十一章 取り戻された朝
「では、僕とルザはここで」
「ああ。エルシェンカさんへの報告は俺とデイシーでやっとく。アレクも今日は協会で休んでくれ。何かあったら電話で呼ぶ」
「分かった。じゃあ一足先に休ませてもらうぜ」
そう言うとアレクは背を向け、朝靄の中宿泊先のトレジャーハンター協会へ歩いていった。
「またね二人共」
生欠伸するルザと一緒にドッグを後に。行き先はシャバム中央病院だ。
商店街には活気が戻っていた。不死族の人達がまだ眠たそうに帰路に着いている所を、六種の人達が心配そうに駆け寄ってあれこれ尋ねる光景がちらほら。どうやら離れていても“黒の燐光”の力はきちんと届いているようだ。良かった。
病院のロビーは目覚めたばかりの人々で一杯だ。受付の政府員の人達が、名簿片手に退院手続きを取っていた。と、見知った黒服の神父を発見。
「あ、ジュ」「待った」
声を掛けようとした僕をルザが止め、見つかったら面倒だわ。あいつへの説明はエルシェンカに任せて、先に病室のオリオールを迎えに行きましょう。そう言って僕の手を掴み、足早に階段へ向かった。
昨日ウィルネストさんと訪れた病室のドアは閉まっていた。と、向こうから開く気配。
ガラガラガラ。
「あれ、クレオにルザ。僕達を迎えに来てくれたの?」
オリオール君によく似た蒼髪の青年は、むにゃむにゃ眠るレティさんを背負っている。
「え、ええ。あんた、どうしたの急に大きくなって?変身能力があるのは知っているけど、今までずっと子供だったのに」
ルザの口振り、やっぱり本人なんだ。
「変かな?」
「いいえ。ただちょっと吃驚してしまって」背丈も年齢も僕と同じぐらいだ。
「夢の中で約束したから。兄様はもういないし、僕がしっかりしなきゃと思って」
「!?何であんたがお父様の事を知っているの?」
胸ポケットからウィルネストさんの手紙をはみ出させた彼は、信じてくれないとは思うけど、僕さっきまで兄様と一緒にいたんだよ、と告白した。
「は?」
「ほら信じてくれない。クレオは?」
「それは奇跡の力で?――あの、誠さんとはどんな話を?」
「さよならを。兄様、無事にお兄さんと行けたんでしょ?――良かった。じゃあ屋敷に戻ろうよ」
階段を降りようとすると、丁度リュネさんが受付へ行こうと前を歩いている所だった。今度はルザ自ら声を掛ける。
「あら、おはよう。どうして私、病院にいるの?何だか長い夢を見ていた気がするわ……でも何故かしら、とても悲しい気分」
「リュネ様、落ち着いて聞いて」
「その声、あなたオリオール?何故成長した姿に?」
「それとも関係あるんだ。あのね」
青年の話に、魔術機械開発者の顔が驚愕に歪む。だが、何故か最後に吐いたのは安堵の溜息。
「そう……あの聖族が坊ちゃまを。そうね……きっとそれで良かったんだわ。坊ちゃまの幸せは彼と共にあるもの。二百年前から、ずっと」
納得したように頷き、はにかんだ笑みを浮かべた。
「でも、誰かさんにとっては天変地異物ね。――受付にいるの?見つかったら確実に尋問されるわね。分かった。あなた達は坊ちゃまを救った功労者。先に裏口から家に帰りなさい。ジュリトには私からエルシェンカの所へ行くよう言っておくわ」
「ありがとうリュネ。疲れているし、お言葉に甘えさせてもらうわね」
一階に降りた僕等は彼女と別れ、人気の無いドアから朝のシャバムへ出た。
「ん……」
青年の背中の上で少女が身動ぎする。瞼をゆっくり開き、微妙に見覚えのある横顔に驚く。
「オリオール……?どうして大きくなってるの?……これも夢?」
「夢じゃないよ。おはようレティ。兄様が旅に出てしばらくいないから、今日から僕が君の保護者だ」
「聖者様が?そう……お別れの前にさよなら、言いたかったな」
「大丈夫。僕がレティの分もちゃんと言っておいたから」
「?ずっと寝てたのに??」
森の小道を抜け、再び商店街へ。
「屋敷へ帰る前に朝ご飯にしようよ。この通りに焼き立てパンの美味しい店があるんだ。『ル・モンド』って知ってる?」
「ええ、デイシーの行きつけね」レティさんの顔を伺い「イム程ではないけれど、シャバムでは三本の指に入る店よ。行ってみる?」
「うん!」
『ル・モンド』の前は何度か通った事があったが、入るのはこれが初めてだ。ドアを開けるとカランカラン、取り付けられたベルが来訪を告げた。
