十章 祝福の光
誠さんは“絶望”の埋まった胸を掻き毟り、苦しげな悲鳴を上げた。
―――やめろぉっ!!
「どうしたんだ急に……奴の中で何が起こっている?」
「まーくんだ……燐の意志と戦っている」
「ケッ!何でもいい!要はチャンスって事だろ!その首貰った!!」
苦しむ彼に剣を振り上げ、突然頂点で動きが止まった。凶器を持っていない左手を耳に当て、頷き始める。
「あんだと、熱が五十度!で、他は!?―――んだとぉ!!?手前、まさかその状態でベッド抜け出してんのか!?さっさと戻れ!いや戻るな!!俺が行くまで安静にしてろ!分かったなこの糞アマ!!?」
怒鳴り声で締めた後、手を離してサッと剣を鞘へ仕舞う。
「帰る」
「え!?」
「俺は手前等と違って忙しいんだよ!そいつは手前等で何とかしとけ。俺は知らん」
そう言い放ち、さっさと食堂を出て行ってしまった。呆然とする僕の耳に、取り合えず塞がりましたよアレクさん、デイシーさんの声が届く。
「あ、ああ……悪い」
「じゃあ今度はカーシュ君診せて」
「いや、デイシーの方が傷が深いじゃないか。俺はいいから先に治療しろ」
惚れた弱みで強がりを言う。本人は多分内心ガッツポーズ物だったのだろうけど。
「あ、それもそうだね」ぺたん、と座り、穴の開いたふくらはぎに回復魔術を使い始める。「凄く痛かったんだよ。すぐ治すから待ってて」
「あ、ああ」(´・ω・`)しょぼーん。
「痕残らないように念入りに治さないと。もう水着や浴衣の季節だしね~」こちらはこちらでマイペース。可哀相なカーシュ。後でアレクと一緒に慰めよう。
―――がぁっ!!
誠さんが黒い煙を止め処無く吐き出し始めると、影達がすーっと淡い光になって消えていく。同時に部屋中の重苦しい威圧感も無くなった。
「流石まーくん、どうやら自力で魔祓いに成功したようだ。お前等、大丈夫か?」
「ええ、怪我ももう少しで治療完了です~」一人無視した酷い宣言だ。
「そうか、大事にならなくて良かったよ」
―――あぁぁ………。ドサッ。
背中に翼が仕舞われ、半裸で倒れ込む。細い身体を抱き起こし、ウィルネストさんは汗で張り付いた前髪を払った。
「よく頑張ったなまーくん」そしてルビーに向かい「やったぞメノウ」誇らしげに報告する。
気絶した誠さんの顔は安らかであどけなく、確かにあの子の面影が残っていた。
「ひとまず“赤い世界”の脅威は去った、か……だが」
冥蝶さんは顎に手をやった後、そろそろルザに戻る、後は頼んだぞ、そう言って目を閉じた。
「う……ううん。あぁ……」眠りから目覚めたルザに、僕は無言で一度頷いた。「そう……無事終わったのね」そう言って壁際の鞄へ歩み寄り、手に持った。
「大丈夫ですかルザちゃん~?」
「ええ、問題無いわ。ウィルベルク、お父様の様子は?」
「暴れ疲れて眠っているだけだ。しばらくすれば目覚める」
彼はそうっと誠さんの頭を絨毯の上に降ろし、立ち上がった。
「これで俺の役目は終わりだ。クレオ」
「はい」
「お前、成長したな。エレミアにいた頃よりずっと逞しくなった。いつか……また会おう」
言った瞬間、彼の背後に蒼白い光が広がった。迷い無くその中へ身を滑らせる。――僕とルザの予測通りだ。
「クレオ!!」
「はい!」
僕は加速装置をフルパワーで発動し、誠さんを抱え上げて光へ放り投げた。ウィルネストさんが吃驚した顔で受け止めた後、続いてルザが投げた鞄に強かに頬を打たれる。
「お前等!!?」
その言葉を最後に光が消え去った。二人の姿はもう食堂に無い。
「やったわね……」「はい」
宇宙船の中で計画を持ち掛けたのはルザだ。――誠さんが元に戻ったら、ウィルネストさんは必ずまた何処かへ行ってしまう。何としてもその時、一緒に連れて行かせたい、と。義理の父を愛する彼女が、敢えて別離と言う大胆な決断をしたのだ。居候の僕としても協力しない訳にはいかなかった。
彼の服や貴重品は全てあの鞄の中だ。恐らくこの先何処へ行くとしても困る事は無い。
「二人共、最初から仕組んでたのか。一言言ってくれてれば協力したのに」
「あいつに勘付かれたら全部お終いだったから。それよりクレオ」
計画の一番の障害は、ルザが冥蝶さんになり自我を失ってしまう事だった。僕はその点を何度も彼女に説明し、納得を得たのだ。正直さっきのタイミングで戻ってくれなかったら、僕一人で荷物まで投げ入れるのは無理だっただろう。
「――今回はちゃんと見えたわ、こっちの光景が。本当だったのね……私の中に、村で入り込んだ魂がある。全部聞こえてたの……」
彼女は自分の胸、膨らみの間を探った。
「あんた達の言った通りね、全然動いてない……何で今まで気が付かなかったんだろう……」
「ルザ、帰りましょう」ショックを受けている彼女の手を引く。「“黒の燐光”が元通りになったんです。きっと今頃オリオール君達も目覚めているはず、病院へ迎えに行かないと」
