレには驚きました、帰ったらすぐに報告いたしますか?
あの様子ですと、きっとギルドの方で討伐チームが組まれると思いますが…」
何かを言いたそうな視線で俺をじっと見つめてくるアイリ。
興奮気味の俺はそれを受けながら誇るように胸を張ると。
「だろうな、しかし俺達は最低ランク。一匹や二匹を倒せならともかく、そんな事に参加するギリはない!」
「――ギャギィ!」
ギャギィ?
なんて声を出しているんだ、甲高くて不細工でこの声はまるでゴブリンみたいじゃないか。
信じられないという気持ちをこめてアイリの方を振り返ると、彼女は黙って腕を持ち上げると俺の背中の向こう側を指差した。
ぎ、ぎ、ぎ、と油が切れて軋む音を立てる機械の音が頭の中にイメージとして浮かび上がる。
ゆっくりとアイリが指し示す方へと体ごと振り返ると、そいつは俺たちと目と鼻の先といったくらいの近しい距離に居た。
「――ギ、ギギ、ギー!」
全身の肌は緑色、小柄な女性を更に一回り小さくしたような体躯。
頭からは土色の角を生やし、瞳の色は濁った黒。
衣服の類は一切身に纏わず人間のソレと酷似した性器は重力にしたがって垂れ下がるまま。
手には、少し太めの長い木の枝を持ったソイツの姿を忘れたり、間違えたりするはずがない。
「あらあら、大変ですコウタ様…見つかってしまいました」
化け物――ゴブリンは俺達を見つけると、最初こそ戸惑ったものの威勢の良い声をあげて、木の枝を振り上げる。
そしてそのまま俺達との距離を保ってギー! ギー! と大きな声で叫び続けるのだ。
威嚇行動、本能で行動する生物において頻繁に見られる行いの一つだ。
しかしこのゴブリン、俺の方には見向きもくれないのに、アイリをみる眼はやけに粘っこい。
…というよりむき出しの股間にぶら下がるソレ、がむくりと鎌首をもたげはじめている。
うわぁ……うわぁ、うわぁぁぁ…。
そういう所まで想像通りだと感動とかを思えるよりも先に、嫌悪感がわいてきてしまう。
特にそれがシモに関することならなおさらだ…み、みたくなかったぜ。
「アイリ」
「はい…なんでしょうかコウタ様、ふふ…」
「わざとか?」
アイリならば、こんな奴らに見つかるはずがない、という確信がある。
というより俺の知ってるアイリならば、あの作りかけの巣に一人で突入して誰にも悟られずに帰ってこれるとすら信じていた。
だからこそ目の前にいる化け物を見てはそんな感想を抱いた。
「申し訳ございません…なにせ、私がこれを相手にどこまで戦えるか、一度知っておきたかったものですから…お許しを」
魔物が目の前にいて、しかも威嚇をやめて俺達に少しずつにじりよってきているというのに深々と頭を下げるアイリ。
とても整っていて優雅で乱れのない礼に、自分すら状況を忘れて一瞬見惚れてしまう。
しかしすぐに、それどころではない事を思い出し…それから、目の前の殆ど獣に近い相手の存在に一歩後ずさる。
傍にはアイリが居て、彼女が自分の実力を確かめる為に、あえてコイツと遭遇したのであれば任せておくのが妥当なのかもしれない。
「アイリ、…一つ良いかな?」
だが、この時の俺は少し…いや、かなり『その気』になっていたのだろう。
冒険者、初めてのクエスト、異世界、隣にはアイリ、貧相とはいえ腰にある装備。
色んな要因が重なり混ざり合った結果、理性に任せた妥当な選択よりも、感情に従った冒険的な選択を口にしていた。
「まぁ、そのなんだ、あれというかさ…その……戦ってみて良い?」
「コウタさまぁ………」
俺がこんな時にかっこつけられるような甲斐性があるわけでもなく。
ずいぶんと恥ずかしい言い方になってしまったのは、この際だから眼をつぶっておくとしよう。
傍で俺を見つめるアイリの瞳も随分と熱狂的というか、既に潤み始めているのは何故だろうか…ちょっと理由はわかるけど、恥ずかしい、凄く恥ずかしい・
「はぁ…コウタさまぁ……はっ、でも…いけませんよ、まずは私は少しだけ相手をします、その後でコウタ様は戦ってください
アナタ様の身体にお怪我があったら私は何と謝罪をすれば良いのかわからないのですから!」
熱っぽい吐息のアイリは慌てて俺の前に出ると、手に握った大型のナイフを敵に向けて構える。
刃先を相手に向けて、たまに陽炎のように身体を揺らす。
何とも奇妙な動きではあるが、彼女の方を直視していると頭がぼんやりとしだしてしまう。
これはいけない、と慌てて視線を逸らしてゴブリンの方をみる。