「いらっしゃいませ。四名様ですね、こちらへどうぞ」感じのいいおじさんが奥のボックス席へ案内してくれた。そこには既に一人の先客が。
「ほらマスター。預言通りに客が来たでしょう?」
「ええ。流石エリヤ様。時間も人数もぴったりです」
「じゃあ約束通りお願い」
「分かりました」
展開に付いていけない僕等に、朝食に来たんでしょう?立ったまま食べるつもり?と促した。
僕が隣に着くと、また当たったでしょう?返答を聞くまでもなく御満悦の様子。
「あ、この人街外れに店出してる占い師でしょ?未来をズバズバ当てるって有名な。クレオの知り合いなの?」
レティさんが不思議そうに尋ねる。
「ええ。缶蹴り大会の時にちょっと。それよりエリヤさん、さっきの約束って一体」
「来たわ」
店長がバスケット一杯のパンを抱え、ドンッ!テーブルの中央に置いた。ロールパン、クロワッサン、あんぱんにクリームパンにジャムパン。他にも名前を知らない様々なパンが山盛り入っている。
「お代は結構です。どうぞお腹一杯食べていって下さい」
「ドリンクも当然タダよ。好きなだけ注文するといいわ」
そう言われ、僕とルザはコーヒー、オリオール君とレティさんはレモンティー、エリヤさんは烏龍茶を頼んだ。おじさんはすぐにトレーで持って来てくれる。
「オリオール。もう一個訊いていい?」
「ん?」
隣に座る少女に向き直る。
「取り戻せた、聖者様の笑顔?」
「――勿論。でも僕は何もしてないんだよ。兄様が自力で頑張ったんだ」
自らの頬に人差し指を当て、軽く引き伸ばす。
「変な顔!」
ケラケラ。
「レティも負けてないね」
「ええ」
「可愛らしいです」
僕等同居人の褒め言葉に、少女が頬を真っ赤にした。「もう……」
「和気藹々とした所で、クレオ」
「あ、はい」
自分のコップを僕に持たせ、預言者は乾杯の音頭を取った。
「では乾杯しましょう。――今日も宇宙が平和な事に感謝して」チィン、チィン。
バタンッ!「おい無事か人形!!?」
「五月蝿い、騒ぐな。傷に響く」
気絶時のまま丸くなっていた身体を起こし、私は息を吐いた。その拍子に、右胸に貼り付けたガーゼが剥がれる。
観測室の使用方法はある程度知っていたので、通信を使って奴を強制的に呼び付けた。非常に好戦的で野蛮な天使の事。どうせ使命も忘れて“黒の絶望”に喧嘩を売りに行ったに違いない。予想は的中、どころか奴は聖者様の命を絶つ寸前だった。慌てて嘘で止めなければ、今頃クレオ殿達を嘆き悲しませていただろう。
「熱は下がったのか!?化膿したのは何処だ!?骨折は」
「あのな……全部嘘に決まっているだろう?自分で手当てしておいて、そんな事も判断出来んのか?」
「な……手前、俺を謀ったのか!!?人形の分際で主人である俺様を!!」怒りで顔面を真っ赤にする。
「ああでもしなければ、お前は聖者様を確実に殺していた。殴りたいなら勝手にしろ」黒壇の椅子の肘掛けに腕を伸ばし、どうにか立ち上がった。流石に五十度は嘘とは言え、傷に因る微熱はある。頭がふらふらした。
ガッ!傾いた身体に掛かる腕の感触。戦いの名残か、酷く熱かった。
「平気だ、一人で立てる」
口に出してすぐ、覚束無い脚で何を言っても説得力が無いなと自分でも思った。
舌打ちしつつ、奴は両腕で私を抱え上げる。「おい」両腕には自らの焔剣で出来たばかりの火傷が複数あった。感情制御が出来ず、暴走気味で力を振るい続けた証拠だ。
廊下に出ると、また外すのを忘れたのか、眼鏡を掛けたままの天使がニヤニヤしながら立っていた。四天使は完全な存在で、視力矯正は必要無い。つまり彼のも伊達、変装の一種だ。
「手前、留守は任せてたはずだが?」
「僕だって色々下界での任務があるんだ。四六時中水晶宮にいられないよ。何かトラブルでもあったのかい?」
「『あいつ』とこいつを二人きりにしてたって事が問題だ!」
おや、無断で設備を使用した件はもう頭から消し飛んだらしい。鳥頭にも程がある。
「駄目だよミーカール。我等が主を『あいつ』呼ばわりは。それに、幾らイスラが死んでからああとは言え、彼女に危害を加えるとは考えにくいな」
確かに。大父神は専ら大広間をうろついているか、自室にいるかだ。私が休んでいる調整室や観測室には滅多に近寄らない。私が同意すると、奴は何故か眉根を更に顰めた。