「そうね。デイシー、エルシェンカへの報告は頼んだわよ」
「勿論~ルザちゃん?」
頭を押さえる彼女は、平気よ、ちょっと身体を貸していたせいで疲れただけ、弱々しく笑った。
「ジュリトに診てもらった方がいいな」
「大丈夫よカーシュ。お父様がいなくなったって聞いて、錯乱したあいつに身体を触られるなんて自殺行為だわ。仮令死んでいてもね」
僕は手を繋いだまま背中を向けた。意図を察してルザが、平気だってば!口調とは裏腹に怒っていない声で言う。
「でも、もし無理をして蝶が目覚めでもしたら」
「――ああもう!分かったわよ!」ずしっ、と背中に重さが掛かった。生命は無くても、大事な人の体温は確かにある。「船まででいいから!」
「ええ。戻りましょう皆」
エレミアに戻れたら、今日の事も絶対ディーさんに話してあげよう。冒険好きのあの人なら、きっと目を輝かせ喜んで聞いてくれるはずだ。
シャラン、シャラン。儚い音と共に、屋敷の中は鈴型の白い花で満ちる。その中央へ、少女は両手に一杯の花束を抱えて着地した。
「てぃー……うそだ、まさか」
彼女は微笑んだまま花束を燐さんへ差し出す。白や黄色の花弁を見て、彼の両目から血の涙が溢れた。
「わざわざきてくれたのか?おれのために……」
受け取ると、彼は抱えたまま崩れ落ちた。
「すまない、すまない……やすらかなねむりをさまたげて」
少女は頭を抱き締め、何も言わず額と額を合わせた。
私に出来るのはここまでだ。しばらく彼はしくしく泣き、ひたすら彼女に詫びた。
「兄様!」
屋敷の天井が割れ、光が花畑を満たした。――何十年振りだろう。太陽をまともに見たのは。
「魔が晴れたみたいだな。……って事は、俺達の仕事も終わりか」剣から光球に戻ったケルフが言った。
「そう、だね……」
「それはちょっと寂しいな」
「落ち込まないで誠君。現実に戻ったら、やる事は分かってるよね?」
「うん」
ウィルに会って話し合うんだ、今までや……これからを。彼が仮令どんな事をする気でも、それを手伝うつもりだ。一羽として、子供として、何より恋人として。
「じゃあ名残惜しいけど、俺達は夢の世界へ帰るぜ」
「今までありがとうケルフ。リーズも、もう私は大丈夫だから」少し考え「ベリド君やお母さんにも宜しく言っておいて」
「うん。オリオール君もバイバイ。久し振りに会えて嬉しかったよ。でも、今度夢にお邪魔した時は追い出そうとしないでね?」
「分かってるよ。じゃあね」
「さよなら」
球が太陽に向かって上昇していき、あっと言う間に見えなくなった。
「てぃー……もうかえるんだ。おれも……」
燐さんは最高の微笑を浮かべた。そして友人達の後を追うように、手を繋いだ少女と天へゆっくり昇っていく。
光に包まれる二人を見送った後、私達は互いにしばらく見つめ合う。最初に口を開いたのは弟の方だった。
「兄様――行ってきなよ」
まだ僅かに残っていた未練を悟られて、私は一瞬息が詰まった。
弟は静かに言葉を続ける。
「兄様は何百年も僕等のために頑張ってくれた。だから、これからは兄様の一番したい事して生きてよ」
「でも……」
「不死族やLWP、レティの事なら心配しないで。僕やエルのお兄さん達で何とか上手くやっておくからさ」
降りてきた馬の頭を、私は自然に抱き締めた。
「だから兄様――もう大好きなお兄さんの手を離しちゃ駄目だよ?僕との約束」
「うん……ありがとう、オリオール」
思えば二百年前、“黒の星”での記憶を失って最初に出会ったのが目の前の弟だった。あれからずっと一つ屋根の下で暮らし、今本物の肉親以上の絆で結ばれている。現にこうして精神の奥深くにまで入ってきて私を励まし、支えてくれた。なのに、私はまだ何も返せていない。そう言うと、弟は歯を剥き出して笑った。
「ちゃーんと返してもらってるよ。それどころか僕の方がずっと与えられてる」
「え……だけど」私はいつも迷惑ばかり掛けて。
「じゃあ兄様。笑顔でお別れしようよ?」にーっ、と彼は口角を広げる。「ほらやって」
言われた通り、昔封印した表情筋を動かす。力を入れ過ぎて口の端が引き攣った。案の定、何か変だよ兄様、もっと自然に、苦笑しながら注意される。
「こ、こう……?」少し力を抜きながら尋ねた。
「まあ及第点ギリギリかな。お兄さんが見たら凄く心配してくるとは思うけど」
「そんなに酷いの?」
「ちょっとぐらい困らせてやればいいんだよ。二百年もほったらかしにされてたんだもん。インガオーホーだって」
そのイントネーションが子供っぽい彼らしくて、私は思わずクスッとしてしまった。
「そうそう。それがいつもの兄様だよ。やれば出来るじゃない」
「何だ。これでいいの」全然力みの無い状態で。
太陽が段々大きくなってきた。そろそろ光の世界へ帰る時間らしい。
私は回した腕を放し、一角獣と向かい合った。
「さよなら、兄様」
「うん……オリオール、またね」
彼の笑顔が光に包まれ、私の意識もまた―――。