敵は不規則な動きをするアイリとの距離を測りかね、飛びかかるかどうか悩んでいるようだ。
「――ギ、ギ、ギッ」
不快なだけの鳴き声も何処か戸惑っているで先ほどまでと比べると力強さを感じない。
すぅっと音もなくアイリの体が前に出ると、数拍ほど経ってから気がついたのか、一歩後ずさった。
「すいませんね…コウタ様の為にもここで見極めをしておきたくて……こちらの世界の人間は楽しかったですよ
あなたは、どうですか?」
ふとすれば慈愛にあふれているとすら感じられる言葉を受けても、魔物は何も応えない。
ただその緑色の肌を震わせて、手にした木の枝を構えたまま硬直するばかりだ。
もしかしてこれが噂に聞く、相手におびえて竦んで動けないというやつだろうか。
RPGでいえば1ターンの行動制限のかかる厄介なステータスだったなぁ、とのんきな頭は考える。
実際に俺の身には降りかからない他人事だから、気楽なもんだ。
なんて思って気軽に見守っているとアイリの体が突如として消えた。
いや、消えたという表現は正確ではない。
視界の端のほうにいたアイリが消えてしまったかと思うと、瞬きひとつをする間に、彼女の体が魔物の後ろにいた。
「――ギ?」
魔物の方は、一瞬よりも早い彼女の行動に気がつけない。
突如として消えてしまった眼前の相手の行方を捜して左右を見渡し、それでもその存在が確認できないことに疑問を感じているようだ。
その感情を表現する仕草が、不出来な外見とは不釣合いほど人間らしい…というより、知性を感じさせる、か。
俺の世界の猿ほどにはものを考える頭があるのだろうな、きっと。
「こちらですよ、魔物さん」
とんとん。
ナイフの腹で、緑色の肩が叩くと大きく一歩後ろに下がり距離をとる。
ゴブリンはその衝撃で相手が後ろに回っていることに気がついたのか、あわてて振り返り。
「――ギィ!」
手にした棒で殴りかかった。
突然そばに出現した相手に本能的に体が動いたのかもしれない、だとすると凄いな。
だが、大振りな袈裟切りの目指す場所はアイリのナイフを持つ方の肩だというのがすぐわかる。
俺でもわかるという事はアイリにとっては枯れた老人が振るう鍬よりも簡単に見極められるということであり。
あぁ…それが目的の場所に触れるよりも早く、彼女のナイフはその木の枝を受け止めていた。
梃子でも動きそうにないアイリのナイフにぶち当たり、ゴブリンの腕が震える。
弄ばれてるなぁ……というのが俺の心の底から感じる素直な感想だ。
訓練の時の俺を見ているみたいで何だか少しかわいそうに…かわいそう…いや、俺の方がまだマシだと思いたい
「はい、はい、この調子でがんばってみてください…それとも、これでおしまいですか?」
一方、明らかに人外に全力で攻撃されているアイリの表情は普段と変わらず。
それどころか声も妙な力みがなく、至って自然体。
自分で対峙している時は気がつかなかったが、いったいどうすればアイリに動揺のようなものを与えることができるのだろう。
奥深い……と安全な位置でしみじみ思う。
「――ギギィ! ギギィィッ!!」
「んーっと…これくらい、ですか、わかりました…コウタ様でも問題なく対処できそうな相手ですね」
再びアイリの身体がゴブリンの傍から消失。
力の行き場を失った魔物はそのまま、前方へと倒れこみ痛みに悶えながら立ち上がっていく。
まさかと思って目を向けると、俺から一歩下がった位置に彼女は控えていた。
手に持っていたナイフもいつの間にか懐に収められ、闘争の形跡は感じられない。
「まだ調べていない所はありますが、あの程度が相手なら何万匹を相手にしても負ける気はしませんわ」
「マジかよ、すげぇなアイリ」
「ふふ!ありがとうございます、コウタ様の為ですからね!」
百とかならともかく、万という数字が来たもんだ。
やっぱりうちのアイリは凄い…と改めて実感をしつつ、身体を起こしきったゴブリンが怒りの形相でこちらをにらみつけているのが見えた。
「――ギギギギギ!」
歯はむき出し、木の枝を持つ手は今度は怒りに震え
しかしそれでもアイリには敵わないと本能が教えたのか、彼の怒りの視線は俺へと向けられている。
ここに来て、ぞわりと背筋が震えるのを感じた…間違えるはずもない、彼は俺にその暴力的なまでの怒りをぶつける気なのだ。
異世界で、ケンカひとつまともにしたことない、準引きこもり体質の俺が、魔物と、命のやり取りをする?