「そう言う問題じゃねえ」
「でも今後はずっと君がいるから大丈夫だろ?」そうなのか。非常に気が滅入る話だ。
「まぁな。“黒の絶望”との決着も一応着いた。しばらくは休ませてもらうぜ」
酒をかっくらい、グースカ寝ているだけだろうに。
「ところで異教徒掃討の方は順調なのかい?牢獄の扉が一週間以上開いていないようだけど」
「あぁ?俺には俺のやり方がある。すぐに一杯にしてやるさ」実際仕事しているのは全部あの駄犬だが。物は言いようだ。
「どけ。手前と違って俺は忙しいんだ」
「はいはい」
すれ違う直前、奴は私の顔を横目で見、白いビニール袋を手渡した。中には真っ赤な林檎が三つ。
「何だこれ?」
「逆に君には林檎以外の何に見えるんだい?看病と言えば林檎だろう?剥いてあげなよ」
「はあっ?んだよそれ。こいつはたかが人形なんだぞ?」
返答はにやにやとした表情。
「気持ち悪ぃ奴だな。まあいい、貰っとけ人形」
「ああ。済まない」両手で袋を抱える。「しかし何故こんな物を水晶宮まで?」
「大学近くのマーケットで残り物を無料配布をしていただけさ。一応腐ってはいないはずだよ」
調整室のベッドに戻った私は、袋をサイドに置いた。無理に動いたせいかまだ眩暈がする。少し眠ろう。
「おい」
瞼を閉じかけた時、奴が声を掛けてきた。いつも通り空気を読まない奴だ。かと言って、無視すればまた前髪を引っ張ってくるだろう。仕方なく、何だ?と尋ねた。
「食うか、それ?」
「は?」
「だーかーらー、剥いてやろうかって訊いてんだよ!?」
「怪我人の隣で叫ぶな。食いたければ勝手に食え。私はいらん」
戦闘で血糖値が下がっているだけだろうと解釈し、そう答えた。
「あぁ?俺は別に腹減ってねえぞ。折角四天使様が人形如きに気ぃ遣ってやってんのによ、その態度は何だ?ケッ!」
拗ねた。つくづく面倒臭い男だ。しかも最悪な事に、機嫌を取ってやらんとますます五月蝿くて眠れなくなる。
「分かった分かった。一つ剥いてくれ。半分ずつ食おう」
「素直にそう頼めばいいんだよこのアマ」
ベッド横の椅子に座り、腰に差したサバイバルナイフ(ちゃんと洗っているよな?)を抜いた。薬品棚から皿代わりの鉗子用バットを出し、赤い果実を一つ手に取って刃を入れ始める。―――正直に言わずとも口には出来ぬ程燦々たる有様だった。猪の解体か何かと勘違いしている、としか思えない。
私の冷ややかな視線を、どう誤解したのか奴は得意面で応じた。
「どうだ人形。美味そうに剥けただろう?」
芯ごと一口大のサイコロ状にされた哀れな元林檎が、無機質なバットに乗って突き出された。切り方一つでここまで不味そうに見えるのか。おまけに切っている最中、馬鹿力で握ったため硬い果肉が所々潰れて黒ずんでいる。
「ん?どうした、食えよ。手前が欲しいって言ったから、わざわざ剥いてやったんだぞ?」
「……お前に頼んだ私が馬鹿だった。ナイフを取ってくれ。自分でやる」
「あぁ!?」
言いつつ纏めてある私の荷物から奴より一回り小さいサバイバルナイフを出し、投げて寄越した。皮は付いていた方が栄養価が高いので剥かず、手早く四等分して芯を取り除き、更にそれらを二等分。いつも通りリサの好きな兎さんに飾り切りした。
「出来たぞ」
残骸を端に押しやり、横へ並べながら私は言った。奴は絶句したまま、成形したばかりの林檎を凝視している。
「早く食え。色が悪くなる」
シャクッ。シャクッ。冬の物より蜜は少ないが、林檎特有の瑞々しさが咽喉の渇きを潤す。
「……上手なんだな」兎の耳を摘まみつつボソッ。
「お前が下手過ぎるのだ」
反論は返って来ず、奴は黙々と口に運んで咀嚼している。矢張り空腹だったようだ。
「餓鬼はこう言うお可愛らしいのが好きなのか?」
「女の子だからな、当然だろう」それにリサは乳児の頃から入退院を繰り返している。少しでも楽しませる努力は欠かせない。
「そう……か」
奴は最後の林檎を口に放り込み、上半身を伸ばしてベッドの端に頭を預けた。
「おい、休むなら自分の部屋で寝ろ。迷惑だ」
「わーってる。徹夜なんだ。一眠りしたら行くさ」
そう言うと奴はシーツに突っ伏し、本格的に寝息を立て始めた。
「おい!くそっ……」
こうなると怪我人には手も足も出ない。諦めて私も横になり、硬いベッドの上で目を閉じた。
バサバサッ!