なにそれ こわい、凄く怖い、身体が震えそう。
深呼吸をひとつすると、腰の木剣の柄を握り締め正眼で構える。
相手の武器は多少立派であるとはいえ木の枝であり、こちらの剣は相手よりも丁寧に作られた木剣。
この差は埋めがたいし、何よりお互い致死性の低い武器である、ということが俺から緊張をわずかに消してくれる。
そう、要するにスポーツ感覚なのだ。言葉も通じず不愉快な姿をして人間に害ばかりかける迷惑な相手とのスポーツ。
手加減する事はない、思い切りやってみればいい、だめならアイリが助けてくれるさ。
一度見方を変えると心が少し安定していく…そう、相手は人間でないし俺を殺そうと思ってるはずだ、何を遠慮することがある?
もう一度深呼吸をすると、だんだんと緊張はゆっくりと、しかし目に見えて俺から消えていく。
「ふぅぅ…はぁぁ…ふぅぅ…本当に俺でも大丈夫そうかな?」
「決して興奮しきらず、冷静に相手を見続けていてください、そうすればコウタ様ならあっさりと倒せるはずですよ」
なんともありがたい言葉を受け取ってしまった。
しかしアイリにそういわれると、さらに勇気のようなものがわいてきて、冷静に相手を観察する余裕も生まれてくる。
木の枝を振り上げて怒りに満ちた声をあげているだけのゴブリンは、なんともいえない的に思えてきた。
よし、打ち込もう。
「ふっ――!」
短く呼吸を吐いて、構えた木剣を振り上げる。
そのまま、前方に走りこむような形で距離を詰めていき、間合いに入ると同時に勢いに任せて振り下ろす。
思いもよらない人間側の攻撃にゴブリンの身体がびくりっと反応をした。
慌てて木の枝で防ごうと動き出したが、もう遅い。
俺の初撃は吸い込まれるようにして、渾身の力を込めてゴブリンの頭に叩き込まれる。
ごんっ、という鈍い衝撃と音が木剣越しに俺に伝わってきた。
「――ギィ! ギィ! ギィィィィ!!」
頭を殴られた魔物はその衝撃と痛みに絶叫。
不愉快しか覚えない声ではあるが、その反応はやはり人間と似通った部分があり、痛みは想像に容易い。
だが、魔物というのは人間とは違う生き物なのか、こいつはすかさず俺の武器を自由な方の腕で掴みにかかってきた。
「マズイ!」
俺の生命線でもある武器を奪われたら、どうしようもない。
咄嗟の判断で慌てて腕を引く事で、武器はゴブリンの腕から逃げだし、相手は宙を掴んでしまう。
目の前に晒される無防備な姿。
次の一手をどうしようか、と考えると同時に俺はある事を確信した。
こいつは弱い。
魔物といえどもこの程度、鍛えはじめてわずか数日、というだけの俺でも圧倒できてしまいそうだ。
確かにこれならアイリが万匹を相手にしても負けないといった気持ちがわかる!
腕を引いたまま、圧倒的優位に立っている事を自覚した俺は
その木剣でゴブリンの喉を突いて、更なるダメージを与えようと思い切り勢いをつけて、剣を前に突き出してやる。
「――ギィィ、ギャァ!」
しかし、それがいけなかった。
痛みに悶絶していたはずのゴブリンは俺が突き出した木剣を横に大きく避けて回避。
伸ばしきる事により完全に無防備になった腕に、思い切り木の枝が叩きつけられる!
「つぅっっ! いってぇぇ!」
相手を殴りつけた時とは違う類の鈍い衝撃。
そして決して無視できないレベルの痛みが腕を支配して思わず立ち止まり、呻いてしまう。
日常生活の中で、うっかりとどこかに頭をぶつけてしまう、なんて痛みの比ではないそれが、腕でよかった。
いや、良くない全然良くない、だってものすごく痛い、なんだこれとにかく痛い――――。
「――ギャギャ!ギャー!ギギギィ!」
「コウタ様、止まってはいけません、ゴブリンが追撃してきます!」
珍しく強い口調で飛んできたアイリの声に我に返る。
そうだ、相手は魔物で今は命のやり取りの最中…スポーツなんて舐めてかかったのがいけなかったんだ。
ちくしょう、ぶっ殺してやる…痛い、メチャクチャ痛い、絶対殺す! 楽しそうな声をあげている魔物がとにかく憎い!