「あらお父様。七十七羽の所に来るなんて珍しい」
血のような赤い眼を持つ鴉は、散歩中だった預言者の肩にヒラリと降りる。
「取り合えず去ったみたいだな。双子の力を使うような危機は」
「そうね。余り長く留まっていない方がいいんじゃない?また生ゴミ漁りと間違われて叩かれてしまうわ」
「分かっている。――大丈夫だ、見える所に人はいない」
少女は人語を喋る鴉を肩口に乗せたまま、自らの占い屋の方へ歩く。
「ところで何時家に戻って来るつもりだ?あの女が心配しているぞ」
「姉さんが?出稼ぎに行くって言った時も矢鱈心配してたわ。何故かしら?七十七羽は一羽、人間よりも根本的に高次な存在なのに」
「女で子供、しかも一人では服も着替えられないからな。気にもするさ」
途中で無い肩を竦める娘に鴉は、近い内に仕事振りを見に来るそうだぞ、と伝えた。
「あら、まだ紹介するには好感度が足りないの。面接は少し待って」
「コウカンド?」
「大事な事なのよお父様。お願い」
「分かった、一応言っておく。あの女が聞き入れるとは思えないがな」嘴を動かし「今朝は何処かに食べに行っていたのか?パンの良い匂いがする」
「ええ、例のボーイフレンドと優雅なブレックファーストを」
「クレオ・ランバートとか?余り深入りするな、彼は」
「封印を外す一人、でしょう?分かっているわ。七十七羽は義兄様とは違って、冷静で理性もあるもの。――大丈夫、計画は順調よ」好感度作戦も含めて。
少女は自分の店の前に到着し、まだ誰も並んでいない入口のカーテンを潜り抜けた。未来を映す火は蝋も溶かさず灯るでしょう、預言を口ずさむと部屋中の蝋燭の頭にボッ!と明かりが点く。
自らの定位置に座り、背凭れに身体を預ける。鴉はテーブルに降り、中央に置かれた水晶の山を興味深そうに眺めた。
「欲しいなら持って行く?ただのレプリカ、エーテルは殆ど無いけれど。それとも純粋に光り物を好む鴉の習性かしら?」
「からかうなエリヤ。これが仮の姿なのはお前も重々知っているだろう」
バサッ。閉めたばかりのカーテンが開き、異常な程の細目の男性が入ってくる。「エリヤ。そろそろ開店の準備を――あ、父さん、久し振り」
付き人の兄は実父の来訪を歓迎した。
「ああ。お前は問題無いか?」
「ええ。家の猫達の方はどうですか?」
「心配無い。我等が魔女殿が責任持って毎日餌をやっている。その分、俺の飯は減らされているがな」
「ツイリは?」
「あのキッチンの女神のお陰で、辛うじて栄養失調を免れているような状態さ。煮干しのカスばかりで、全身魚臭いのが難点だかな」
鴉はバサリ、と翼を動かし、今度は男性の肩に乗った。
「本当だ。全体的に少しスリムに。なら俺の食料をあげましょう」
「ほう、有り難い。で、何だ?」
「猫缶です」
「おい」さしもの父も突っ込みを入れざるを得なかった。「俺は鳥類だ、哺乳類じゃないぞ」
「いや、美味しいんですよ。何と一個五百で、人間でも充分食べられる味です」
胸を張って自信満々に答える。
「本当よお父様。お兄様、よく猫の食べ残しをパンに付けてむしゃむしゃしているもの」
「お前、その内腹壊すぞ」
しばらく互いの近況を話し合った後、兄が最初の客を呼ぶため入口へ出て行く。預言者に別れを告げ、幕の隙間から鴉も飛び去った。