痛みに震える手を引き戻してギュゥゥゥと強く強く握り締めると、更なる攻撃を加え一方的に俺を蹂躙しようと俺に向かい振り下ろされた木の枝を後ろに下がって回避。
そうすると今度はゴブリンが完全に無防備な状態を俺に晒すことになり………思わず口元が緩むのを感じた。
「死ね!死ねよ!クソがっ!!」
怨嗟の声と同時に、もう一度だけ腕を前に突き出す。
二度目の突きは一度目とは比べ物にならないほどの殺意を持って、相手の急所…左の眼球を貫いた。
柔らかく、そして決して鍛える事が不可能な部位を破壊する嫌な感触は伝わってこない。
いや、もし例え伝わってきたとしても、今の俺には感じられないのだろう、自分の事で精一杯で。
ついでに言うなら、頭の中が怒りでいっぱいの俺は、相手の大事な部位を破壊してしまった事に対する忌避感はなかった。
「――ギィァァァァァァ!!」
「喚くんじゃねぇよぉクソがぁ!殺してやる!!」
何か体液のようなものが付着した木剣を引き戻して、そのまま右足を思い切り振りかぶる。
手加減というものを忘れた俺の脚は、そのままサッカーのシュートのような要領で眼球を手で覆い、悲鳴をあげているゴブリンの、そのむき出しな股間を蹴り上げた!
「――ッッッッッ」
男にしか体験のできない、しかしそれ故に絶大な威力を持つ男共通の急所への攻撃は、魔物にも有効だったらしい。
あまりの衝撃にゴブリンは苦悶の声を上げる事もできずに、ぶくぶくと泡を吐いてその場に崩れ落ちてしまった。
これは…潰したかもしれないな、と思いながら足をおろしてから相手を見下ろす。
倒れたまま微動だにしない相手を見ていると、少しは良くなりつつあるものの殴られた所の痛みのせいで表情を歪めてしまう。
ああちくしょう、痛い…折れてたりしないよな、大丈夫だろ…ヒビとか入ってたりも…さすがにないか…でも痛かったからこいつは絶対許さない。
「…生きてはいるみたいだな……うぅぅっ…いってー…」
「はい、かろうじて…といった所ですが、トドメを刺しておきますか?」
「あぁ……頼む…いや、やっぱりナイフ貸してくれ、俺がやるよ…」
木剣を腰に戻しながら、痛んだりしていない左手を彼女の方に向ける。
アイリはどうしたものだろうか、と悩んだ様子を見せていたが、すぐに俺の手に彼女が普段から使っている大型のナイフを渡してくれた。
一点の曇りもない、美しいまでの刃。
グリップを握り締めれば、吸い込まれるように手に馴染むそれは、まるで芸術品だ。
そんな感想を抱きながらも、切れ味だけは抜群のナイフを手に、ゴブリンの元に屈みこむと。
「言ったよな、殺してやるって…だから俺が殺してやる…!」
躊躇うことなく、ゴブリンの背中に根元まで深くナイフを突き刺した。
そしてそのナイフを引き抜くと、まるで噴水か間欠泉のように緑色の血が噴出しはじめ、俺は慌てて後ずさる。
血だ。
それも大量の…もう誰の目から見ても、助からないほどの出血量。
もしもこれが人間と同じ赤色だったら俺はパニックになっていたかもしれない。
幸い服には一切かからなかったが、血は最初の数秒だけ勢いよく噴出しあたりを汚すと、そのままゆっくりと勢いを弱めていく
代わりに倒れ伏したゴブリンからじんわりと緑の血液が広がっていくのだ。
やがて、微かに動いていたお陰でその命を確認できていた魔物の身体が動かなくなった。
俺は、元の世界では犬や猫を殺した事はない、勿論それ以外の動物だってそう。
昆虫なんかにひどい事をしたことは確かにあるが、それは小さな頃の話だ。
命の大事さ、重たさ、それが奪われるということ。
それらを理解する年齢になれば、一般的な教育通りに育ち、大事にしてきた。
その俺が今、この手で命を奪ったのだ。
創作物でよく見かけるように、吐いたりはしなかった。




